Lost peace
視界が回る。ぐるぐると回る。白と黒が襲ってきて、視界がチカチカと明滅する。上を向いているのか下を向いているのかも分からない。
それは一瞬だったか、それとも永遠のような時間であったか。マキシマには分からないが終わりは唐突に訪れる。不味い食べ物を吐くかのように空間から出され、重力に従って落ちていく。今回は受け身を取る暇が無くて背中から思いっきり落ちてしまった。
痛みに呻いているとするりと手を出され、マキシマは目を瞬かせる。
「ジン」
「姉さん、大丈夫かい?」
「う、うん。大丈――」
差し出された手を握ってマキシマは立ち上がるが、起き上がって見えたジンの背後にある建物を視認したマキシマの表情が強張る。マキシマより少し先に転移を終えていたらしいジンはさして驚く様子もなく、神妙な面持ちで振り返った。
だって視線の先には――もう随分前に焼け落ちた筈の建物が記憶の中の姿のままで鎮座していて。
「嘘、でしょ……」
記憶の奥底にある教会と寸分違わない建物が、目の前にある。
同じ構造をした別の教会だったらもしかしたらあるのかも知れない。しかし見える範囲にある森や丘といった地形すらも同じというのは有り得ないだろう。つまりこれは何処かにある別の教会ではなく、マキシマがラグナ達やシスターと過ごした――
こみ上げた郷愁を振り払うかのようにマキシマは頭を振る。
「……ラグナ達は?」
「一足先に教会に向かっているよ」
「入ってるの!?」
あの得体の知れない建物に。見た目は同じでも中身までそうと限らないだろう。
気味悪そうにマキシマは教会を一瞥した。視線の先にある窓からは温かそうな明かりが漏れている。柔らかな光を発する記憶の中の教会は、扉を叩けば今にでもシスターが笑顔で出迎えてくれそうな気がして。
少し考え込み、マキシマはジンの裾をくいと引く。
「……行こ。ここに突っ立ってても何も進展しないし」
「ああ」
二人で並んで歩き出す。踏む度にサクサクと聞こえる芝生の音や森の匂い、時折吹き付ける風が紛れもなく今この瞬間も現実だという事を知らせてきて。
いよいよ玄関が目の前に迫る。数度深呼吸をしたマキシマは意を決して扉を開いた。
「ほんとに……あの教会なんだ……」
中に入り、辺りを見回す。長椅子の配置や棚に置いてある小物。その他細々としてもの含めた全てが『あの時』のままであって。背が伸びたから目線は違えど、ここが『あの時の教会』だと言うのはいやでも理解してしまう。まだ他の居住スペースなどは見て回っていないから断言できないが、そちらもマキシマの記憶通りの部屋があって、部屋の持ち主の物が置いてあるのだろう。それはきっとマキシマのであり、ラグナのであり、ジンのであり、サヤのであり。
「遅かったじゃねぇか」
「ラグナ」
長椅子の背もたれ部分に腰を掛けているラグナがひらりと手を振る。無事ラグナは転移出来ていたようだ。よく周囲を見てみると少し離れた長椅子にはレイチェルとノエルが思い思いの場所に腰掛けている。
適当な長椅子にマキシマとジンは腰掛けるとレイチェルが口を開く。
「遅かったわね、マキシマ。この私を待たせるなんて一体どう弁明してくれるのかしら?」
「はぁ!? 遅れたの私のせい!?」
「時間硬化によるものだから、姉さんは気にしなくて良いんだよ。……それを含めて情報の擦り合わせを行うぞ、魔女」
マキシマに向けられた甘く優しい視線と声がガラリと変わり、冷ややかな視線でレイチェルを見やる。視線を向けられただけで体温が下がってしまう程冷たい視線。しかしレイチェルはそれを子猫の威嚇かしらとでも言うような涼やかな顔で受け流す。
そうして五人はどうやってレクイエムの元から脱出出来たのか、何故人によって転移してきた時間に差があるのか、獣兵衛は無事なのか、此処はなんだと話し合い、互いの知識を擦り合わせて行く。
三時間はぶっ通しで話し合っただろうか。マキシマがあくびをし、ノエルは眠たげに目を擦る。レイチェルは眠たそうにうつらうつらとしていて。
