>CALAMITY TRIGGER
「んー……」
どれほど経っただろうか。
肌寒さに身を震わせて目を開けると、隣に座ってたはずのラグナの姿はなく、例の衛士の少女が眠りこけているだけだった。何故かラグナの赤いジャケットを毛布代わりに羽織りながら。
その張本人はどこかと見回したら、やや離れた壁際に座っていた。呼びかければぼんやりと宙を眺めていた目がマキシマに向けられる。
「起きたか、マキシマ」
「うん。……窯、塞いだの?」
「開けっ放しって訳にもいかねぇだろ」
まあそうかと納得し、くあ、と欠伸をしながらマキシマは上体を起こす。壁に背中を預けて座り、先程顔を出したレイチェルの言葉を思い出していた。
「蒼の継承者?」
くうくうと寝息を立てる少女に視線を向けながらマキシマは呟く。今しがたまでばかばかと言いながらラグナをポカポカと叩いていた少女だったが、今では電池が切れたようにラグナに寄りかかって夢の中だ。
「蒼の継承者とは、文字通り『蒼』を受け継いだ者の事を指すわ。この子は真の蒼の継承者に選ばれたの」
「この子って……こいつの事か?」
ラグナは己の肩辺りに頭を預けている少女を見下ろす。
言っては何だが、とても御大層な肩書きが似合うような少女には見えなかった。お世辞にも戦闘力は高くないし、泣いてしまうし、挙げ句の果てにはこてりと寝てしまう。
肩書きに不釣り合いなほど――普通の少女。
しかしレイチェルは小さく頷く。
「ええ、そうよ。……この子が窯に落ちた貴方を助けた事で、世界は永遠に続いていたループから抜け出す事が出来たの」
そう前置きをし、レイチェルはゆっくりと語り始める。それはさながら子供に童話を読み聞かせるような、そんな声色だった。
「世界はね、これまで何度も、何度も何度も同じ歴史を……同じ物語を繰り返してきたの」
始まりは必ず百年前だった。
世界が赤く染まり、絶望が大地を支配し、死の形をした黒き獣が蹂躙闊歩する。世界の終わる音がする。
その獣――『黒き獣』が唐突に境界より這い出ては世界を蹂躙し、名乗りを上げた六人の英雄によって打ち倒される。そして世界はゆっくりと傷を癒やして、人類は穏やかな時を過ごすのだ。
そして2119年の12月31日――すなわち今日。
第十三階層都市・カグツチに現れたラグナとマキシマが『窯』の破壊に失敗し、次元干渉用素体の十三番目であるニューと融合して『窯』に落ちる事で世界がリセットされ、また始点へと巻き戻る。
黒き獣が現れ、英雄が倒し、百年後にラグナが『窯』に落ちて、また黒き獣が現れ――
擦り切れた童話をひたすら読み返すような作業。決まった演目を永遠に等しい時間観続けるような退屈な舞台劇。それが彼の吸血鬼・レイチェル=アルカードが傍観してきた世界だった。
幾らラグナとマキシマに力を与えて道を示しても、マキシマは地下にある窯へ向かう道中でジンに殺され、或いはニューに殺されてラグナに手を伸ばす事が出来ず、ラグナはニューに敗れて融合を許してしまい、窯へと落ちていくのだった。
だからどうせ今回も失敗する、とレイチェルは思っていた。壊れた映写機のように同じ演目が上映されるのだと。
しかし――現実は違った。
何回、何千回、何万回と繰り返される世界の中で生じた小さな綻びはやがて大きくなり、それはいつしか『ノエル=ヴァーミリオン』という特異点を産み。
「それは……すげぇ事なのか?」
話のスケールが大きすぎてピンと来ない。いまいち理解しきれないラグナが素直に問えば、レイチェルはクスリと微笑を浮かべる。
「さあ、どうかしら? 貴方が凄いと思えば凄いのでしょうし、当たり前と思えば当たり前の事よ」
「出たよ、レイチェルのいつもの言い回し」
負傷した足に治癒術式を施しながらマキシマが冷やかす。
