The spirit of the Frozen
「失礼致します、マキシマ様」
「誰?」
セリカと街を回り、帰って来たマキシマはベッドに寝転がり休憩をしていた。
すると部屋の扉がノックされ、ベッドに寝転んでいたマキシマは体を起こすと扉に寄る。扉を開け、来訪した人物を伺う。
それはマキシマよりも幾分か背丈の低い、黒い髪を綺麗に切り揃えた小柄な少年の衛士だった。しかしマキシマは彼を見た事がない。一体誰だと不審に思っていると少年がぺこりと頭を下げる。
「お初にお目にかかります。カグラ様の秘書官をやっております、ヒビキ=コハクと申します」
「カグラの秘書官……?」
そんな役職があったとは。マキシマは目を見開いているとヒビキが柔和に微笑んだ。
「先程までカグラ様より賜った任務で外出しておりました。自分が居ない間、カグラ様のお世話を代行して頂いたみたいで……」
ありがとうございます、とヒビキが頭を下げる。マキシマは照れ臭そうにそっぽを向くと頭を掻いた。
「別に……きちんと報酬貰って仕事しただけだし」
「いえ、それでも助かります。少しでも片付けないとカグラ様の執務室は汚れていく一方なので……」
ヒビキが深く溜め息を吐く。やはりあの司令官様の秘書官は相当堪える役職らしい。
それと、と真面目な表情になるとヒビキは続ける。
「カグラ様がマキシマ様を呼んでいらっしゃるのでお迎えに上がりました。会わせたい方がいらっしゃるので部屋に来い、との事です」
「会わせたい人……?」
一体誰だろう。マキシマが眉を顰める。わざわざ呼ぶ程の事と言う事は重要な人物なのだろうか。しかしヒビキは微笑するばかりで。
そのままヒビキの案内でマキシマは総領主室へと向かう。部屋が近づいてくると男性の苛立ったような尖った声が聞こえてきてマキシマは殊更眉を顰めた。総領主室が近づくに連れてどんどんマキシマの表情が厳しくなっていく。
「失礼します。カグラ様、お連れしました」
「おう、入れ」
「ねえちょっと待って、この聞こえてる声って――」
マキシマが止めるよりも早く、無情にもヒビキはノックした扉を開け放つ。正面に見えるのは金髪の衛士の背と執務席に座っているカグラであり。
金髪の衛士が、振り向く。澄んだ森のような緑眼が僅かに見開かれた。
「……姉さん」
「…………」
一瞬驚きに目を見開いた青年――ジン=キサラギはそれでも口を結ぶとパッとカグラの方を向いた。
てっきりこの間のように……いつものように親しげに声を掛けてくれるものだと思っていたから、無関心そうなジンの態度に少しムッとしてしまう。
入室してジンの隣に並ぶ。後ろで「失礼します」とヒビキが扉を閉じた音がした。
「カグラ……いつからだ」
「ん?」
「いつから彼女が滞在していると聞いている」
地を這うような声だ。部屋の温度が三度は下がったような気がする。背骨に氷柱を刺されたかのような感覚を覚えて思わずマキシマは腕を擦った。
あー、とカグラは思案する。
「十日前くらいからか?」
「なるほど。十日も貴様は彼女と一緒だったと」
パキ、と音を立ててジンの傍らに氷の墓標が隆起し、その中にあるユキアネサを掴む。バキン、と一際大きい音を立てて氷が砕け落ちる。
青褪めた長刀の鯉口を切る。キン、と冴え冴えとした音がした。
流石にこれにはカグラもマズいと感じたのだろう。凄い勢いで首と手を振る。
「いやいやいや!? 言っとくけど手は出してねぇからな!?」
「……手『は』?」
部屋の気温が冷凍庫並みになった気がする。
「訂正します! 手すら出してません!」
「こらこらこらこら!」
慌ててジンの腕を掴んで宥める。話題をすり替えるようにマキシマはカグラの方を見やった。
「で? どういう事、カグラ?」
自分を呼んだ理由と、隣に立つジンはなんなのかと言外に指し示しながらマキシマは問う。
命拾いしたと息を吐くカグラと、大人しくユキアネサを虚空に消すジン。
「何。可愛い弟が来たから会わせてやろうと思ってな。粋な配慮だろ?」
「そこまで情報がバレてるってわけ? 多大な配慮、わざわざどうも」
「……まさか、それだけの為に僕を呼んだのか?」
氷のように冷ややかなジンの声が刺さる。
「なんだよ~ジンジン、ほんとは会いたかったくせによ~。それにイザナミを倒して統制機構を乗っ取る為の仲間なんだ。他の奴らにもちっとは愛想良くしとけよ」
