星を落としていいのは僕だけ
「おーい、マキシマ!」
「あれ? ナオトじゃん」
ある昼下り。ジンと共にヤビコの街で昼食を摂ったマキシマが店を出た直後に声を掛けられ、声のした方へと振り向く。向こうから手を振ってやって来た姿をマキシマが見間違える筈もなく、意外そうに目を瞬かせてその人の名を呼ぶ。
快活そうな人懐こい笑顔を浮かべてマキシマの近くまでやって来たのはナオトだった。
マキシマの傍らに居るジンが、僅かに眉間にシワを寄せる。
「久し振りじゃん。どう? 渡したのは役に立った?」
「立ったも立ったって。いやマジで、何てお礼を言ったら良いか……」
「だからそれは良いってば」
しかも何だか会話が盛り上がっている。ジンの知らない男にマキシマが笑顔を向け、楽しそうに。
胸の中で黒い汚泥が渦巻いていく気分になる。ぐるぐる、ぐるぐると。それは重たく粘性を帯び、ジンの心を黒く、そして重たくしていく。
──その笑顔を向けられて良いのは僕だけなのに。
どろどろ。普段は理性という名の蓋で覆っていた感情が滲み出る。それはユキアネサが狂気のままジンを突き動かしていた時のように。
姉さんに笑顔を向けられて良いのは僕だけだ。その体に触れて良いのも、暴いて良いのも、刺して殺すのも首を締めて殺すのも、その亡骸を僕にしか知らない場所に埋めても良いのも──
「──ジン?」
名を呼ばれ、ハッとして顔を上げる。不思議そうに見つめるマキシマと目が合い、ジンは曖昧に返事をした。
ナオトが頭を掻き、ジンを一瞥する。
「あー……っと。マキシマの言う弟ってこいつか? あんまり似てねぇ気がするけど……」
「まあ義理のだからね」
あっけらかんとしたマキシマの答えに合点のいくナオト。同じ金髪という共通点はあるが、紅と緑の対称的な瞳の色が決定的に彼女らに血縁がないことを表している。
観察をしていればゾワ、と寒気が走り、ナオトは己の腕を軽く擦る。今日はそこまで冷え込むような気温ではない筈だが。そもそもまだ日光が降り注ぐ温暖な時間帯で……とまで考えてハッとした。
ジンがナオトに向ける、敵意の混ざった冷ややかな視線と──彼から発せられている冷気。『何故』それらを向けられているかは分からないが、敵意を向けられたのならば仕方ない。
拳を軽く握る。いつでも踏み出して距離を詰められるようにしていれば、それに気付いたように──或いは本当に気付いてないかのようにマキシマが「おっと」と近くの大時計を見て声を上げる。
「そろそろ戻らなくちゃ。じゃあねナオト、また会えれば」
「お、おう。じゃあな」
「……行こう、姉さん」
毒気が抜かれたようにホッと息を吐き、手を振って踵を返していくマキシマに手を振り返す。……ジンの方は忌々しげに一瞥しただけだったが。
「それにしても……」
おっかなかったな、とナオトは口の中で言葉を転がせる。
あれは路傍の石を見る目でも、憎き敵を睨みつける目でもない。
例えるなら──恋敵でも見つけた時のような。
「……いやいや、まさかな」
義理の姉弟だろうに、と考え、そうか義理なら結婚出来るのか……と日本の法律を思い出す。この世界でソレが通用するかは分からないが。
……自分のところも兄妹関係が若干不穏だが、マキシマもマキシマでなかなからしい。
マキシマたちが向かった方向とは別方向へ足を向けながら、ふとナオトは思いつく。『結婚は人生の墓場』だなんていう言葉を。
「……本当に墓場に入ってくれるなよ」
一旦立ち止まってマキシマの向かった方向へ振り向き、そんな祈りを投げ掛ける。
『彼』があの調子なら、結婚以前に別の意味で棺桶に入れられてそうで気が気でなかった。
「……ジン?」
ヤビコ支部へと戻る道すがら、隣を歩くジンの顔を覗いて怪訝そうな表情をした。
何処となく不機嫌そうな……拗ねているかのような素振りはマキシマくらいしか分からない。余人から見ればいつもの冷徹な表情をしている『統制機構のジン=キサラギ少佐』でしかないのだろう。
マキシマの前らしくない、落ち着いて冷ややかさのある声でジンは名を呼ぶ。
「……姉さん」
「ん?」
いつもと調子が違うなと感じつつ、首を傾けて応じる。
ジンが二の句を紡ごうと口を開いた時──それを遮る声があった。
「おう、マキシマとジンじゃねーか。何だよ、二人で飯か?」
「ラグナ」
「…………」
深くため息を吐く。また、邪魔が入った。
それに気付いた様子もなくマキシマはラグナに向かってニヤニヤと、悪戯を仕掛ける子供のように笑って見せる。
「何なに~? 『死神』ブラッドエッジさんは遂に牢屋もぶち破って余罪増やしちゃった~?」
「んなワケあるか、馬鹿。カグラが『例の件』で手伝えっつーから出されたんだよ。んで飯食いに来た」
マキシマの茶々を受け流すようにラグナはガシガシと頭を掻く。そんなラグナをジンは冷ややかな声音で迎えた。
「だったら早く行ったらどうだい、兄さん。こんなところで油を売っていたら店が閉まるよ。それとも僕と殺し合いたい?」