「蒼の継承者については、お馬鹿さんな二人にも分かりやすく言えば……そうね、要は世界に生まれた新しい可能性ってところでしょうね。この子が居なければ、世界は未だにループを繰り返していた。この子が新しい世界の……蒼の可能性を示してくれたの。だから世界は進む事が出来た」
「……やっぱり分かんねぇ」
「疲れて頭が回んなくなってきた」
「お馬鹿さん達ね」
「るせぇ」
「こっちは死に物狂いで来てんのに」
二人からブーイングが飛ぶ。
「まあでも、」ガシガシとラグナは頭を掻くと少女を起こさないようにそっと床に横たわらせ、己の赤いジャケットを脱いで毛布代わりに被せた。
「こいつのお陰で色々助かったってのは分かったよ」
ラグナの言葉に、そっとレイチェルが息を吐く。しかしそれはいつもの落胆や侮蔑を含んだものではなく、柔らかく温かな温度を持っていて。
「これ以上難しい話をしても今の貴方達には理解出来ないでしょうから、一旦ここまでにしておきましょう。また機会を改めて話してあげる……その子も含めてね」
サッと蝙蝠傘を取り出し、いつものように差してクルクルと回す。傘の向こうにマキシマが見た横顔は、いつになく優しい表情をしていて。
ふわり、と薔薇の芳醇な香りが広がる。それはいつだってレイチェルが魔法で転移する合図だった。
「もう暫くそこで休んでなさい。私は少し用事があるから、戻ったら地上まで送ってあげるわ」
「やだ、親切じゃん」
いつもの意趣返しとばかりにマキシマが皮肉る。もう何度も統制機構を潰してきたマキシマ達だったが、彼女は助言を(ごく偶に)与えてくれはするものの、侵入や脱出の手助けは一度たりともしれくれなかったのに。
舞い上がる風に二房の金髪を靡かせながら、常夜の城の吸血姫は優美に笑う。マキシマの軽口など意に介さないと言うように。
「這いつくばって感謝なさい」
楽しげな声がする。薔薇色の魔法陣が完成し、風の吹き抜ける音と共にレイチェルの姿がかき消えた。後に残ったのは薔薇の芳香と、満身創痍の三人だけ。
治癒術式で簡単に応急処置を終えたマキシマが大きく欠伸をする。彼女を見ていたらなんだか気が抜けてしまった。疲労が溜まっているのも事実だし、レイチェルが迎えに来てくれるまで仮眠でもしよう。そう思ってマキシマは硬い床に転がる。
目を閉じ、数度呼吸を繰り返せば数分もしない内に意識は遠のいて行き――
回想終了。冒頭に戻る。
少し離れた所から小さく呻く声が聞こえ、もぞもぞと少女が起きだした。
ラグナは壁に手をついて重い体を持ち上げて彼女の元に行くと、彼女のものらしい帽子を投げ渡し、代わりに赤いジャケットを奪って袖を通す。寝起きの頭で唐突の事についていけていない少女は「えっ、えっ?」と狼狽えながらも帽子を拾って胸に抱く。
事態が追いついていない緑眼が揺れる。
「あの、お二人は……」
と、そこで眠る前の出来事を思い出したのか、少女はバッと立ち上がるや否やラグナに向かって勢いよく頭を下げた。
「すっ、すみません! 私なんか、その、錯乱してたと言いますか……た、助けてくれた人を馬鹿だとか、本当にすみません!」
ラグナが助けた、とは。恐らくマキシマが地下に降りてきた時の事を指しているのだろう。あの時は確かニューから彼女を守るような体勢でラグナが立っていた覚えがある。
しかし、助けてもらったのは同じだろう。ラグナが小さく笑う。そしてそう言おうと口を開きかけた所で、どこからともなく彼の知らない声が飛び込んできた。
「ああ良かった~~。まだこちらにいらしたんですねぇ、ノエル=ヴァーミリオン少尉」
その声に弾かれるようにして振り返ったラグナは腰に下げた剣の柄に手を伸ばし、マキシマも跳ねるように立ち上がり、背後にトリスアギオンを展開させた。
声の主は窯の前、今は閉ざされて薄暗くなってしまった場所に立っていた。一体いつから居たのか、どうやってこの場にやってきたのか、そして何故今までこの人物の気配に気付けなかったのか。それらが全く分からず、得体の知れない不気味さを覚える。