「……余計な世話だ。僕は僕の意志に従って動く」
ジンが踵を返して部屋を後にしようとする。そうして扉に向かう最中で手を伸ばし、マキシマの腕を掴んだ。
よろけるマキシマと、吹き出すカグラ。
目を白黒とさせながら助けを求めるようにマキシマはカグラへと空いている片手を伸ばした。けれど当然届かず、手は虚空を掴む。
「えっ、ちょっ、ねえ!」
「姉弟仲良くな~」
呑気そうに手を振り、カグラは「そう言えば」と扉を開けて廊下を曲がって消えていくマキシマに声を投げる。
「『死神』ラグナ=ザ=ブラッドエッジも来てるぞ。会いに行きたきゃヒビキに案内させるぜ」
「なんでそれこのタイミングで言うかな~~!」
ジンに引き摺られながらマキシマの姿は廊下を曲がって消えていった。
廊下を進み、客室のある通りを通過する。ジンは一つの客間の扉に手を掛けると迷わず開け放ち、マキシマを押し込むとと自分も入室した。
扉を閉め、ガチャリと鍵を掛ける。とてつもなく嫌な予感がしてヒヤリとした冷たいものがマキシマの背筋を流れていく。
「……姉さん」
「な、何よ」
今、ジンとマキシマは対面し合うように立っている。手を伸ばせば触れられてしまう程の距離だ。名前を呼ばれ、警戒するようにマキシマが半歩後ずさる。
ス、とジンの手が伸びてきた。伸びてきた手はマキシマの頬に優しく触れ、固く目を閉じたマキシマはビクリと肩を震わせる。
「ああ、やっと会えたね姉さん。こうして二人きりで会うのは随分と久しぶりな気がするよ」
「……馬鹿じゃないの。たったの一ヶ月ちょっとじゃない」
ゆっくりと目を開けると、そこには薄く笑っているジンが居て。その笑顔を見ているとどういうわけか肩から力が抜けていくのが分かっていく。
ああ、要するに総領主室での少し堅い振る舞いは『ジン=キサラギ』としてのモノか。
マキシマが思わず苦笑を零すと頬に触れていた手がマキシマの肩を掴み、そっと引き寄せられる。そのまま抱きしめられ、ふわりとジンの香りが鼻腔を擽った。何の匂いだろう、とマキシマは目を閉じる。
「姉さんと会えない一ヶ月なんて長いものさ。……ところで、返事は用意してくれたかい?」
「げっ」
正気に戻ったマキシマはジンの腕を掴んで勢い良く体を引き剥がすとあからさまに目を逸らした。再度マキシマを引き寄せ、ジンは喉で笑うと彼女の耳元で囁く。
「待つのは少しだけ、と言っただろう?」
「言った、けど……」
急速に頬に熱が集まっていくのが分かる。赤くなった顔を隠すように俯きながらマキシマは声を絞り出した。
確かに『少しだけ待って欲しい』とジンに言った。『必ず返事をするから』とも言った。そしてそれを告げた日からは一ヶ月以上経っており、ジンの示す期限には十分過ぎるほど達している。
しかし、マキシマには未だに心の準備が出来ていなかった。今だって胸が張り裂けそうなまでに心臓が脈打っているし、声を出そうすると喉がカラカラになる。鼓動の激しい胸を片手でギュッと押さえる。
「けど、なんだい?」
「……無理、心の準備が出来てない……」
何だそんな事か、とジンが笑う。そんな事とは何だ。自分は精一杯切り出したのに。
抗議しようと顔を上げると、すい、とジンの顔が近づいてきた。間近に感じる彼の吐息。
思わず目を見開いていると唇が重なり合った。驚きに身を固めていると顔が離れ、ジンはくすりと笑みを零す。
「そういう事を言うっていう事は、僕が好きだっていう事でしょ? ねえ、姉さん」
全くもって言い返せない。言葉が詰まり、それがどうしようもなく悔しくてマキシマは俯いて顔を隠すとジンの胸板を叩く。当然力なんて込めていない。だから痛くないくせに痛いよ、なんてくすぐったそうな声が聞こえてきて。もう一度マキシマはジンを叩いた。
「それで? 姉さん、返事は?」
「…………好き。ジンが、昔から好き」
小さく、けれどはっきりとジンに聞こえる声でマキシマは呟く。
言い切った後にジンの胸板に顔を埋めると、ジンはその真っ赤になっているマキシマの耳に唇を寄せて囁いた。
「僕も。ずっと昔から誰よりも好きだよ、姉さん」
遠くで瞬く星は燦然と輝いていて。欠けた月に覆われても尚、その輝きは損なわれず。星を掴まえる術を知ったのなら、後は手を伸ばして掴まえるだけだ。
僕だけの愛しの星。どうか僕の腕の中で美しく瞬いて。