Be ready to rebel against the causality
月だけが見守る静かな夜。小高い丘の雑草を踏み分けて登っていく姿があった。
黙々と歩を進め、目当ての場所にたどり着いたマキシマは周囲をぐるりと見回して小さく笑みを零す。
此処は街からも離れており、わざわざ人が足を運ぶ理由もない。来るのはマキシマやラグナといった『理由』を知る極少数の人くらいで。
静かな場所だ。今も、昔も。
「……やっぱり此処は変わらないね」
焼け落ちたままの教会、それを静かに取り囲む森の木々、風に揺られてサワサワと音を奏でる草花、そして――マキシマの目の前で佇んでいる小さな墓石。
マキシマはしゃがむと目の高さになった墓石の前に小さな花束を供えた。ここに来る途中の街で買ったものだ。シスターは花が好きだったから、喜んでくれると思うのだが。
「ごめんね、シスター。来るのが久し振りになっちゃって。私の方は…………うん、色々あったよ。あのね、ジンに会えたの、昔は可愛かったのに今じゃ格好良くなっ……んんっ、中身はそんな変わってなかったかな。サヤにも会えたけど……」
脳裏に濃紫の髪の少女が浮かぶ。マキシマは一瞬渋面を作るとそれを振り払うかのように頭を振り、申し訳なさそうに眉を下げて笑う。
「……ごめん、シスターとの約束、守れそうにないかも。ジンと、サヤを守るって約束」
「あら、貴方らしくもないわね。弱音を吐くなんて。感傷に浸ってるのかしら?」
ふわりと漂ってくる薔薇の甘い香りと刺の含んだ声は。
後方を振り返っても姿は見当たらない。視線を上へと向けてみれば煌々と輝く月を背に傘を差し、宙空に佇んでいる姿があった。
「レイチェル……あんた、何時から居たわけ?」
立ち上がりながら声をかければ、地に落ちる花弁のように軽やかに降り立った薔薇の少女は傘をくるりと回しながら笑う。
「つい一瞬前よ。月が綺麗な夜だから空を散歩していたのだけれど、たまたま地上を見下ろしてみれば『死神』と呼ばれる下等生物のお仲間が、何やら物悲しく哀愁を漂わせていたのだもの。私、生物には等しく接する主義なの。だから仕方なく声を掛けてあげたのよ、光栄に思いなさい」
「あーはいはい、ありがとうございますレイチェル様! ったくもー……」
ガシガシと頭を掻き、呆れるマキシマ。全く、いつも会えば出会い頭はほぼこんなやり取りだ。いい加減慣れてきた。イライラする事に変わりはないのだが。
マキシマは腕を組み、本題を切り出す。
「で? わざわざあんたが出張ってきた理由は?」
彼女は『傍観者』だ。世界が回り、移ろいでいく様子を観客席で眺める事しか出来ない『理の外の者』。舞台の演目にケチをつける事は出来ても、決して舞台上に上がれない存在。だからマキシマ達に助言は送れても、直接手助けなぞ出来やしない。
こうして目の前に現れたという事は、今日もどうせマキシマをおちょくりに来たか、助言を授けに来たのだろう。……後者は限りなく確率が低いが。
「いえ、貴方がこれからどうするのかと思って。その下等で低脳な頭に、この私が崇高な助言を少しだけ賜ってあげようかしらと出向いてあげたのよ、感謝なさい」
「くっそ~~殴れるなら今すぐ殴りたい~~!」
「あら、足らない脳みそでは私に敵わないと理解出来ないのかしら?」
今回は珍しく後者だった。助言は有り難いが、それはそれとして目の前の小憎たらしい吸血姫をどうにかして泣かせてやりたくなる。
あからさまに息を吐き出して気持ちを切り替えたマキシマは声のトーンを意識して落とす。
「……私のやる事なんて決まってる。テルミを殺して、帝を倒して、サヤを取り戻す」
「帝……イザナミは『死』そのものよ。幾ら貴方の事象兵器があっても、彼女は『殺せない』……そういう仕組みなのよ」
「でも手段がないってワケじゃないんでしょ?」
レイチェルは傘を畳むと腕を組む。
「ええ、確かに。『倒す』事なら出来るわね」
まるで謎掛けだ。痺れを切らしたようにマキシマは『その』単語を口にした。
「…………『クシナダの楔』」
途端、レイチェルが僅かに目を見開く。
「貴方、どこでそれを……いえ、貴方の情報源なんてたかが知れてるわね。獣兵衛でしょう」
「そ。お師匠が昔ちょろっと零したのを思い出したの。『アレ』を『倒す』には『楔』を使うしかないだろう~ってね。ラグナと一緒に追及したんだけどお師匠も口を滑らせたって感じだったから、それ以上は何も教えてくれなかったんだけどね。もしかしてと思って聞いてみて良かったわ。で、楔ってなんな
の?」
「『楔』については私も詳しくは知らないわ。それに……『楔』を起動させる術は既に失われているの。十数年前にね」
「えっ、ええええええええええ!?」
全てを見透かしているとでもいうような彼女すら詳細を知らないとは。しかも起動させる術が失われているのなら、イザナミを倒す唯一の手段すらも無くなってしまったではないか。
けれど、とレイチェルは口元に手を当てると考え込む。