「物騒な弟だよ全く……。はいはい、さっさと行きゃいいんだろ行きゃ」
ぶつくさと文句を言いながらラグナは二人の脇を通り過ぎて行って街に繰り出していく。確かにそろそろランチタイムが終わり始める店も出てくるだろうが、どうしてこの弟はいちいち殺意を隠そうとしないのかとマキシマは内心でため息を吐いた。
ユキアネサの支配を逃れた今でも、ラグナと顔を合わせれば売り言葉に買い言葉だ、もう少し穏便にしてもらいたいのが『姉』の心境だ。
ラグナの背を見送る暇もなくマキシマはジンに手を引かれてヤビコ支部へと戻ってくる。廊下を歩く最中もジンはマキシマの前を歩き、手を引いている。少し腕が痛いくらいに強く握って。
「ねえ、ちょっと、ジンってば……」
「痛いってば」と言いかけたその時。前方からやって来る『黒』が目に止まった。
今日三度目の光景に、ジンはもう辟易しかなかった。立ち止まってマキシマの手を一旦離すと虚空に手を翳し、ソレを喚ぶ。
「おーい、ジンジン、マキシマちゃ──」
「……ユキアネサ、起動」
パキ、と空間すらも凍てつく音と共に氷の十字架が出現し、ジンは中に鎮座しているユキアネサを掴み、抜き払う。
ユキアネサを床に突き立てる。突き立てた箇所から巨大な氷柱が生え、意思を持っているかのようにその黒へ迫っていく。
「ちょ、馬──!」
「馬鹿」と言い切るよりも早く、体が先に動いたマキシマはジンの肩を掴んで止めようとする。
しかし氷柱が先に到達する方が圧倒的に早い。マズい、と廊下の先を見て──マキシマは息を呑んだ。
その黒は、余裕綽綽と笑っている。
滑らかな動作で黒い大剣を構え、片手で真上に振り上げる。勢いよく振り下ろせば、けたたましい音と共に彼の眼前に迫った氷柱は粉々に打ち砕かれてしまった。
肩に大剣を担ぎ、男──カグラは口笛を吹く。
「んだよ、ジンジン。今日は何時にも増して機嫌が悪いじゃねぇか」
「誰のせいだと……」
地を這うような低い声を受けても尚、カグラはカラカラと笑っている。
力量差は分かっている。そもそも本気で殺そうとまでは思っていない。ユキアネサを手放して消したジンは忌々しげにカグラを睨みつけた。
「……それで。何の用だ、カグラ」
「ああ、少しばかりマキシマちゃんに仕事を頼みてぇと思ったんだが……」
ジンはチラ、とマキシマに視線を向ける。
彼女は優しい人だ。何だかんだと他者に手を伸ばし、世話を焼く。
だからきっと、マキシマは二つ返事で承諾して、ジンに申し訳無さそうにしながらも離れていくのだろう。
発作を起こしたサヤに駆け寄るラグナのように。
ジンの手を掴むことなく──すり抜けて行くのだろう。
手が冷えていくような感覚を覚える。もうユキアネサは手中にないのに。
「……あーっと、さあ……」
悩むような素振りを見せるマキシマ。
どうしたのだろうと顔を伺おうとすれば、不意に伸びてきたマキシマの手がジンの手を取った。
──温かい。
「ごめん、カグラ。明日でも良い?」
「あー、まあ大丈夫だが……」
「そう? じゃあ明日聞くわ」
行こ、とジンの手を引っ張ってカグラの隣を通り抜けていく。手を引くその構図はさっきとは逆で。
……ああ、そうだ。そうだったじゃないか。ジンは手中のぬくもりを確かめるように、離さないようにぎゅ、と握る。
いつだって
どんな悲しみも消し去ってくれる。冷え切った手を温めてくれる。月への恐怖を拭ってくれる。それがジンにとってのマキシマだった。
そんな当たり前だったことを、ようやく思い出す。コールタールのようにどろどろと濁った心の内が、清流で流されたかのように晴れやかになっていく。
「……良かったのかい、姉さん」
「ん? 何が」
マキシマが肩越しに振り返る。
「カグラの用事だよ」
「あー、まあ、うん」
空いている方の手で頬を掻き、曖昧にマキシマは笑う。
「だってほら……折角ジンが今居るんだから、一緒に過ごしたいじゃん」
恥ずかしくなったのかふいと前を向いてしまった。しかし耳までは隠せなくて。僅かに赤くなったマキシマの耳を見てジンは笑みを零す。
──僕の姉さん。僕だけの姉さん。
口の中で言葉を転がす。その言葉はどんな飴玉よりも甘美な響きをしていて。
「姉さんは優しいね」
「はぁ? 別に、普通でしょ」
「優しいよ。だからああして人が寄ってくるんだ」
ナオトとか言う男が声を掛けてきたのも、ラグナが隣に並び立つのも、カグラが慕うのだって。全部が全部、マキシマが優しいからだ。
それを口にすれば恥ずかしさを紛らわすように眉根を寄せてしまうのだが。
ジンは床を蹴る足に少しだけ力を込め、マキシマの隣に並び立つ。繋いだ手は決して離さないまま。
「姉さん」
「今度は何」
「大好きだよ」
唐突な告白を受けて咳き込むマキシマにジンは軽やかに笑う。
大好きな姉さん。僕だけの姉さん。
その隣に並び立つのも、燦然と輝く星のような貴方を撃ち落とすのも僕であってほしいと、僕は強欲になってしまうんだ。