Cross fate
AD2199/12/31
夢を見た。遠い日の夢を。
シスターの言いつけで森に生えてる木の実を採り、台所にいたシスターに渡して教会の廊下を歩いていた時だった。ある部屋の前で扉を少し開けて中の様子を窺っているジンの姿を見かけた。何を見てるのか、と気になったマキシマはジンの後ろから部屋の様子を覗き込む。
中に居たのはベッドに寝かされるサヤと、そのサヤの看病をするラグナの二人だった。
ああ、とマキシマは納得する。サヤの看病にラグナを取られた為、ジンはじっと静かに部屋の様子を見ていたのだろう。
「ジン」と呼ぶと目の前にいた小さな彼が振り返って見上げてくる。どことなく不安そうで、今にも泣き出してもおかしくない表情。
「またサヤにラグナ取られちゃったの?」
「……うん」
ぎゅ、とマキシマの服の裾を握って俯く。そんなジンの頭を撫で、マキシマは小さく笑う。
「じゃあ、わたしで良かったら一緒に遊ぼ? ジンの好きな事して遊ぼうよ」
「ほんと?」
パッとジンが顔を上げ、表情を明るくさせる。無邪気に慕ってくるジンが無性に可愛くて、マキシマはラグナが構えない分、ジンに構ってあげようとしていた。
それは姉だからという義務感から来るものかも知れない。だけど心の隅っこには『異性の男の子』だからという理由もあったかも知れない。
まあ、どちらでも良い。マキシマとしてはジンが楽しくしてくれるなら何でも良かった。
「ほんとだよ。何する? 絵本読んでも良いし剣士ごっこでも良いし、あっ、森で探検するのも良いよ!」
「……えっとね、それじゃあ――」
服の裾を掴んでいた手を一旦離し、今度はマキシマの手を握ってジンはワクワクとした様子で言おうとする。
暗転する。
次にマキシマの目に映った光景は、轟音と共に燃え盛る教会の姿だった。
シスターの言いつけで少し離れた小屋から薪を取りに行った後、突如として教会から爆音が聞こえたのだ。抱えていた薪を全てその場に投げ捨てて戻れば、一瞬の内に教会がゴウゴウと燃え盛っていて。
「シスタ!? サヤー! ジーン! ラグナー!」
口元に手を当てて叫ぶ。チリチリと空気を焦がす炎のせいで息を吸い込むと少し苦しい。
コホ、と咳き込みながらマキシマは手近な教会裏口へと駆けていく。シスターは夕食の準備をしていたはずだ。サヤは寝ていて、ジンは教会スペースで本を読んでいたはずだ。ラグナは自分と同じようにシスターの言いつけで水を汲みに行っていたはずだけど、この爆音を聞いて戻ってきているかも知れない。
裏口までやって来てマキシマは扉を開けようとするが、熱された鉄製のドアノブはあまりにも熱くて握れない。ならば正面玄関ならどうだと考えてマキシマは踵を返して正面へと回った。
放たれる熱がむき出しの足や腕を焦がしていく。吸い込む空気の熱さで肺が焼かれていくように思える。それでも懸命に走って正面に向かったマキシマは、玄関近くの大樹の根本に見慣れた姿を三つ見かけて駆け寄った。
「みんな! 大丈夫だっ……」
喜色と安堵の混ざった表情を浮かべて三人の元へ駆け寄り、側まで来たマキシマは顔を強張らせた。
サヤは大樹の根本でぐったりとしている。ただ胸が小さく上下しているから眠っているだけだろう。
ジンは俯いたまま微動だにしない。その手には彼には不釣り合いなほど長大な蒼い刀が大事そうに抱えられていて。
ラグナは――本来あるはずの右腕を遠くの地面に落とし、肩から激しく出血させながら倒れている。
燃え盛る教会の側に居て暑いはずなのに、目の前の異常事態を受けて頭が急速に冷えていく錯覚を覚える。カラカラになった口でなんとか言葉を絞り出し、震える手で傍らのジンの肩を掴んだ。
「ジン、なにがあったの? シスターはまだ中? どうしてラグナは……」
軽く揺さぶってもジンは微動だにしない。ずっと俯いたままだ。もどかしそうにマキシマはジンの顔を覗き込む。
「ねえ、ジンってば」
「姉さん」
目が合う。しかしその澄んだ翠眼はどこか泥のように濁っており、マキシマと目を合わせたジンは口角を三日月のように吊り上げる。そのあまりの異質さにジンから手を離して半歩後ずさった瞬間、彼の背後から眼にも止まらない速さで緑の影が飛び出てきた。
咄嗟にマキシマの脳裏に浮かんだのは『蛇』だった。前にも何度か見た事がある。しゅるりとした細身の姿で音もなく、そして狡猾に素早く近寄ってきて攻撃してくるのだ。
ジンの背後から緑の蛇が出てきた。そんな思考に至った刹那、ドンと誰かに胸を押された感覚がした。同時にぐちゃりと水っぽい何かを貫く気味の悪い音がマキシマの耳元で散る。