「変ね……テンジョウは楔を温存した……『使用』する事を『躊躇った』……。それにレリウスも未だ『楔』を危険視している……まさか、別の起動方法があるとでも言うの?」
「……レイチェル?」
独り言を続ける彼女のマキシマは恐る恐る声を掛ける。レイチェルは息を吐くと、傘に変幻していた使い魔のナゴに椅子に化けるように言い、そこに腰掛ける。
「良いわ、私の分かる範囲でなら『楔』について教えてあげる」
「……有り難う。助かるわ」
「素直な謝辞は嫌いじゃなくってよ。そうね……『楔』は……魔素を断つ力がある、と言えば良いのかしら。魔素の流れをせき止め、その活動の一切を封じ込めてしまう。簡単に言えば、魔素の無効化ね」
「それって、私のトリスアギオンと同じ……?」
事象兵器――翼刃・トリスアギオン』
セラミック製の一対の翼は飛行能力を有し、転換すれば一対の両手剣にもなるシロモノ。しかしそれだけが全てではなく、トリスアギオンには『触れた端から魔素を打ち消す』効果も有していた。
レイチェルが首を横に振る。
「一切の活動を止める、と打ち消して霧散させるのとでは意味合いも効果も違ってくるわ。だから貴方のトリスアギオンではイザナミにダメージは与えられても、決定的な一撃にはならない。帝を倒せない」
「……じゃあ当面の目標はその楔を手に入れるって事でいいの?」
「貴方じゃ無理よ」
「即答!?」
「理由は分からないけど、テンジョウはあの楔を『封印』したの……『境界の狭間』に。その封印を……門を開くには『蒼の継承者』……ノエル=ヴァーミリオンの『眼の力』が必要よ」
レイチェルの知る楔を起動する方法は失われているが、何か他の起動方法があるのかも知れない。そうでなければ『封印』を選ぶはずがない。使い道のない危険なモノは捨ててしまうに限るのだから。
ならば当面の目的はイカルガでノエルを探し、どうにか彼女に『楔』を『認識』してもらい、その起動方法を探すというので良いだろう。イカルガでの活動方針は決まった。
「それで、貴方はイカルガに?」
「ん。帝はあそこに全ての因果が集うって言ってた……それが罠だとしても、それに賭けてみる価値はある。それにもし、本当に罠だったとしてもこっちのチャンスに逆転させる位の気概で行かないとね!」
右手で拳を作り、それを左の手の平に打ち付けてマキシマは不敵に笑ってみせる。レイチェルはクスリと笑うが、不意に表情を引き締めると静かに問うた。
「マキシマ……貴方、貴方は最後の最後という時は誰の味方であれる?」
「な、何? 唐突に……」
「応えて頂戴」
有無を言わさない鋭い声と視線。ぐっと押し黙ったマキシマは暫し考え、ゆっくりと口を開いた。
誰の味方かなんて、そんなのは最初から決まっている。『あの日』から、ずっと。
「私は……私は、最後までラグナの味方だよ。ラグナが『黒き獣』になって世界の敵になっても、絶対悪になっても、私だけはラグナの側に居続ける……それが家族で、相棒である私の役目じゃない?」
照れたように笑い、頬を掻くマキシマの答えに満足したのかレイチェルは目を閉じる。
「……まあ、及第点ね。これから精進しなさい。特にその『事象兵器』は未完成。力を付けて、そして……その想いを貫きなさい」
そういうとレイチェルは椅子から降り、再びナゴを傘に変幻させると薔薇の香りを漂わせながら転移していった。
さて、とマキシマは墓石を一瞥し、踵を返す。
「それじゃあね、シスター。次来る時はいい報告が出来るようにするよ」
同じような問い掛けを、どこの世界で自分はしただろうか。宙空に転移し、去っていくマキシマの小さな姿に目を落としながらレイチェルは自問する。
『マキシマ。貴方は最後に立つ時、誰の味方でいるの?』
『はあ? 何それ、今更聞くの?』
去り際、肩越しに振り向いたマキシマが馬鹿にしたように片眉を上げる。
だってそうだ。全てを奪われた『あの日』から今日まで、マキシマはずっとラグナと共に行動をしてきたのだから。聞く方が愚問という話だ。
呆れたようにヒラヒラと手を振る。
『私はラグナの味方。あいつが黒き獣となって世界を滅ぼそうとも、世界の絶対悪になっても、私はあいつの側に居続けるよ。それが相棒で家族の私の役割だろうし、私もそうしたい』
じゃあね、と片手を上げてマキシマは去っていく。
そうして宣言通り、マキシマは最後の最期までラグナに寄り添い続けたのだ。世界を喰らう黒き獣に成り果てても尚、その道を選び続けた。
世界の終わる音がする。
紅玉のような瞳を一度閉じ、瞼を持ち上げる。マキシマの姿はもう米粒よりも小さくなっていた。
「きっと貴方は、この世界でもその選択を選ぶのでしょうね。そうして迎えた結末の果てで、貴方は笑えるかしら? 大事なだいじな『えいゆうさん』や妹を泣かせたとしても、その選択を誇れるのかしら?」
手招くように手のひらを宙へ差し出し、唄うようにレイチェルは紡ぐ。
それはレイチェルすらその『眼』で見ない限り分からない。ここは拓かれた世界だ。新たな可能性の満ちる世界だ。ならばその結末を迎えるまで、此処から眺めようではないか。
――全てが蒼く染まる、その時まで。