僅かに警戒しながらマキシマは駆け寄ってラグナの隣に立つ。するとノエルも小走りでマキシマの反対側になるラグナの隣に立ち、帽子を頭に乗せて姿勢を正した。
「ハザマ大尉! 申し訳ありません、私……っ」
「ああ、いえいえ、いいんですよ。中々戻って来ないものですからねぇ、何かあったのかと気になって」
ハザマと呼ばれた緑髪の男は口元に楽しげな笑みを作りつつ、けれど帽子を目深に被って目元を隠したままノエルに歩み寄る。コツコツと上等そうな革靴が硬質な床を叩く。
その距離が凡そ二メートル程まで縮まった頃だろうか。ハザマは立ち止まると指先で被っていた帽子を指で跳ね落とし、ノエルを見る。
「ところで……ノエル=ヴァーミリオン」
語りかけてきた声は途中でがらりと変わって不穏さを含んだ低い声になる。前髪が隠れる程の長い緑の髪の奥で、吊った細い目が開かれていた。瞳の色は金色だ。
そしてハザマは今までの慇懃な態度を捨てたかのように己の胸に片手を押し当てると、ノエルに深い笑みを向ける。
「俺を見ろ。その目で、俺をよぉく『観測ろ!」
「何、が……ハザマさん?」
困惑顔のノエルは言われるがままにハザマを見つめて首を傾げ――そして直後、びくりと震えた後に恐ろしい何かを見てしまったかのように目を見開いて両手で口元を覆い、半歩後退る。けれど決して目線はハザマから外さずに。
「違う……貴方は、ハザマさんじゃ、ない……? 黒い影……貴方は……誰……?」
震える声でノエルは問う。ハザマを見つめ続ける彼女の瞳の色がいつしか澄んだ緑から醒めるような蒼に変わっている事など、誰も気付く事なく。
蒼い視線の先で、『ハザマ』は笑う。
「誰かって? 俺がか? 俺は……『ユウキ=テルミ』だ」
――『ユウキ=テルミ』
脳がその人物名を認識した時、ラグナとマキシマの脳裏にはあの燃え盛る小さな教会が浮かぶ。
諸悪の根源、こいつが、目の前にいるこいつが。
湧き上がる憎悪に身を任せ、ラグナが剣を構えて振るわんと駆け出そうとしたところで、三人の背後に一陣の風が巻き起こった。
「いけない! ノエル、その男を『観測』ては駄目!!」
転移してきたレイチェルが声に焦りを含ませて張り上げる。
しかし、レイチェルが転移してきた時にはもう既に事が済んでしまっていた。テルミは両手を広げ、体を仰け反らせて大笑する。
「認識したな? テメェ、この俺を認識しやがったな? ヒッヒヒヒヒヒヒ! そうだ、おれは『俺』だ! 漸く取り戻したぜ、ありがとうよ! 流石は『蒼の継承者)』だ!」
「な、何あいつ……!」
事態は飲み込めないが、確実にマズイ流れになっている事は理解出来る。狼狽えながらマキシマがノエルを見ると彼女は震える己の体をしっかりと抱いたまま、呆然としながらも未だにテルミから視線を逸らさずにいて。
ラグナはノエルの肩を掴んで揺さぶる。
「おい、アンタ! しっかりしろ!」
「…………なに、あれは……黒い……スサノヲ……」
「おい!」
うわ言のように台詞を繰り返しながら、ノエルはテルミを見つめ続ける。まるで頭と瞳を見えざる手で固定されているかのように。
幾ら呼べどノエルは戻らず、ラグナは舌打ちをするとマキシマにノエルを押し付けて剣を構えるなりテルミに向かって駆け出し、大きく剣を振るった。
「止めなさい、ラグナ!」
止めるレイチェルの声は遅く、ラグナの大剣はテルミに向かって振り下ろされる。しかし狙ったはずの感触がせず、ラグナはもう一度舌を打つ。
ラグナの大剣は無造作に挙げられた黒スーツの片腕によって阻まれていた。
「おーおー、粋がるねぇラグナちゃんよぉ。右腕の調子はどうよ? あ、俺が吹っ飛ばしちゃったんだっけ? ごーめんごめん。ヒャハハハハハ!!」
殺意と憎悪を込め、渾身の力で大剣を振り下ろしたというのに。この男はこうも易々と受け止めていて。ラグナは尚も大剣に重みを掛けながらテルミを睨みつける。