ここらが潮時だろう。話し合いを終わりにして各部屋で就寝する事となる。
「レイチェルは私の部屋で寝て。セリカはシスターの部屋で寝てるんだっけ? そしたらラグナとジンが自室、ノエルはサヤの部屋で寝てもらっていい?」
「私は大丈夫なんですけど……」
「お前は何処で寝んだよ」
随分昔と言えど、ラグナもある程度は協会の内装を覚えている。この部屋割りだとマキシマは床か長椅子で寝る選択しか残されていない筈だ。
ノエルとラグナの声にマキシマはふふんと得意げに胸を張り、人差し指を立てる。
「今、この教会に一番長くいるのは私。つまり私がリーダーであり、他の人が快適に過ごせるようにしなくちゃならないの。だから――」
「つまり、寝床がねぇんだろ?」
「遮らないの! あとあるし! 長椅子!」
「ベッドじゃねぇじゃねーか!」
「寝れるんだからベッドです~~! 簡易ベッドです~~!」
ギャンギャンと言い争いが始まってしまう。もう夜も遅いし、レクイエムの件で皆疲労が溜まっている。体力的にもそろそろ厳しいだろう。だから――
ぐい、と。口論していた片割れのマキシマを引き寄せたジンは横抱きにすると、スタスタと自室の方へと向かって言ってしまった。「なにすんの」とか「下ろして」というマキシマの声が聞こえてくる。
「姉さんは僕と相部屋。これで文句はないだろう?」
有無は聞かないと言いたげに扉を潜って居住スペースに行ったジン達を、誰一人止める事もなくただただ呆然と見送っていた。
マキシマを抱き抱えたまま、上手にジンは自室へと入る。そこで漸くマキシマを下ろし、ジンは明かりをつけた。明らかになった彼の自室は在りし日の利発そうな子供の色を残している。
ジンが一つずつ家具を確認していく。ベッドは傷んでいないし、他の家具も普通に使える様子だ。やる事が無くて手持ち無沙汰なマキシマは後ろ手を組みながらジンの様子を眺めている。
ふと、ベッドを整えながらジンが呟いた。
「姉さんは直ぐに無茶をするよね。人には危ないから駄目だって言うのに、自分の体は顧みない」
「……、そんな事は……」
「あるよ」
ぐ、と言葉が喉で詰まる。マキシマ自身そんな自覚は無いが、もしかしたらそういう節があるのかも知れない。自分をよく見ている上に賢い彼がいうのならきっとそうなのだろう。
多少世話焼きかもしれない、という自覚はある。最初は敵対関係だったノエルを何だかんだと世話してしまうし、甘やかしてしまうし、ラグナと何処か似ているというだけでナオトの世話をした記憶もある。年下だったり、頼られてしまうとどうも弱いのだ。弟妹や世話のかかる相棒が居るというのもあると思うが、マキシマが持っている性質に依る部分が大きいのかも知れない。
己を振り返っている内にジンはベッドの調整を終えたらしく、端に腰掛けてマキシマを手招いた。招かれるままにマキシマはジンの隣へ腰掛ける。新しい重みが加わってベッドが軋んだ。
「だから、姉さんの傍には誰か付いていた方が良いと思うんだ。無茶をする姉さんを止められる人が」
「まあ、ジンがそう言うなら誰か居た方が良いんだろうね。うーん……ラグナは……駄目かな……今までと変わらないし」
「僕なら」
ベッドの重心が移動する。軋む音を連れながらジンはマキシマに向き直り、手を伸ばして頬に触れた。翠緑の瞳の中にぱちぱちと目を瞬かせるマキシマが映っている。
「僕なら、姉さんに無茶なんてさせない。辛い思いもさせない。幸せにするし、悲しい思いだってさせない。……僕なら、そうするのに」
苦しそうに、悲しそうにジンは顔を歪める。辛い思いをさせないと言っている方がこんなにも辛そうな表情をするものだから、なんだか少し面白くてマキシマは小さく笑う。不思議そうな表情をするジンを目に映しながらマキシマは自身の頬に触れているジンの手に己の手を重ねる。体温がそれ程高くないのだろう、自分のに比べて伝わる熱が若干低い。
「……ジンは優しいね」
「……姉さんにだけだよ」
