Goodbye To
Eternal Regression

What appears to the eye

「どうしよう」

 朝起きての第一声であった。
 部屋に備え付けられた洗面台の鏡を見ながらマキシマは途方にくれたように呟く。鏡の中に映る自分の顔はなんとも情けない顔をしていた。
 生まれてこの方デートなんて綺麗で可愛い事とは無縁だったし、話を切り出された時は目の前が眩む感覚を覚えてしまったくらいだった。どうやってベッドに入って寝たか覚えていない。
 デートって、何をするんだっけ。
 ぐるぐると考え込んでも正しい答えなんて分かりやしなかった。なんだって経験がない。聞いた事位はあるが、どれもなんとなくの知識しかない。一緒に街を歩いただとか、お茶をしただとか。そういうぼんやりとした事くらいしか。
 言ってしまうとそういう『年頃』の女性らしい事とはほとほと無縁の人生を歩んできたのかも知れない。進む先の道に輝く希望の光が弱く、血で塗り固められた泥臭い人生。明るいか暗いかと言われれば暗いとしか言えない人生。
 しかしそれが嫌なのかと言えばNOだった。
 確かにテルミには恨みがある。教会を燃やされ、全てを奪われた事は許せない。しかし今日びこの時まで生きてきた道に間違いがあるとはマキシマは思ってもいなかった。
 これが自分の歩んできた道だ。目が霞む程、無限のように伸びる『道』の中で選んできた人生だ。ならば誇りをもって生きるしかない。

「ほんとにどうしよう」

 額に手を当てる。幾ら自分の人生を見つめたって答えが見つかる筈もなく。
 約束の時間は朝の十一時。今はおよそ九時を過ぎた頃。移動を考えれば残り時間は二時間弱。この少ない時間で何が出来るのかと考え始める。
 可愛い服なんて持ってないし、今から買いに行くにしたってこんな時間から店が開いている筈がない。もうこれはいつもの格好で行くしかないのではと結論に至りかけた時、一つの名案が浮かんだ。一種の賭けだったかも知れない。

「カグラとヒビキに頼るしかない……」

 絶対冷やかされるだろうとか、からかわれるだろうから嫌だなんて言っていられない。忙しくなければヒビキなら話を聞いてくれそうだし、カグラならこういう話に通じていそうだ。寧ろ通じてなかったら一体なんだという話だ。
 取り敢えず軽く身なりを整えて総領主室へと向かう。忙しかったらどうしよう。いや、その時はその時だ。ノエルとかセリカとか、相談に乗ってくれるだろう。年下の女の子に相談するのはかなり気恥ずかしいが。

「カグラ、居る?」

 考えている内に総領主室は目前で。ノックをすれば「開いてるぞ」と軽い返事がやってくる。そろりと扉を開けて中の様子を確認する。珍しくカグラは執務机に座って書類に目を通しており、その傍らにはヒビキが控えている。

「……今、暇じゃないよね。うん、出直すわ」

「いやいや、全然暇だぜ。なあヒビキ?」

「ええ、カグラ様がサボらず手を動かせば、午前中で終わってしまう程度の量しか御座いません」

「……それって暇じゃないんじゃ?」

 やはり出直そう。そう思って扉を閉めようとするとそれよりも早く言葉が飛んできた。

「あのなぁ、女の子の話一つ聞けずに仕事して何が男だよ。ほら、さっさと入れ」

 「変なとこで消極的だな、お前」と笑いながらカグラは机の脇に書類を退かして話を聞く体勢を取る。
 ちらりとヒビキを伺ってみれば仕方ない、と言いたげにため息を吐いて瞑目していた。じゃあ、とマキシマは思い切って総領主室に入る。そして扉を閉めるといよいよ話題を切り出した。

