近道
フェストゥムの襲撃を受け、大人達から世界の現状や自分達の置かれた現状を教えられた後。
しかしパイロットになったばかりの灯架の認識制限コードは当たり前とも言うべきだが低く、未だに総士の『第二十一レベル』は遠く、脳裏に浮かぶ知識が無意味な記号の列にしか見えないことも多い。
だから。灯架は真っ白なT字路の半ばで足を止め、虚空を見上げた。
「……此処、どこだろう?」
自宅に一番近い出入り口を目指してあちこちの通路を「ここを通れば近道かも知れない」とデタラメに曲がったのが裏目に出てしまっていた。
完全に迷った、と見たことのないフロアの表示を見ながら灯架は困惑する。引き返そうにもどこをどう通ったかなど忘れてしまったし、進めば更に迷うのは確実だろう。
前門の虎、後門の狼ってこういうのを言うのかな、などとズレたことを思いながらその場で立ち尽くしていると、無音だったフロアに足音が響いた。灯架は動いていない。と言うことはもしかしなくても誰かが通りかかったのだろう。良かった、出口に連れて行ってもらえるかも知れないという期待が湧いて灯架は歩き出したが、直ぐに立ち止まってしまった。
もし此処が立ち入り禁止のフロアだったら? 刈谷先生のような厳しい人だったら? そう思うとどうも二の足を踏んでしまう。灯架が臆していると足音の主が少し離れた前方の廊下を差し掛かり、灯架の姿に気づいたその人は立ち止まると訝しげに見てきた。
少なくとも刈谷先生のように怖い人では無かったみたいだ。ほっと灯架は安堵したが、それも束の間。その人の視線が厳しいため、制服の裾をぎゅっと握ってその場に佇む。
「灯架、どうして此処に居る」
「……その、」
「此処のフロアは認識制限コード二十以下は立ち入り禁止の筈だぞ」
「……迷った」
「…………迷った、だと?」
訝しむ顔が疑問顔に変わり、居た堪れなさで身を縮こめながらも灯架は僅かに首肯してみせる。
「家、帰ろうとして……分かんなくなっちゃった」
「既に何度か通っているだろう。何故迷子になる」
「……近道」
総士の言い分がごもっともなだけあり、段々と灯架の声がフェードアウトしていく。
「……近道、しようと思って……デタラメに歩いてたの」
「それで、この有様か」
「……はい」
しゅんと肩を落とす灯架。総士は呆れたようにため息を吐くと踵を返し、歩いていく。顔を上げ、灯架は困惑したように総士を目で追った。
「……総士?」
「これ以上無闇に歩き回っても、余計に迷うだけだろう。……アルヴィス内部の構造は僕が把握している。付いてこい」
それっきり総士は前を向くとスタスタと先に行ってしまう。つまり、道案内してくれるということなのだろうか。少し迷い、でも総士が言うのなら……と灯架は彼の後を追った。
追った、が。
「そ、総士……速い……」
男女の歩幅の違いなのか、単純に総士の歩くスピードが速いのか。姿を見失うことは無いのだが、全く追いつけない。頑張って灯架が早歩きをしてもどうしても距離が生まれてしまい、息を上げながらも灯架は必死に総士を追う。
すると、総士が立ち止まって振り返ってきた。これはチャンスだとばかりに灯架は総士の右隣に並ぶと、膝に両手を当てて息を整える。
「……総士、速い」
「む」
ジト目で見上げれば、心外だと言わんばかりの表情を顔に浮かべてる総士と目があった。難しそうに総士は眉根を寄せる。
「……歩く速度を落とすか?」
「え?」
今度は灯架が意外そうな顔をする番だった。
目を瞬かせた後、答えあぐねるように周囲のあちこちに視線を彷徨わせ逡巡する。ああでもないこうでもないと考えに考え抜いた後、灯架は総士の右手にそっと触れた。自分のモノとは随分と違う、少し骨ばっているが細くて滑らか手。
不安そうに灯架が見上げる。
「……こっちじゃ駄目?」
「っ、別に、構わない」
動揺したのか、総士の声が若干ひっくり返る。それを誤魔化すように総士は灯架の手を握ると足早に歩き出した。足を縺れさせながらも転ばないように踏み止まった灯架は、総士の隣を足早に歩く。
「……えへへ」
「どうした、急に笑って」
へにゃりと灯架は幸せそうに笑い、総士が不思議そうに問う。それに対してやっぱり灯架は幸せそうに笑って答える。
「総士とこうやって戻るの、良いなあって思って」
そうかとだけ短く返し、総士は歩を進める。その耳が赤くなっていたことは、灯架も知らない。