BLUE BLAZE
――最後に立っていたのは、マキシマだった。
ぜいぜいと荒い息を吐きながら、膝を折ったラグナを見下ろしている。それでも体は限界だったのだろう、トリスアギオンを解除するとマキシマは大の字に床に倒れ込んだ。
どさり、とラグナが傍らに座る。
「……あー、くそ。最後の最後で負けるかよ」
「あはは。勝ち逃げしちゃって悪いねぇ」
魂と魂が、想いと想いが正面からぶつかりあった結果の勝敗なのだ。悪態は出るが悔いの念は出てこない。寧ろ全力を出し切ったお陰でどこか清々しい気持ちでさえある。
トリスアギオンの力を出したせいで全身のあちこちが痛い。関節が軋んでいるような気もするし、鉛を乗せたかのように手足が重く、虚脱感がある。起きるのも億劫だ。
でも、まだやる事がある。どうにか起きようとしていると「ほらよ」と先に立ち上がったラグナの手が伸びてきた。厚意に甘えてマキシマはラグナの手を借りて立ち上がる。
「姉さん!」
「姉さまっ!」
ジンとノエルが駆け寄り、ジンはふらつくマキシマの体を支えた。支えるどころか半ば抱きしめるような形になっているジンに苦笑をしつつも、マキシマは手を伸ばしてノエルの頭を撫でる。その手付きは愛しの妹の髪を梳くような、優しい手付きで。
「ノエル、あんたは優しい子だね。絶望に追い込まれたって、必ず手を差し出してくれる。だからあんたに手を差し出す人もいる。その優しさで、周りを助けてあげて。友だちや、育ての親御さん達を」
「姉さま……姉さま……っ!」
涙ぐんだノエルがマキシマに抱きついてくる。やれやれという風に笑いながら彼女を頭を撫で、それからラグナに目を向けたマキシマは、彼の胸板を手の甲で軽く叩く。これからの事は任せたぞとでも言うように。
マキシマは口を開きかけ、少し考え込む。
「あー……ラグナ。なんかさっきのぶつかり合いで全部やり切ったっていうか、言い切った感じはあるんだけども……」
「テメェ……締まらねぇな……」
「あはは。……まあ、後は任せたよ。お兄ちゃん」
「……おう」
ラグナが軽く笑い、ゴツ、と右の握り拳を当ててくる。
さて、最後はマキシマを抱きしめている人物なのだが。ぎゅうと強くマキシマの体を抱き締め、首元に顔を埋めているジンの体は小刻みに震えている。ジンの背中に両手を回したマキシマは、体を預けるように体を寄せて目を閉じる。
「……ジン」
「……嫌だ」
グス、と鼻を啜る音がする。大きくなってもこういう所は子供のようで。それが少しおかしくてマキシマはくすりと笑う。
「嫌だ、じゃないの。……あんたは統制機構の未来を担う大事な存在。拓かれた世界はきっと大変だから、みんながあんたの力を欲すると思う。だから、あんたを信頼してくれてる人、慕ってくれる人達と一緒に頑張ってね。勿論、体を大事にしながら」
「っ、姉さん!」
顔を上げたジンがマキシマの頬に手を添え、マキシマが頬に伝う涙を拭ってやれば二人の顔の距離は縮まり、唇が重なる。触れたのはたった数秒だったが、それでも想いは幾らでも伝わってきた。
唇が離れ、ぎゅうとジンを抱き締めれば、それよりも強い力で抱き締められる。どうか、遠くに行かないでくれと言うように。
「……僕の幸せは、姉さんが僕の側に居る事だ。それでも姉さんは、僕に姉さんの居ない世界で生きろと言うんだね」
「そうだよ。酷い姉さんだって言ってくれて構わない」
「本当に……酷いや、姉さんは」
微かに笑う気配がする。つられてマキシマも小さく笑みをこぼした。
「……愛しているよ、姉さん。誰よりもずっと。記憶を無くしても、永遠に」
「……私も。愛してるよ、ジン。この想いを抱いて、私は行くね」
ジンから体を離し、すい、とマキシマは離れていく。周囲を見回したマキシマはエスの名を呼んだ。
瞬きをしたほんの一瞬でマキシマの傍らに姿を現したエスが問う。
「お呼びでしょうか、『解放者』」
「三人を安全なところに連れてって」
「了解しました」
こくりと頷いたエスはラグナ達の下へ向かおうとする。その背中に向かって名前を投げかけると、立ち止まって振り向いたエスへマキシマは笑いかけた。
「ありがとう、エス。あんたが居てくれて良かった」
