Star of Gladness
暫く歩いた後、マキシマは息を吐いて立ち止まると魔素で濁った空を見上げた。
日が傾きかけてきたがまだ完全に沈むには至っておらず、マキシマの歩く石畳を赤々と照らしている。この調子で歩き通せば年を越す前には支部に辿り着けるだろうと目算をして歩き出そうとしたが、マキシマはちらりと後方を見るとトリスアギオンを起動させて背後で羽ばたかせる。
それが合図だったようで、今の今まで身を隠していた『その人物』はマキシマの数メートル後方に音もなく姿を現した。その異形さにマキシマは一瞬眉を顰める。
「……統制機構の第零師団『審判の羽根』か……何の用?」
法衣のように汚れのない真白の外套を羽織、目深に被ったフードからは一つ目の模様を描いた面が覗いている。音もなく立ち尽くす姿はいっそ不気味ですらある。
統制機構の第零師団、通称『審判の羽根』。その噂はマキシマも聞いた事があった。
統制機構も中でも異質な部隊。裏切り者や反逆者などを取り締まり、断罪する異端だ。故に『ゴミ処理部隊』と揶揄されていたりするとか。
「現在このカグツチはレベルDの警戒態勢であり、これより先は一般人の立ち入りを許可していません。即刻立ち去りなさい」
警告の色を持つ声は女性のソレだった。一瞬、マキシマのトリスアギオンに注視したような気がする。
「……武器を下ろしなさい。抵抗は統制機構への反逆、引いては帝の反逆と見なします」
マキシマの胸中に違和感が巻き上がる。この声、どこかで聞き覚えはなかっただろうか。それもごく最近に。
そう思っていると女が面に手を伸ばし、それを外すと羽織っていた外套も取り払った。それによってフードの中に収められていた女の全貌が明らかになる。
カメリアレッドの長髪。意志の強そうな青い瞳。本のような盾と、ペンのような剣を携えている。そして白い戦闘装束。
その人物をマキシマは見覚えがあった。剣、盾、礼装の三つを合わせて何と呼ばれているのかも知っている。
「ツバキ=ヤヨイ……? あんた、どうして此処に」
ツバキが不思議そうに眉を寄せる。まるで、見慣れないものを認識するかのように。
「貴方のような知り合いは存じ上げませんが。……これ以上の警告はありません、引かないのなら、」
ツバキの姿が揺らぐ。剣形態に転換したトリスアギオンをクロスに交差させて防御に出た瞬間、硬質な金属同士がぶつかり合う悲鳴が木霊した。
トリスアギオンが震える。交差させたトリスアギオンすら斬るとでも言うように振り下ろされていたのは当然ツバキの剣であり。
「――統制機構への反逆と見なし、貴方を断罪します!」
「はっ、上等!」
ギリギリと耳障りな金属音を生みながら二人は正面から睨み合う。
しかしマキシマは不敵に笑うと膂力だけでツバキを押し返し、距離を作ると剣の片方を投擲した。ツバキに防がれたそれは遠くへ飛んでいくが、一瞬後にはマキシマの手の内に戻っている。
事象兵器(アークエネミー)とはそういう性質を持つ物だ。使用者の手から離れていても心の内で呼べば、それに応えるように召喚される。
一足で踏み込んだマキシマは身体を大きく捻り、回し蹴りを放った。交差した腕で防がれてしまうがミシリ、と嫌な音がする。ツバキの端整な顔が少し歪む。
構わずマキシマは連続して蹴りを放っていく。じわりじわりと削るように、絡め取るように。確実にツバキを追い込んでいく。
「この……っ!」
追い込まれ、背後に壁が迫っている事を感じたのか、ツバキが剣を突き出してくる。顔目掛けて放たれた剣をマキシマは首を傾けて避け、大きく隙が出来た事によってマキシマはツバキの懐に入り込むと彼女の胸目掛けて肘鉄を繰り出した。
華奢なその身体が容易に宙を舞って石畳に叩きつけられる。一気に肺から空気が押し出され、胸部を圧迫されたツバキが苦しげに呻きながらよろりと立ち上がった。敵意を瞳に宿し、マキシマを睨みつけてくる。
話で聞く限りでは大人しく争いを好まない子だと聞いていたが、やはりそこはあくまでも統制機構の衛士だというわけだろうか。戦いは好まないが、必要とあらば武力で制する。戦う覚悟はあるという事なのだろう。
しかし、だからと言って負けてやる義理など何処にもない。自分は支部に行かねばならないのだ。そこに何が待っていようとも、必ずだ。
だから阻む者は排除する。マキシマは苦しげな表情を浮かべるツバキへ歩み寄るとその喉元にトリスアギオンを突き立てた。ツバキの肌に僅かだけ切っ先が埋まる。
「交錯は一瞬。でもその一瞬で勝敗が決まる事がある。どう? あんたは今ので勝ち負けが分からないほど愚かなの?」
「……反逆者風情が、偉そうに」
努めて平静を保ち、冷ややかにツバキを見下ろす。ギリ、とツバキが奥歯を噛んだ。
まるで視線だけで人を射殺しそうなほどの気迫を放っている。聡明な彼女の事だ、全てを言わずとも理解出来るだろう。
一瞬の沈黙の後、マキシマはツバキの喉元からトリスアギオンを離すとトリスアギオンを解除する。空気に溶けるように消え失せた事象兵器をツバキは信じられないような目で見送った。
