あなたはそこにいますか
形容し難い騒音が辺りに響き渡り、その音で集中力の途切れた灯架は、三角座りにした膝に立てかけている目の前のキャンパスから顔を上げた。そのキャンパスには、いま灯架が見ている景色、即ち学校の屋上からの景色が描かれている。写真かと見間違う程の出来栄えだ。
「非常ベル……? 火災訓練、かな……」
それとも誰かが悪戯で非常ベルを鳴らしたりでもしたのだろうか。キャンパスを傍らに置き、屋上の端まで行って校庭を見下ろす。すると校庭に出ていた生徒達も何事だと辺りを見回していたり空を仰いでいたりしており。
そしてふと気づく。この警報音は学校の非常ベルではない。もっと広く――そう、島中で響いているような。
ぞくり、と意味も分からず背筋に怖気が走る。何かが終わってしまうような予感、何かが起こりそうな予感、今までの日常が崩れ去ってしまうのでないかという予感。それらが同時にどっと灯架を襲い、灯架は一度海の見える方角を一瞥すると置いていった荷物を回収し、足早に屋上を後にした。
階段を駆け下りながら、どうしてこんなにも怖くて不安なのだろうと考える。言ってしまえば只の警報だ。だのにこんなにも胸騒ぎがする。誰かに会わなくちゃ、会って状況を確かめれば安心するかもしれない。そんな一抹の希望に縋りながら灯架は一階まで一気に駆け下りてきた。すると荷物を抱えながら息を荒らげる灯架に掛かる声がある。
「灯架!」
少し、いや、かなり驚く。呼んできた声の主は普段だったらこんな風に声を荒らげたりしない筈だからだ。
驚いた灯架は反射的に声のした方を見る。すると見慣れた少年がこちらに走ってくる途中だった。
「総士……?」
「今、何処に居た」
有無を言わせない詰問。何時になく切羽詰まった様子の総士に戸惑いながらも「屋上」とだけ声に出して言えば、総士は一人で納得するように頷き、次いで灯架の腕を掴んだ。僅かに目を見開いた灯架は総士の顔を見上げる。
「ど、どうしたの?」
「質問は後だ。――『奴ら』が来る」
総士は灯架を見ずに答える。視線の先は真っ白な天井――ではない。その先にある果て無き蒼穹か。
しかし総士の言うことが理解出来ず、灯架はやはり戸惑いの声を上げる。
「な……なにそ」
「何それ」と言うよりも早く。総士が駆け出し、腕を掴まれたままの灯架も必然と走り出す。人気の失せた廊下を走り、下駄箱を超え、グラウンドに出た二人はそのまま走る。
「良いか、何を聞かれても答えるんじゃないぞ!」
走りながら総士が吠える。
一体誰から、一体何をという疑問は灯架の喉元まで出かかったが、それは先ほどの総士の言葉と襲来した不快感によって失せてしまった。
ザワリ、と吹き抜ける一陣の風と共に感じる不快感。それは総士も感じたらしく、一度立ち止まると空を見上げた。その表情は苦虫を噛み潰したように苦々しい。
「来たか……走れ、灯架!」
再度走る。目指す先は――グラウンドの隅か。
ザザザ、とノイズが走る音がする。まるで周波数の合わないラジオのようだなと思いながら灯架は周囲を見回し、空を見上げ――声を失った。
「……綺麗……」
黄金に輝く巨大な『何か』が竜宮島の上空に浮遊していた。人型で、見ようによっては神の意匠を取り込んだ偶像のようにも見えるそれ。
走ることも忘れ、食い入るように見つめていた灯架を急かすように総士は腕を引っ張る。
「早く来い灯架! 急がなければ……」
何とか灯架を引っ張ってグラウンドの隅にやって来た総士は灯架の手を離すと、何の変哲もない壁に触れる。数度叩くと叩いた面の周囲に切り込みが入り、パカンと開いて電子的なパネルが姿を現す。更にそのパネルを素早く操作すると傍らの地面が迫り上がり、電話ボックス程の大きさの、コンクリートの柱のような物が姿を現した。その前面にはシャッターが付いており、総士が目の前まで移動すると音もなく自動でシャッターが持ち上がる。
「シェルターまでの最短距離を行ける。入れ」
耳障りなノイズはまだ収まらず、濁流のように流れ続けている。
総士に急かされて建物内に入りかけた時――まるで、タイミングを見計らったかのようにノイズが鳴り止んだ。建物に既に入っていた総士が入口から顔を出して空を見上げ、まずいという顔をする。灯架は不自然な静寂から依然と浮かぶ黄金のそれを見上げており。
「地下に入れば奴らの読心能力は効かない! 早く来い!」
総士に強く腕を掴まれ、引かれる。建物内に入ると背後でシャッターが閉じていく音が聞こえた。
下へ下へと伸びていく階段を駆け下りながら、閉じきるシャッターの向こうから――『それ』が来た。
《あなたは――》
心を撫でるような、優しく透き通った声。
そう言えば、と今まで霞がかって思い出せなかったとある出来事を今更になって思い出してきた。
幼馴染である春日井甲洋が言うのなら『七年前の三月三一日』、幼馴染の皆でラジオを聞いた時のことだ。
この時も、この声がしなかっただろうか。
《そこに、いますか?》
問い掛けが終わった瞬間、問い掛けに対して疑問が浮かぶよりも早くシャッターが完全に降りきった。