無機質なエスの瞳が一瞬大きく見開かれ、じいとマキシマに視線が注がれる。なにか変な事でも言ったかとマキシマが思っていると、驚く事にエスの表情が緩んだ。咲き始めの花のように、控えめな笑みがこぼれる。
「……礼を言うのはこちらです、マキシマ=ジ=グリムリーパー。貴方の選択に感謝を」
そう言い、向き直ったエスはラグナ達を連れて転移しようとする。転移が完了する間際にジンと目が合い、マキシマは笑いかけてみせた。
消えゆく彼らを見送る。マキシマは暫し誰も居なくなった空間を見つめていたが、ふと感じ取った気配をそのままに名を呼んでみた。
「……あんたも此処に来てるんでしょ、傍観者。姿を現したら?」
何も無かった空間に桜がひらりと舞い降り、それは桜吹雪となる。その奥からゆっくりと姿を現したのは傍観者――アマネだ。
高下駄を鳴らしながら、アマネはマキシマへ歩み寄る。
「見事に舞いきったね、お前さん。お前さんらしい鮮やかな、閃光のように眩しい最高の舞だったよ」
「そりゃどーも……って、あんたどこから見てたわけ?」
「そりゃあ、お前さん達が此処に来てからずうっとよ。いやあ、若いってのは良いねぇ。あの『えいゆう』が、あんなに熱烈な告白を……」
「あー! あー! 聞こえない!」
わざとらしく耳を塞いで声を上げれば、さも愉快そうにアマネは口元を袖で覆って笑う。レイチェルの後釜の『傍観者』らしいが、彼女と張れるくらい良い性格をしている。
ひとしきり笑った後、アマネは表情を引き締める。
「……安心しな。タカマガハラシステムに『お前さん』の情報は何も残っていないよ」
「……ありがと、手間掛けさせたわ」
「良いって事よ。見事な舞の礼さ」
これで正真正銘、マキシマの記憶と記録はこの世界から消える。万が一タカマガハラシステムに情報が残っていたら……と思っていたが、手抜かりはなかったようだ。この男に正面から謝辞を述べるのは少し妙な気分だが、それでも成してくれたのだ。一応、言っておく。
それにしても、とアマネが残念そうに唇を尖らせる。
「全く、残念な話だよ。あれほどの舞を俺の記憶にも留めておけないなんてね。『遍』の名が泣くよ……」
「勝手に泣いてなよ。全員の『願望』を断ち切る……それが私の役目だからね」
いーっと歯を剥けば呆れたようにアマネは肩を竦めた。
そう。傍観者だって例外はない。この世界に生きる人から……未来を歩む者達の『願望』を断ち切り、マキシマという記憶を消し去り、世界を解放する。それがマキシマの役目なのだから。
「……それで、お前さんはこれからどうするんだい?」
「断ち切った『願望』を蒼に還す。そこから生まれる世界は誰の……アマテラスにもタカマガハラにも干渉されない、皆だけの世界だよ」
「過去、現在、未来に遍く広がる『可能性』という希望……これほど大規模な世界の再構築は見た事がないよ。これが解放者……世界を拓く者の力かい」
マキシマは微かに笑い、緩やかに首を横に振るう。
「違うよ。私の力でも、トリスアギオンの力でもない……。皆の『可能性』だよ」
さて、と息を吐いて背後を振り返る。そこにはいつの間に近付いていたのだろう、巨大なアマテラスユニットがあり、入り口のような扉がすぐ先にある。
アマネに背を向けて、歩き出す。その最中、一旦足を止めたマキシマは肩越しに振り返った。
「……ありがと、アマネ」
色々と世話になった礼と、最後に居合わせてくれた事への感謝を。
投げられたその言葉を意外そうな顔で受け取ったアマネはひらりと手を振り、マキシマを見送った。
アマテラスに向き直り、ゆっくりと歩み寄って扉に触れる。久方ぶりであろう訪問者を拒絶しないとでも言うような滑らかな動作で扉は開き、マキシマは中に足を踏み入れた。水のような澄んだ液体が入れられているのか、歩く度にバシャバシャと水の跳ねる音がする。
薄暗い通路を歩く。まもなく拓けたフロアに出たマキシマの目に飛び込んで来たのは、イザナミによって見せられたビジョンと全く同じ光景だった。
……第一素体の少女が、中央の装置に磔にされている。
「……サヤ」
少女に手を伸ばし、頬に触れる。指に触れた縫合痕が痛々しい。
『――だぁれ? どうして兄さまじゃないの?』