ふ、とラグナに向けられていたテルミの視線が後方に向く。
「ラグナちゃんよりあっちのマキシマちゃんの方が賢明なんじゃね? テメェよりはちゃんと自分の力量が分かってて、俺様に向かって来ないんだからよ、ヒヒヒッ! どうよ、俺の空けた胸の傷は塞いだかぁ?」
「…………」
マキシマは答えず、ノエルを己の後ろに隠しながらテルミを睨みつける。
テルミはマキシマの態度に特に興味を持った様子も失せた様子もなく、依然と下卑た笑みを浮かべながら軽い調子で空いている片手を動かした。
「せっかくの再会だ……ついでにテメェの左腕も、あのアマの心臓も喰いちぎってやるよぉ! 来い、ウロボロス‼」
喚び声に応え、どこからともなくギャリギャリと鎖の走る音がラグナの耳に届く。その直後、テルミの肩口から蛇の頭を模した鎖が虚空から飛び出してきた。
「んなっ!?」
「っ……!」
出てきた鎖の数は二本。狙うのは宣言通りラグナの左腕と、マキシマの心臓だろう。
しかしそれは宙を走った雷光に弾き落とされ、鎖は姿を失せる。
「あ……?」
テルミの視線はラグナの後方で、マキシマ達を庇うように立つレイチェルに向けられる。
風に踊らされたかのようにドレスの裾やリボンで括られた髪は靡いていて、開かれた蝙蝠傘の先端はテルミに向けられ、深紅の瞳は射抜くようにテルミに向けられていて。
赤薔薇のような唇が小さく開かれた。
「観測された途端に随分とご機嫌ね。そんなに遊びたいのなら、私が相手になってあげても宜しくてよ……『坊や』」
口元に浮かべられた微笑は酷薄で、殺意よりももっと冷ややかなものを込めていた。
レイチェルはその場一帯をしてしまう程の威圧感を放ち、テルミだけでなくマキシマやラグナすらも強ばらせてしまう。
いち早く離脱を決めたのはテルミのようだった。
「お~怖い怖い。漸く器と融合できたってのに、此処でしくじる訳にはいかねぇからな」
細い肩を揺らしてケタケタと笑うとテルミは手のひらを天井に向け、ウロボロスを放った。上へ放った鎖が虚空を掴み、テルミの体を引き上げる。
「けどまぁ……すーぐにとっておきのショーを見せてやっから、首洗って楽しみにしとけよクソ吸血鬼!! ヒャーッハハハハハハハハ‼」
暴力的な哄笑を撒き散らし、テルミは地下空間から姿を消す。彼の気配が消えるとレイチェルも威圧的な空気を傘で払うかのようにして撒き散らし、傘を閉じた。
やっとまともな空気が戻ってきてラグナ達は安堵したが、まるで糸が切れたようにノエルがふらりと体勢を崩したためマキシマが咄嗟に支える。
「っあ……すみません……」
「別にいいよ」
どうやらノエルは正常な意識を取り戻したみたいだった。ノエルを支えて彼女を立たせてやっていると、次の事態が差し迫ってきた。
にわかに振動する床。自分が揺れているものだと思っていると地下空間そのもの事態が大きく振動し始め、ドン、とラグナ達の立っている場所を叩き潰すかのような振動が襲ってきてノエルとマキシマが倒れ込んだ。
「きゃあ!」
「ひゃっ……!?」
「うぉおっ!?」
ラグナがノエルの腕を引っ張って立たせてやっていると第二波がやってきた。それは天井に亀裂を作って進み、瓦礫を撒き散らす。その瓦礫の破片が窯を制御する装置の上に落ち、あちこちで爆風を巻き上げた。
「ちょ、ちょっと……なんかヤバそうじゃない!?」
剣を突き立てて立ち上がったマキシマが狼狽える。
チラ、とレイチェルが天井を仰ぐや否や足元に薔薇色の魔法陣を展開させ、周りに言う。
「もうこの場は持たないわ。皆、この魔法陣に入って頂戴」
言われた通り三人は淡く光る魔法陣に足を踏み入れた。三人がちゃんと入ったのを確認してレイチェルはさっと手を振るう。
四人は甘い薔薇の香りを引き連れ、激震する地下施設から姿を消した。