「実は――」


◆◆◆


「ヒビキ……あんたって……」

「はい?」

「何でも出来るんだね……」

「カグラ様の秘書官なので」

 ヒビキの指が淀みなく動き、鏡の中で居心地悪そうに椅子に座っているマキシマの髪がすいすいと編み上げられていく。
 凄い。まるで魔法みたいだ、なんて常套句が喉に上がってくる。そのままそう言うとヒビキは「そんな大層なものではありませんよ」と小さく笑った。
 カグラとヒビキに相談してからは何もかもが早かった。あれよあれよという間にカグラの指示でヒビキが何処からか洋服を持ち出してきて別室で着替えさせられた。座れと言われて化粧を施され、こうして髪まで弄ってもらった。まるで自分が自分ではない誰かになっていくような不思議な感覚。なんだかふわふわする。

「はい、出来ました」

 最後に造花のコサージュを髪に付け、ヒビキは一歩離れる。そっと立ち上がって鏡をまじまじと見ると、そこにはまるで良いとこのお嬢様のような姿をしたマキシマが映っていた。
 不思議そうで、けど不安そうにも見える表情が服と釣り合っていなくてなんだかチグハグだ。

「凄い、何か普通の子みたい」

 清楚な白いブラウスにシックなデザインの黒いスカート。柄の入った綺麗な黒いタイツにエナメルの靴。特に胸元の赤い宝石が埋められたリボンタイが気に入った。
 くるりとその場で一回転してみる。ふわりとスカートが広がった。

「変じゃない?」

「いえ、全く。とてもお似合いですよ。きっとキサラギ少佐も喜ばれます」

 そうですよね、と同意を求めるようにヒビキは傍らで見守っていたカグラに投げかける。
 が、反応がない。どうしたのかとマキシマがカグラの顔を伺おうとすると、ガシリと唐突に両手を掴まれた。

「な、何!?」

「なあ、マキシマちゃん……天使って見た事あるか? 俺はあるぜ。なんせ今、俺の目の前に降り立ったんだからな」

「ちょっと、私この服を早々に血で汚したくないんだけど」

 脛を蹴飛ばせば大仰に痛がりながらカグラは離れていった。まあ、そういうお世辞を言ってくれる程度には可愛くなれているんだろう。
 なんてったってこんな事は初めてだ。何も分からない。ジンが喜んでくれるのかさえも不明だ。だからせめて、喜んでくれたら良いなと願う。

「それじゃ、行ってくるね」

「はい、いってらっしゃいませ」

「おー、楽しんでこいよ」

 二人に手を振り、マキシマは部屋を出るとカザモツの街に繰り出していく。指定された場所は何処だったかと少し不安になったが、なんとか時間までに辿り着けた。一息吐き、なんとなく落ち着かなくてマキシマは両手でしっかりとカバンを持ち直すと空を見上げた。まるでこの日の為に頑張りましたと言わんばかりの綺麗な晴天で。
 落ち着こうと思っても心が逸るばかりで、全く冷静になれない。これが戦いなら致命傷の一撃を受けかねない程気がそぞろだ。
 もう一度息を吐く。と、マキシマが浮き足だっていると背中側から声が掛かった。聞き慣れた声。驚いて勢いよく振り返ってしまう。

「ああ、やっぱり姉さんだった」

 柔らかく笑う彼があまりにも絵になるから、一瞬息をする事すらも忘れて惚けてしまう。
 黒のトレンチコートを羽織り、眼鏡を掛けている姿は見慣れていなくて目がチカチカしてしまう。
 そうしてやって来たジンは、不思議そうにマキシマの顔を覗き込んだ。

「……姉さん?」

「あっ、な、何!?」

 平静を保とうとして逆に声が上擦ってしまう。
 ああ、これではまるで自分がジンに惑わされているようではないか。
 一歩下がろうとすると、それを逃さないと言いたげにジンに手を握られてしまう。やんわりと防がれてしまったら逃げられない。