互いに笑みを零し、見つめ合う。それが合図であるようにジンは顔を近づけ、マキシマは瞼を伏せた。確かな愛しさが込められた口付けを、抗う事なく受け入れる。
ほんの刹那の、幸福な瞬間。世界が滅びに向かいつつある世界の中で、今この時が永劫に続けばどれだけ良いかと、寵愛を受けながらマキシマは思う。
それが贅沢な願いだと、分かりながらも。
翌朝、森から聞こえる鳥の囀りでマキシマは目を覚ます。一人用のベッドで大の大人が並んで寝るのは些か窮屈だったし、ジンに抱き枕の如く抱き締められていたが、ジンが満足そうにしていたので良しとする。
身支度を整え、教会の広間へと移動する。ジンは「調べたい事がある」と言ってそのまま教会の外へと出て行った。丁度ラグナとノエルも起きてきたタイミングだったらしく、顔を合わせたマキシマは二人におはようと声をかける。起き抜けなのか、ラグナが眠そうにしながら長椅子に腰掛けている。
マキシマがキョロキョロと見回す。
「ねえ、セリカってまだ寝てるの?」
「あ、いえ。もう起きてて、朝食を作るってさっき台所の方に……」
「朝食……そう言えば、確かに腹が減ったな」
思い出したかのようにラグナが腹をさする。昨日は話し合いをして寝てしまったので、此処に居る全員がそれなりに空腹を覚えているだろう。
「はい。私達、昨日はあまり食べてないじゃないですか。セリカさんも倒れたばっかりだし、体力つけないと」
ノエルが嬉しそうに手を合わせる。
「台所を見たんですけど、結構色々あるんです。しかもまだ使えそうなものばっかりで。此処って普段は人が住んでるんじゃないですかね。もしそうなら……」
「いや、そんな筈は……ねぇよ。絶対に、な」
ノエルの言葉を遮ってラグナは呟く。傍らのマキシマも神妙な面持ちをしていた。
ラグナとマキシマは知っている。此処がたまたま家主が不在の教会ではなく、記憶の再現かそれに近しい現象の産物である事を。呼べばひょこりとシスターが出てきて笑いかけてくれそうだと思ってしまう程人の居る跡はあるが、人は居ない。恐らく数日此処に留まってもシスターはやって来ないだろう。
不思議そうに首を傾げたノエルだったが、直ぐに表情を戻すと台所を指差す。
「? そうですか? ……とにかく、ラグナさんも支度が終わったら来てください。食事を用意しますから。紅茶を淹れてきますね」
「ああ……分かった。…………ん?」
納得して見送りかけて、はたとラグナは気付く。
――ノエルの料理の腕は、壊滅的ではなかったか?
ラグナが勢いよく長椅子から立ち上がる。マキシマも気付いたらしく、バッと台所の方を向いた。
「ちょっと待てノエル!」
「ラグナ! 取り押さえて!」
まるで犯罪者を追って咎追いをしている時の気分だ。
ダッシュでラグナはノエルの肩を掴んで静止させ、この先に行かせてたまるかとマキシマはノエルの前に立ち塞がった。
恐る恐るマキシマが尋ねる。
「ねえノエル……食事って、まさかあんたが……」
死刑宣告を待つ罪人のような気分で次の言葉を待っていれば、コツコツと床を歩く音がした。
「あ、ううん。私が。昨日いっぱい迷惑かけちゃったみたいだから、せめてご飯位はね」
台所の方向からセリカがやって来ていた。セリカなら料理の腕は安心できるだろう。二人で心から安堵する。
「ああ……なる程ね……」
「まあ、少しだけノエルちゃんにも手伝って貰ったんだけどね」
「あー……うん……そっかあ……」
しょっぱい物を食べたかのような顔になる。今日が命日にならないと良い。
ところで、とマキシマはセリカを見やる。
「セリカ、あんた昨日倒れたばっかでしょ。立って料理なんてしていいの?」
「うん、もう大丈夫……って言いたいところなんだけど、正直言うとまだ本調子じゃない感じ。でも体を動かしてないと余計にダメになりそうで」
困ったようにセリカが笑い、マキシマは呆れながらため息を吐く。
「……体動かしたいってのは分かるけど、無茶しないでよ。朝ご飯なら私が作るから、セリカはちょっと休憩してて」