「え――」
慣性に従ってマキシマの小柄な体が後方へと押され、地面にぺたりと座り込む。
「あ……」
胸元を見下ろす。
ジンの傍らに出現した緑の影から、細長い鎖がマキシマの方へと伸びている。鎖の先端には蛇の頭のようなパーツが付いており、それが――マキシマの心臓へと突き刺さっていた。
脳が理解に追いついていないのか、それとも脳が緊急事態と判断して痛覚をシャットダウンしたのか分からないが、痛みは感じられない。
呆然とマキシマが蛇頭の鎖を見下ろしているとそれが勢い良く引き抜かれ、衝撃で地面に倒れた。壊れた水道のように蛇に喰われたところから血が吹き出、口からはこみ上げて来た血が漏れ出る。
急速に体が冷えていくような感覚。近付いてくる死の気配を感じながらも、マキシマは霞んできた瞳でジンと緑の影を見上げた。
ヒトガタの緑の影がニタリと愉しげに、顔いっぱいに三日月を広げる。『ソレ』はニタニタと嗤いながら地面を滑り、マキシマの側でしゃがみ込むと地面スレスレまで顔を近づけ、倒れ伏したマキシマの顔を覗き込んできた。
「よーうマキシマちゃん。元気にしてっか? って、今しがた俺様が心臓突き破ったんだっけか! ヒャハハハハハ! なあマキシマちゃん、どんな気分だ? 死が間近に迫って怖いか? それとも晴れやかな気持ちかぁ?」
緑の影は軽薄な声でマキシマを嘲笑う。恐らくジンをおかしくさせたのも、教会に火を付けたのだってこいつの仕業だろうと直感が告げてくる。シスターはきっと、あの燃え盛る教会の中で殺されたに違いない。
反応のないマキシマに飽きたのか、軽い動作で緑の影が立ち上がる。そして倒れているラグナを素通りして大樹の根本まで向かうと、ひょいと軽い荷物を担ぐかのようにサヤを抱えた。
待って、と口にするも、口から出てくるのは血の泡とひゅうひゅうとした掠れた空気の音だけで。
「んじゃ、俺様も忙しいしそろそろ帰るわ。可愛い可愛い弟達は貰ってくぜ。じゃーなー、ガキンチョ共」
まるで親しい友人に別れを告げるように手を振った影が離れていく。それに付き従うようにゆっくりとジンもマキシマの下を離れていった。
まるで氷で覆ったかのように体が冷たい。視界はどんどん暗くなり、もう目の前の地面すら見えない。音も聞こえなくなってきて、ありとあらゆる五感が消失していくようだった。
これが死ぬという事なのだろうか。首に掛かった死神の鎌の冷たさを覚えながら、ぼんやりとマキシマは思う。
何も出来ず、何も成せず、ただゴミのように死んで行くのか。大事だったものを全部あいつに燃やされて、蹂躙されて、嘲り笑われながら。
――悔しい。既に感覚のない指が地面を引っ掻く。もし自分にあいつが殺せるほどの力があればこんな事にはならなかったはずなのに。しかし現実問題、マキシマは剣の一つも握った事のない、ただの普通の少女であり。
――悔しい。悔しい。死にたくない。
ごぼ、と口から血と共に残り少なくなった命が吐き出される。心臓を貫かれたのだ。保って一分……数十秒の命だった。
「ねえ、立ち上がりたい?」
鈴を転がしたかのような涼やかで、気品を纏った声が降り注ぐ。誰、と声にしてもそれは言葉にならず、見上げた目も誰かの輪郭を捉える事は出来ない。
「生きて、アレに立ち向かう強さが欲しい?」
――欲しいよ、そりゃあ。でも私はもう死んじゃう。
「ならば私の手を取りなさい。あげるわ、全てを絶つ力を」
最期の力を振り絞って宙に手を翳せば、自分より幾分か小さい手に握られた……気がした。
指先からじんわりと温かくなっていくような感覚。
欠けた部分を埋められていくような感覚にほうっと息を吐けば――
そこで鳥が囀る音が聞こえ、マキシマは薄く目を開けた。
「……懐かしい夢を見たなぁ」
始まりの夢だった。全て奪われ、全てが始まったあの日の夢。
大きく伸びをして首を鳴らすと、自然と手は胸の位置まで降りる。
正しくは心臓の位置。ドクドクと規則正しく鼓動を刻んでいるそこは、一度は欠けた部位だった。その証左とでも言うように、マキシマの心臓の位置がある肌はくっきりと痕が残っている。蛇が心臓を喰らった証左が。
この夢を見る度、腹の奥深くに沈んでいる憎悪が、怒りが、悔恨が、全ての感情がふつふつと煮えたぎって仕方がない。
そこまで寝ぼけた頭で考え、そう言えば空腹だと考えを切り替える。のそのそと家屋を出、上を見上げた。今は時間にして十時頃だろうか。腹ごしらえをしてからまた進もう、とマキシマは一歩踏み出した。 Back