「いつもの姉さんも素敵だけど、今日の姉さんも素敵だね」

「っ、」

 顔に熱が集まっていくのが分かる。嬉しい、恥ずかしい。そういった感情がごちゃまぜになって心の中で暴れる。居たたまれなくなってマキシマはジンの腕を掴むと一歩踏み出す。

「ほら、カザモツを見て回るんでしょ!? 早く行くよ!」

「そうだ、今日は名前で呼んでも良いかい?」

「絶っ対、ダメ!」

 そんな顔で、そんな声で名前を呼ばれたらきっと心臓が保てないから。


◆◆◆


 日も昇ってきて、賑やかな喧騒に包まれたカザモツの街をジンとマキシマは腕を組んで歩いて行く。行き交う人々の中には親子連れだったり、恋人同士だったりと実に様々で。
 同じように見えているのだろうかと、マキシマはジンの腕を掴む手を少し強めた。

「姉さんは何処か入りたい店はあるかい?」

「んー、何がいいかなぁ……」

 歩いている間に緊張も解けてきて、平素の立ち振る舞いが出来るまでに落ち着けたかも知れない。立ち並ぶ店をあちこち見回してマキシマは何処の店に入るか選び出す。

「じゃあ、こっち」

 あの店がいい、と示した店はアンティークの小物を扱った店舗だった。二人で並んで扉を潜ると少し埃っぽい、古めかしい匂いがする。
 所狭しと棚や机に並ばれているものはどれもマキシマの目には物珍しいものであり、一つ手に取ると様々な角度から眺め始めた。
 精巧な作りのブローチ。綺麗に研磨された香水瓶。白磁器の肌に金糸をあしらった小さなドール。それらを次々手に取っては眺め、元の場所に戻していく。見る度に感嘆の息を吐いている事から楽しんでいるのだろう。

「あ、こっちにはこんなのがあるんだ……」

 興味ありありとマキシマは腰を屈めて棚に並んだ小物を物色していく。面白いものがあったのか目を輝かせているマキシマを見、ジンも小さく微笑む。
 本当ならばマキシマに『こんな事』をさせたくはなかった。犯罪者として謗られ、詰られ、その首に掛かった懸賞金目当ての咎追い達に追いかけ回られる日々など送ってはほしくなかった。いつか暮らした教会の時のように、穏やかで平穏な、なんて事はない日々を送って欲しいとジンは願っていたのに。
 だからその代償に、とは言わない。けれど何のしがらみもなく、ただ普通の人として今日はマキシマに一日を楽しんで貰いたかったのだ。
 ――せめて、今日くらいは。

「姉さん」

「ん?」

 名を呼べばマキシマは不思議そうな面持ちでジンの隣に並んだ。ジンは持っていたイヤリングの片方をマキシマの耳に当てる。涼やかな音がし、マキシマは目線を横に動かした。ジンが持っていたのは翠の石が嵌め込まれた、瀟洒なデザインのイヤリングであり。
 翠の石。ジンの瞳と同じ色だ。

「これも姉さんに似合うと思うんだ」

「そ、そう?」

「ああ。だからこれは僕からのプレゼント」

「ちょ、ちょっと待って!」

 慌ててマキシマは振り返った。そしてイヤリングを手にするジンの手を掴む。

「そんな……こんな高そうな物、はいそうですかって受け取れるわけないでしょ!」

 それにこんな綺麗な物、戦いの最中で壊したりでもしたら一大事だ。申し訳なくてきっと顔が合わせられない。
 しかしジンは小さく笑うとマキシマの手に触れる。男だからか、ユキアネサの使い手だからだろうか。ジンの手は幾分かひんやりとしていた。

「貰って欲しいんだ。今まで何も出来なかったから」

「……、ジン……」

 そんな顔でそう言われてしまったら、受け取らざるを得なくなってしまうではないか。
 ずるい、と呟いてマキシマは僅かに俯く。

「その……ありがと。嬉しい」

「うん」

 大事にしなきゃ、と思いながらマキシマは小さく微笑んだ。
 そうして買い物を済ませ、再びマキシマ達はカザモツの街を歩き始める。目に付いたカフェで昼食を取り、ウィンドウショッピングをしながら当てもなく回っていると、最初の緊張が嘘だったかのようにマキシマも笑う事が多くなっていてジンは顔を綻ばせた。
 やはり、マキシマには笑っていてくれた方が嬉しい。

