Anastasia
AD2199/12/30
「此処がカグツチの下層……かぁ」
高山を基点として、幾層にも建物や階が折り重なって形成された階層都市の十三番目。そのカグツチの下層・オリエントタウンの入り口でマキシマは最上を仰ぎ見ていた。
魔素で濁った空では見えないが、見えなくともそこに存在している事は分かっている。視線の先には世界虚空情報統制機構――通称・統制機構があり、マキシマはそれを何の感慨も湧かない様子で視線から外すと、隣で退屈そうに欠伸びをしているラグナに視線を投げた。
ラグナは下層のオリエントタウンをぐるりと見て頭を掻く。
「にしても、下層にしちゃ賑やかな街だな」
「そうだね。活気があって良いとは思うけど……」
「俺達犯罪者にとっちゃ、危険もあるだろうな」
階層都市はその構造上、魔素から遠い上から下へと向かって住む者の階級も下がっていく。
最上層には統制機構の支部。そしてその関連施設や、統制機構の中でも階級の高い者の居住区。
次いで権力者を持ち裕福な者の居住区となり、そうでない者は持ち得る財力や権力によって下へ下へと追いやられていく。
そうした下層は別の階層都市から流れて来た者やならず者、『咎追い』と呼ばれる賞金首ハンター達の居住区となっていた。
人が集まり栄えるという事は、情報も集まってくる事と同意義でもあり。ラグナ達のように高額の犯罪者にとってはそれを狙って集まってくる『咎追い』にも気を付けなければならない。只でさえ統制機構から指名手配されて追われているというのに、一体いつ休めるのだろうか。とマキシマは肩を落とす。
「此処なら統制機構の目もねぇだろ。マキシマ、どっかで腹ごしらえを――」
ラグナが足を踏み出した瞬間。ぶにっ、と肉感のあるものを踏んだ感触がした。犬猫の尻尾でも踏んでしまったかと慌てて足をどければ、露わになったのは猫でも犬でもないモノだった。
両手両足を力なく地面に投げ出して倒れている少女、らしきもの。フードを被っていて顔を見えないが、フードの隙間から長い三つ編みの髪や、スカートの先からは褐色の肌が覗いている。
「な、なにこれ……」
マキシマがしゃがみ、様子を窺おうとするとその頬を何かが撫ぜた。一瞬驚いたが、よく見ればその子のスカートから伸びている尻尾で。
その時、少女が小さく呻いた。そしてゆるゆると顔を上げ、フードの中が明らかになった。
まるで闇を詰め込んだかのような黒がそこにあり、目らしき赤い光が二つと、へにゃりと下がった口らしきものが確認出来た。この不思議な少女に似た者を遠い記憶の中で見た覚えがある。その時、獣兵衛が呼んでいた名をマキシマは思い出しながら口にしてみた。
「……カカ族?」
「ああ、そんな名前だったな」
ラグナが思い出しながらそろりと足を下ろすと、ガシ、とカカ族の少女の腕が目にも止まらぬ速さでラグナの足に絡みついた。驚いたラグナが足を持ち上げて振り払おうとするが、少女はがっちりと足に絡み付いて離れず、更に哀れっぽく訴える。
「くっ、この、離しやがれ! 何なんだよテメェは!」
「うぅ~~……離さないニャス、絶対に離さないニャスよぉ……助けてくれないとこのままオマエの足を喰うニャスよぉ~~……」
「待て待て待て、足を喰うな。てか意味分かんねぇよ。助けるって何だよ?」
中途半端に足を持ち上げ、カカ族の少女をぶら下げたままのラグナの問いかけに弱々しくも少女は答える。
「よくぞ聞いてくれたのね……タオは今とってもピンチニャス……」
一拍の間を置き、少女が言った。
「お、お腹…………空いた……ニャス……」
「はぁ、お腹が空いたのあんた」
「ニャス……」
マキシマはおもむろに立ち上がると懐から何かを取り出し、ラグナにそれを握らせる。それは幾らかの紙幣で。
何だ、と聞こうとしたラグナが見たのは、笑顔を浮かべるマキシマだった。キラキラと輝くその笑顔は、人が見ればとても魅力的な笑顔だろう。愛嬌もたっぷりで素晴らしい。
……その笑顔がラグナに向かない限りは。
その笑顔がラグナに向く時、大抵ロクな事が起きない。大勢の咎追いの囮を押し付けられるとか、大量の衛士の相手を任せられるとか。
そして、今回もそうだった。
「……ラグナ、私達の目的は統制機構の最奥に行く事だよね?」
「おい、ちょっと待てマキシマ」
キラキラと笑顔を振りまきながらマキシマを続ける。
「広いところで二手に分かれて道を探すのは鉄則だよね? そう言う訳で! 私は別の道で上を目指すから、統制機構の前でまた会いましょラグナ! ばっいばーい!」
「ふざっけんなぁあああああああああ‼」