幼子のような、可愛らしい声。無垢な質問。
口を開いたマキシマは一度噤み、唇を噛む。それでも精一杯明るい声を出し、少女の頬を撫でた。
「……私はあんたの兄さんの代理で来たの。あんたの兄さんは、先に眠ってるよ」
『どうして? どうして兄さまは私より先に寝てしまったの? 私……一人ぼっちでずっと待ってたのに。ずっとずっとずっと……さみしくて、怖かったのに』
「そりゃあ、黒くて大きな化け物になったんだもん、疲れるに決まってるでしょ。謝ってたよ、先に眠ってごめんって。サヤを待っているって」
サヤの求める『ラグナ』は、最初に起きた素体戦争の最後に『黒き獣』となり、息絶えている。だからマキシマの言葉は全くの嘘ではないのだ。全てが本当とも言えないが。
きっと、彼女の『兄さま』は先に行っている。静かな世界で彼女を待っている筈だ。
すい、とマキシマが両手を広げる。
「だから……おやすみ、サヤ。もうこんな場所に居なくても良いんだよ」
『……私も、眠っていいの? 痛い思いも、怖い思いもしなくていいの?』
「そうだよ。私が代わるから、ゆっくりお休み」
『……そっかぁ……嬉しいな。やっと兄さまに会えるんだ……』
少女の体が光を纏う。いや、彼女の体が光に解けるように消えていっているのだ。
手足を打ち付ける鎖から解放された少女はマキシマの腕に招かれるように手を広げ、マキシマを抱き締め返す。その手がマキシマの首に回る頃には、少女の姿は光に解け、空へと消えていっていた。
最後の光の粒子を見届け、薄暗い部屋の中に一人になったマキシマは、第一素体が打ち付けられていた装置に触れる。
「マスターユニット・アマテラス、起動」
ブウン、と無機質な駆動音がし、床や壁、溝に淡い光が走る。アマテラスが目覚めた証だろう。
――思い返せば、ここまで随分と長い道のりだった。
イカルガ崩壊で居場所を失ったマキシマはシスターの所で世話になり、生意気な男子と、可愛い弟妹を得て暮らすようになった。平穏で暖かなその場所は永遠のように思えたが、それもテルミのせいで呆気なく焼け落ちてしまって。
心臓に穴を開けられ、瀕死の意識の中で力を願った。もう失いたくないと。力が欲しいと。大切なものを守れる強さが欲しいと。そうしてトリスアギオンの使い手となり、ラグナと共に獣兵衛の下で研鑽を積んだ。
ラグナと共に世界各地の窯を壊し、いつしかS級賞金首の『首狩り』と呼ばれるようになり。あのカグツチで様々な出会いを果たしながら、無限のように続いた世界のループを断ち切り、超えた。
そうして因果の集約する地・イカルガへ行き、世界の真実を知った。偽りの世界を走り回りながら自分の置かれた立場を理解し、ラグナの想いと覚悟を知り、彼が犠牲にならない方法があればと願った。
終わり始める世界の中、突きつけられた第三の選択。自分が犠牲になるか、ラグナが犠牲になるか。
自分が犠牲になればラグナが救われる代わりに、自分が消滅する。それは死よりも恐ろしい事だった。死は誰かの記憶に残る。その後も存在が残る。だから存在が消滅し、誰からの記憶からも残らないとエスに言われた時、一瞬躊躇ってしまったのだ。
だけど、それでもラグナ達には笑って未来を迎えてほしくて。……ジンには予想通り怒られてしまったが。
けれど、この選択に悔いはない。
息を吸い、マキシマは最後の言葉を唱える。
「トリスアギオン、接続。全ての『記憶』ごと『願望』を断ち切って。そして、アマテラスユニットを窯の奥底へ。……もう誰にも手出しされないくらい、ずっと奥深くへ」
装置の一部に穴が空き、マキシマはそこにトリスアギオンを突き刺す。まるで専用の鍵穴だったかのようにトリスアギオンはぴたりと収まった。
キイン、と澄んだ甲高い音がする。これで、全てが完了したのだろう。恐らく外では全ての人達からマキシマの記憶が消え、代わりに世界が拓かれている。
脱力したように息を吐き、壁際に寄ったマキシマはもたれ掛かりながらずるずると座り込む。酷使に酷使を重ねた体は既に限界に近かった。壁に頭を預け、目を閉じる。
願わくば、拓かれた世界で皆が幸せに暮らせるように。そう願い、マキシマはやってくる眠気に抗う事なく意識を手放した。
――神は、夢を観ない。