「ねぇ、あっちで何か催しやってるみたい」

 好奇心で顔を輝かせるマキシマに手を取られて進む。人混みを掻き分けた先では大道芸人がパフォーマンスを披露しているところだった。客から借りた物でジャグリングをし、剣を飲み込み、大きな玉の上に乗ってバランスを取る。よくある芸ではあったが、面白かったらしくマキシマは手を叩いて惜しみなく拍手を送っている。ならば良いか、とジンも倣って拍手を送った。
 正直言ってしまえば芸の善し悪しにはあまり興味が湧かなかった。けれどマキシマが楽しそうならそれで良いかと思う。
 マキシマの為になるなら、マキシマが喜ぶのなら。

「姉さん、少し歩こうか」

 人混みを抜け、街の外れを目指してジンは歩き始める。何処に行くのだろうと思っていると、足元の石畳が途中で地面になっていく。人が通れる位の道が整備されているが、少し斜面になっている。普段なら何の問題もないのだが、今日は折角お洒落をしてきているのだ。あまり服を汚すような事は避けたい。まさかと思いながらマキシマはジンに問う。

「この先なの?」

「そうだよ」

 観念してマキシマは坂道を歩き出す。いつもなら何ら問題のない坂道でも、綺麗なエナメルの靴ではいささか歩くのに苦労する。
 ジンの先導で進んでいると辿り着いたのは小高い丘の上だった。丘を登りきって頂上に立つと涼やかな風が吹き抜けていき、マキシマは暴れる髪を手で押さえつける。

「ほら、姉さん」

 バランスを崩して落ちると危ないからね、とジンが手を差し出してくる。そこまで子供ではないと反論しようかと思って口を開きかけたが、今日の自分の格好を思い出して閉口する。差し出された手にそっと己の手を重ね、握るといよいよ景色に目を向けた。
 わあ、と自然にマキシマの口から感嘆のため息が漏れる。
 ジンに案内してもらった場所は、カザモツの大きな湖が一望出来る場所だった。沈み行く夕焼けが湖に反射し、キラキラと輝きを放っている。

「凄い、綺麗」

 その光景に見惚れながらマキシマは呟く。そんなマキシマを見てジンはクスリと笑い、握る手に少し力を込める。

「姉さんは、この戦いが終わったらどうするんだい?」

 探るような、確かめるような声色。そう言えば、言われてみてようやくその考えに至った。
 今まで機会はあったのに、一度たりともその事を考えた事がなかった。テルミを倒す、イザナミを倒す事しかなく。その先を考えた事がなかったのは、終わりのその先を見つめたくなかったからか、それとも。

「どうだろう、考えた事もなかった。でも……うん、そうだね。もし叶うんだったら……」

 ザア、と風が吹いてマキシマの言葉をかき消す。夕陽を背に困ったように眉を下げて笑うマキシマの姿は、きっと永劫に覚えていられるだろう。
 気が付けば、ジンは引き寄せられるようにして掴んでいたマキシマの手を引いていた。握る手は解かず、決して離れないようにと強く握りながら。
 紡がれた愛しの言葉を攫うように、ジンはマキシマの唇を塞ぐ。
 ややあって離れたジンの瞳に映ったのは、気恥ずかしそうに笑うマキシマで。 

「その時は、姉さんの隣に立っていたい。駄目かい?」

「ううん。ジンが居てくれたら、すごく嬉しい」

 クスクスと笑い、マキシマはジンの腕に自分の腕を絡めた。

 ――叶うなら、『あの時』みたいに暮らしたいなぁ。

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