ラグナの絶叫を後ろに聴きながら、マキシマは人混みのオリエントタウンを走り抜けた。
面倒事は押し付けて避けるに越した事はない。まんまと逃げおおせて意気揚々としていたマキシマだったが――
「だーーっ! くっそ! 超うざい! 何これ! 何でこんなに多いの!?」
ラグナと分かれたマキシマは、オリエントタウンを全力疾走していた。
ラグナのように目立った特徴をしている訳でもなく、事象兵器も展開している訳でもなく。なのに何故か咎追い共に賞金首とバレてしまったマキシマは全力でその追っ手から逃げていた。
ちらりと後ろを伺ってみれば「賞金首の『首狩り』を追っている」と言う噂が噂を呼んだのか、最初の頃に比べて明らかにその数を増していて。
これではキリがない。チッと舌打ちしたマキシマが「起動!」と言うと、その呼び声に呼応するようにマキシマの背後で光が収束していく。ソレは瞬く間に形を変えて一対の大きなセラミック製の翼となり、本物の翼のようにバサリとはためく。
後ろの咎追い達がにわかにざわめき始め、武器を用意する音が聞こえてきたが構っていられない。マキシマは一つ大きく息を吸うと更に走る速度を上げる。
「でりゃああああああああああああああ!」
ダン! と地面を蹴って跳べばそのままマキシマの体は浮き上がった。咎追い達の声が遠く、下になっていく。あれは何だ、と戸惑う声や驚く声が微かに耳に届いてきて、ざまあみろ、とマキシマはにやりと笑った。
これがトリスアギオンが『翼刃』と呼ばれる所以。大きな鳥か、はたまた天使の翼を模したと思われるこの事象兵器が有する特殊能力。
トリスアギオンをはためかせどんどんと高度を上げていき、中層の建物の屋根が見えてきたところでマキシマは適当な人気のない場所を探して降り立った。すぐにトリスアギオンを収め、誰にも目撃されていない事を確認してようやく一息吐く。カグツチに来てからもずっと歩き通しだった為、胃が何か寄越せと切実に訴えかけてくるのだ。
マキシマはぐるりと周囲を見渡す。どうやら此処は中層にも関わらず随分と太陽の恩恵を受けている場所らしく、広い公園が設けられている。暫く探せば露店程度ならあるかも知れない、と歩き出したところでマキシマの鼻を甘い香りが掠めた。
――甘美な薔薇の匂い。
しかし周囲に花壇はあるものの、咲き誇る花の中で薔薇は見当たらない。まさか、と嫌な予感がした時には遅かった。肩に掛かる軽い衝撃と重み。突然の事で対処出来なかったマキシマはあっさり膝を折り、うつ伏せの状態で地面に倒れる。
倒れたマキシマの上から涼やかな声が掛けられた。
「あら? どうしたのかしらマキシマ。そんなに無様に地面に這い蹲って。けれどまあ、ラグナのような野犬と一緒に行動しているのだもの。同じ行動を取りたくなるものなのかしら?」
「……やっぱりあんたか……」
涼やかな声に含まれる刺。上に乗っかっている人物に「退いてよ」と言えば彼女にしては珍しくすんなりと聞き入れ、ひょいと華麗に降りて傍らに立つ。土埃を払いながら立ち上がれば、彼女は使い魔を変化させた蝙蝠傘を差すところだった。
長い艶やかな金髪を黒いリボンで左右二つに結い上げ、そのリボンの先はピンと立っている。紅玉のような丸い目は年不相応に落ち着いていて。年は十二、三程に見えるのだが、その外見とは裏腹に永い時を生きてきたのはとっくに知っている。
レイチェル=アルカード。常夜の異空間に城を構えるアルカード家の現当主で吸血鬼。
彼女がマキシマの前に姿を現す時の理由は単純に冷やかしか暇潰しか、稀に助言のどれかに限られてくる。面倒臭い奴に会ったものだと思いながらマキシマは口を開く。
「で、何の用? レイチェル」
レイチェルは傘の柄を肩に掛けながらこれみよがしに呆れてみせた。
「嫌ね、自意識過剰ではなくって? 私が貴方の前に姿を見せたら、いつだって自分に用事があるのだと思い込むなんて。思い上がりも甚だしいわ」
信じられないものを見るかのような眼差しを向けられ、こめかみの血管がビキリと浮かぶ感覚が分かる。
駄目だ、此処でブチ切れたらラグナと同じだ。そう言い聞かせながらマキシマは深呼吸を繰り返す。
「……ほんっとーに何の用なのよあんた。こっちは忙しいんだけど」
どうしてマキシマがここにいるのか、どこへ行くのか、何をしようとしているのかなんて彼女はとうに理解しているはずだ。そもそも、自分達が復讐する相手は統制機構に居ると教えてくれたのはレイチェルなのだから。
赤薔薇のような唇が開かれる。
「……『何処』へ向かうのかしら、マキシマは」
「どこに、だって?」
そんなの、決まっている。