そう言えば、彼女の前で『これ』を見せるのは初めてだったか。何せ接点があまりない。
自分は統制機構に追われている身で、あちらは統制機構の衛士だ。まあ、それを悲しむような可愛らしい性格は生憎とマキシマは持ち合わせていない。
頭を掻いたマキシマは一歩下がる。
「んじゃ、通らせてもらうから」
睨みつけてくるツバキから逃れるように中層部の奥を目指してマキシマは駆け出す。あの場に留まって増援を呼ばれるのは御免被りたい事でもあった。軽快に走りながらマキシマはやれやれと息を吐く。
そう言えば――今の今まで忘れていたが、ラグナはどうしているだろうか。『死神』という賞金首がこのカグツチにやってきているという噂は耳にしたが『ラグナ=ザ=ブラッドエッジ』の名前はとんと聞いていない。『前』のカグツチでは誰もがその名を口にして騒ぎあっていたのに。
少し引っかかるが、それも支部にたどり着けば何か分かるかも知れない。大きな事象干渉の事も、行方不明になったラグナの情報も、何かを得られるかも知れない。
そうだ、きっと解決する。きっとラグナに会えるし、またバカ騒ぎをしてふざけあうんだ。そう、きっと全部が上手く行く。
きっとまた――前のように、暮らせるから。
望みを募らせながら、マキシマは日が落ちる中層部を駆け上がっていく。
そうして夜も更け始めた頃。
中層部を暫く歩き、マキシマは適当な研究施設に目星を付けると建物の周りを歩いて確認する。どうやら此処は打ち捨てられた古い研究施設らしい。
それを確認したマキシマは適当な扉を見つけるとドアノブを捻る。しかし鍵が掛かっているのか回したノブは軽く、苛立っていた事もあってマキシマはドアノブを殴って壊した。
ガチャン、と無常な音と共に落ちるドアノブを無視してマキシマは中に入っていく。大分前に打ち捨てられたのか、あらゆるものに埃が積もっている。例えば棚の上、机の上、機械の上。
仮眠室のようになっている部屋を見つければそこも大分埃が溜まっていて、とてもではないか人が居れるスペースではなかった。仕方なくマキシマは窓を開けて換気しながらバサバサとベッドを叩いて埃を出す。かなり荒っぽいが、まあなんとかなった。
最後に窓を閉めればなんとか一泊出来そうな感じには仕上がった。マキシマは携帯している保存食を食べ終えるとベッドにごろりと横になる。まだ埃っぽさを感じるが、まあ許容範囲だろう。
強行軍にも等しい早さで移動している疲れがすぐに現れたのか、マキシマはウトウトとし始める。それに抗う事なくマキシマは瞳を閉じると、暫しの夢の時間に身を委ねたのだった。
――その記憶は何処までも黒く、赤く、絶望の色に染まっていた。世界の終わる音がする。
ぼんやりと終末の空を見上げていたマキシマは、ゆっくりと手元を見下ろした。マキシマは地面にぺたりと座っており、何か、地面に横たわる真っ黒な『それ』から伸びる細いモノを握っている。
きっとそれは、よく見れば人間の手のようなものだと見受けられるだろう。火傷をして炭化した肌よりも黒く、闇に塗り潰されたような色をした。
いま一度、ぎゅっとマキシマはその手を握る。反応はなく、黒い『それ』は静かに呼吸を繰り返していた。
「何時までそうしているのかしら」
背中から鈴を転がすような綺麗な声が掛かる。この声は、きっとレイチェルだ。しかしマキシマは振り返る事なく、じっと手元を見つめながら呟く。
「この世界が終わるまで。それが、私の役目だから」
「それはもう人間ではないわ。それは黒き獣。世界を破滅に導く厄災。だと言うのに、まだ貴方は側にいるの?」
「うん」
どこまでも穏やかな声音だ。それがあまりにもこの終焉の世界には似合わなくて。
優しい手つきでマキシマは手のような部分を撫でる。
「言ったでしょ。どんな姿になっても、世界の敵になろうとも、こいつは私の……大事な家族だから。私は側に居続ける。肯定し続ける」
「愚かね。貴方も、彼も」
「馬鹿だから、こういう事しか出来ないんだよ」
力無くマキシマは笑い、心底呆れたようにレイチェルが溜め息を吐きながら肩に掛かった髪を手で払った。金糸のような髪がはらりと揺れる。
「……もう直ぐこの世界は終わるわ。そうして何回目かも分からないループが始まる。此処は終点であり起点。世界は滅び、英雄が立ち上がる。そうしてまた、貴方達は導かれてあの地へ行くのよ」
「うん、知ってる」
そこで自分がどんな惨たらしい姿で殺されるのかも理解している。しかしその声は何処までも穏やかだ。自分の死と運命を知りながら、それを受け入れているかのように落ち着いている。
「でも、きっと未来はある。諦めなければ、最後に勝機はあるから」
マキシマが笑う。
「だから、今はお別れ」
世界が崩壊する音がする。この世界ももう保たないのだろう。
起点はきっと此処から。此処から全てが始まり、溢れ出た悪が世界を喰らい尽くす。
せめて最後は笑顔で居たい。込み上げてくる涙をぐっと堪え、マキシマは目の前の『それ』に語りかけた。
「じゃあね、ラグナ。次の世界でも、絶対会おうね」
世界が、黒く染まる。 Back