「えっ、でも……」
「いま体動かしたでしょ? 交代。どこまで進んでる?」
頑ななマキシマの姿勢に負けたのか、セリカがどこまで朝食を仕込んだのか伝える。先ほどノエルが「さっき起きたばかり」と言っていた通り、まだ簡単な切り物しかやっていないようだった。
メニューはサラダ、豆のスープ、ベーコンとスクランブルエッグ、パン。そんなに時間は掛からないが空腹なので手早くやってしまおうと考えていると視線を感じ、マキシマはラグナを見やる。有り得ないと言いたげなラグナと目が合った。
「お前……料理作れんのかよ……」
「えっ? ラグナは何年私と一緒にいるの?」
逆に聞く。生活柄店で食べる事が多いし、野宿で料理を作る時も携行食に手を加える程度しかしてこなかったが、昔はシスターに料理を教わった事もあるし、手の込んだ料理だってたまには作る。そんなに意外だったのか。
べーっと舌を出してマキシマは台所へと向かう。材料が置いてある棚をザッとチェックしてみたが、まるで昨日今日に仕入れたのではと錯覚する程新鮮な物しかない。ミルクや肉も異臭はしない。何度も思ってしまうが、本当にシスターが少し席を外しているだけかと錯覚する程、人の居た気配がある。
考えても仕方ない、と調理台の前に立って作業を開始する。
サラダはあと盛り付けるだけだったのでボウルに盛ってしまう。スープも材料が切ってあるので煮込むだけだ。鍋を用意して火の通りにくいものから煮込んでいく。コンソメ、塩胡椒で味付けをし、煮込んでいる間にオーブンを立ち上げ、棚からパンを取り出して焼いていく。ベーコンを保冷庫から出して人数分に切り分けて、油を敷いて熱したフライパンで一気に焼いていく。ベーコンが焼ける良い香りがする。
カリカリに焼けたところで皿に盛り、丁度鍋が沸騰してきたので豆を入れた。サッとフライパンを洗ってから卵に牛乳と塩を混ぜた卵液を解いて焼いていく。あまり火は通さずに半熟で仕上げ、手早くベーコンの載った皿に盛り付ける。焼きあがったパンを適当な大きさに切り分けてカゴに盛る。程よく豆に火が通ったスープをカップに盛り付ければ朝食は完成だ。
ラグナを呼び、手分けしてテーブルへと運ぶ。文句を言いつつもラグナは手伝ってくれた。
テーブルに全部の品が乗った辺りでジンが戻ってきた。レイチェルは先に食べていてと伝言があり、言葉に甘えて残った者で食卓につく。
「わっ、凄く美味しいです! 家庭的というか、ほっこりすると言うか……」
「そう? ありがと」
ノエルの言葉に照れ臭そうに笑いながらマキシマも着席し、スープに口を付ける。久々にこういった『きちんとした』料理を作ったが、味は悪くない。
スープに口を付けたセリカがほう、と息を吐く。
「それになんだか……懐かしい感じがする」
「まあ、シスターから教わった味付けだから昔からあるのかもね」
穏やかな朝食だった。久しぶりにまともに食事を作ったから多少の不安は覚えたものの、 皆が美味しいと食べてくれたので此方としてもホッとする。
あっという間に皿とボウルが空になり、後片付けをしようとしたところで「朝食を任せてしまったので後片付けは」とノエルが申し出てくれた。有り難く後片付けを交代して貰ってマキシマは教会の外へ出た。そよそよと吹く風が吹き抜けて行って心地良い。適当な斜面に座り、流れる雲をぼうっと見つめた。くあ、と欠伸を漏らす。
「…………平和ボケしそう」
幼少期の延長線上のような時間。ぼうっと甘受していたら戦いを忘れてしまいそうだ。
しかし現状、動ける術はない。此処の座標が何処か分からないし、レクイエムの場所にも戻れないし、唯一の情報源となりえそうなココノエだってまだ戻ってきていない。セリカも体力が回復しきっていないし、ラグナだって蒼の魔道書があるとは言え傷の治癒に時間がかかる。結局はこの不思議な平穏を受け入れるしかないのだ。
とりあえず今後のメニューを考えよう。魚を出そうかと考え、立ち上がったマキシマは森の中にある川へと向かった。 Back