マキシマは体の横で強く拳を握った。
「私が……私とラグナが行く場所は変わらないし同じ。統制機構だよ」
正しくは統制機構の最奥に鎮座する『窯』だが。
窯。シェオルの門。裁きの門。黄泉坂。様々な呼称があれど、指しているものは一つだった。
生命、時間、空間、理屈、存在……あらゆる概念がそこにあり、そして失われる場所。全ての時間に繋がり、全ての現在過去に繋がる世界の闇鍋のような場所。それが窯。
ヒトの領分では理解出来ないモノ。解明出来ないモノ。だからこそ世界中の研究者がこぞって窯の神秘を解き明かし、我が物にしようとしているとは大昔にレイチェルからも聞いた。
頭の良い研究者、科学者様でも理解出来ないのだ。凡人であるマキシマが理解出来るはずもない。だからマキシマは窯への理解を深めようとはしなかった。小難しいレイチェルの講義も欠伸半分に聞いた覚えがある。
分かっているのは、窯から魔素が溢れている事。その向こうには『境界』と呼ばれる場所がある事。統制機構の連中が窯を使ってとんでもないものを精錬しようとしているので、それが行われる前に破壊しなければいけない事。
そう教わり、今日びマキシマとラグナは窯を破壊する為の力を身に着けてきたのだ。
「そう。……ではマキシマ、貴方の『敵』はなぁに?」
「敵……?」
何とも抽象的な質問だ。マキシマは首を捻る。
「……邪魔する衛士とか咎追い?」
「それだけ?」
紅い大きな目が見つめてくる。暫くマキシマはその目を見つめ返していたが居た堪れなくなり、腕を組むとふいと視線を外す。
「……何。私の答えに不満でもあるの?」
「別に。不満なんてないわ。只、」
そこでレイチェルは不自然に区切ると、蝙蝠傘をくるりと回して顔に陰を作った。陰の中で紅い目が暫し逡巡するように動き、そして僅かに伏せられる。
「……もういいわ。貴方と話してると低脳さが伝染りそうだわ」
「あーあーそうですかそうですか! 全く……」
話が終わったのならもう用はないだろう。ずかずかとした足取りでレイチェルの脇を通り過ぎ、マキシマは中層部の奥へと進んでいく。
「マキシマ」肩越しにレイチェルが振り向いた。呼び止められてマキシマも振り返る。
「……諦めないで。最後まで足掻きなさい」
「は、はあ……?」
そう言い残すとレイチェルは薔薇の香り漂う風を巻き起こしてその場から転移していった。
散々人を小馬鹿にし、最後には助言とも取れる謎めいた言葉を残して去っていく。彼女がそういう者だと言う事に慣れたと言えば慣れたが、色々腑に落ちないのも確かだ。
再び上層部目指して歩き始め、マキシマは先程レイチェルにされた質問を脳内で繰り返した。
(私の敵は誰? か……)
統制機構の衛士や咎追いも勿論『敵』と言っても良いのだが、彼女にはその先の本当の答えを見透かされていたに違いない。マキシマは面白くなさげに小さく鼻を鳴らす。
本当の敵。それについて考えを巡らせれば、まず脳裏に浮かんだのは燃え盛る小さな教会だった。戦災孤児として行き場を失ったマキシマを暖かく、優しく迎え入れてくれた場所。厳しくも優しいシスターと、後からやってきたラグナ達兄妹との思い出が沢山詰まった場所。
その大切な思い出ごと焼き払うかのように、激しく教会は燃えている。
そして、それを為す術もなく地面に倒れながら眺める小さな自分の姿。その小さな体からは夥しい量の血がぽっかりと空いた胸部から流れている。
マキシマの胸に大きな穴を空けたのは、耳障りで下卑た笑い声を上げる『緑の影』だった。そいつから発せられた蛇頭の鎖のようなもので、抉り取られるかのように空けられたのだ。そいつが、マキシマにとっての真の敵だと言えよう。
ラグナの右腕を奪い、
ジンの意識をおかしくさせ、
気を失ったサヤを奪い、
母のように慕ってたシスターを殺し、
我が家だった教会を燃やし、
自分に瀕死の重傷を負わせた『あいつ』。
死に掛けていた時に会ったレイチェルの「生きて立ち上がりたい?」と言う台詞に肯定したのも、数年間獣兵衛の下で厳しい修行を受けたのも、死に物狂いで術式とレイチェルから与えられたトリスアギオンの使い方を覚えたのも、全ては統制機構にて別の名前で所属していると聞いた緑の影――『ユウキ=テルミ』を殺す為だ。
「……おっと」
考え事をしながら歩いていたら、上層に繋がる階段が目の前まで来ていた。
ふ、と空を見れば大分太陽が傾いてきている。この調子で登っていけば明日、日付が変わって新年を迎える前には統制機構のある一番上まで着くだろう。現在地と頂点を見比べながらそう計算し、マキシマは階段に足をかけた。 Back