まぶたに透ける碧と永遠

「甲洋のお見舞い?」

 オムライスにスプーンを刺しながら灯架が小首を傾げる。対面に座っている真矢は「うん」と頷きながらパスタをフォークで巻いた。
 訓練終わりの灯架が食堂に入って行く姿を丁度見かけ、そこを真矢が誘ったのだ。つい最近も遠見家に灯架を呼んで皆で食卓を囲んだのは記憶に新しいが、それも随分昔に感じられてしまうのは此処最近あまりにも忙しかったからだろうか。
 目まぐるしく変わっていく日常。激流に流されるかのように変わっていく現状。アルヴィスやファフナーという『異物』は、まだ真矢の日常に溶け込めそうにない。
 パスタを口に運びながら、チラリと灯架を盗み見る。この幼馴染みは自分と相対するかのようにスッと『非日常』を『日常』に落とし込んでいるように見える。着慣れない、少しブカつく制服をしっかり着込み、知らないことを知っているという現象に戸惑いはすれど、それに憤っている様子は見受けられなかった。

 ――いつしか、これも日常になっていくのだろうか。誰かが戦い、誰かが犠牲になり、何かが欠けていく毎日が。
 それは少し――怖いなと思ってしまう。

「……真矢?」

「あっ、ごめんね。少しぼーっとしてた」

 オムライスの山を崩していた灯架が手を止め、じっと真矢を見つめていた。ハッとした真矢は自分から話しかけたのにね、と苦笑する。

「咲良と近藤くんたちと、一騎くんも一緒に行くって。後でお姉ちゃんに面会出来るか聞きに行くの。だから灯架ちゃんもどうかなあって思って」

「総士は、行くのかな……」

「……分かんない」

 呟かれた言葉に、真矢は何とも言えない曖昧な表情を浮かべる。
 彼が何を考えているか分からない。戦闘を総べる指揮官として冷徹に振る舞う彼が、どうして幼馴染みである一騎や灯架たちに厳しい表情と言葉を向けるのか分からない。誰もが死ぬ思いで戦っているのだから一言でも労いの言葉があれば良いのにと考えたのは何度目か。
 ……それにきっと、彼は自分のことを快く思ってないだろう。
 だから、必要なこと以外では真矢は極力総士と接する機会はなかった。
 この幼馴染みは凄いなと真矢はつくづく思う。そんな総士に臆することなく接し、好意を寄せているのだから。

灯架ちゃんは何か聞いてない?」

「……総士、忙しいみたいで。この間の行った、蓬莱島……? から帰ってきてから、あんまり会えてない」

 しゅん、と灯架は落胆してみせる。その変化はごく僅かだが、長年側にいる真矢としてははっきりとした感情表現として映る。

「じゃあ、皆城くんにも声掛けてみてよ。春日井くんだって皆来てくれた方が嬉しいと思うし」

「……そっか、そだね」

 パン、と両手を打って気を取り直せば灯架も頷く。そうして日時と集合場所を決め、二人は食事を進めた。
 空になった皿とトレーを下膳し、真矢と別れた灯架はアルヴィスの廊下を歩き出す。いまの時間なら総士は何処に入るのだろうか。
 CDC、医務室、シミュレーションルーム、水中展望室。分かる範囲の場所を回ってみるが、何処にも総士の姿はない。
 ひょっとして、もう家に帰ってしまったのだろうか。そんな考えに至りながらとぼとぼと廊下を歩いていれば、とある一室から出てくる人影があった。
 向こうも灯架の姿に気付いたのか、立ち止まってチラリと視線を向ける。

「総士」

「お前か。訓練はとっくに終わってる時間だろう、何故残っている」

「えっとね、真矢とご飯食べてて……」

 そこまで言い、灯架は総士が出てきた部屋をひょいと覗き込んだ。特段気分を害した様子もなく、総士も振り返る。
 非常にシンプルな……もとい必要最低限の物しか置かれていない部屋だった。
 目に見える範囲だけでもデスクとベッドとソファーしかなく、ただ寝るためだけとでも言うような、殺風景な部屋だ。
 何のための部屋だろうと灯架が思案していると、総士から声が降ってくる。

「僕の部屋だ」

「え? でも、総士の家は……」

 古めかしいけど凄く立派な、大きい洋館のことではないのか。
 最近はめっきり行かなくなってしまったが、昔は一騎と一緒に遊びに行ったものだ。そんな疑問が顔に出ていたのだろう。総士は遠くを見つめ、消えゆくような声で囁く。

「……あの日、僕の帰る場所は無くなったよ」

「……それ、は」

 灯架たちの認識が塗り替えられた日。信じていた楽園が打ち壊された日。
 あの日になくなった人は大勢いる。一つ年上の蔵前果林。咲良の父親。そして――総士の父親。
 帰る場所が無くなったというのは、ひょっとしたらそういう意味なのだろうか。灯架が考え込んでいると「そう言えば」と思い出したかのように言う。

「それで、遠見と昼食にしてから、何だ?」

「あっ」

 口元を押さえる。話が大分脱線してしまった。

「えっとね、真矢がみんな誘って甲洋のお見舞い行くんだって。だから総士もどう? って」

「お前は行くのか」

「ん? うん」

 総士の表情と声音が少し硬い。それが少し気になる。

「行けば、後悔するかも知れないぞ」

「そんなに甲洋の具合って良くないの?」

「……ああ、そうだな」

 蓬莱島からの脱出時、甲洋はフェストゥムに襲われた。咲良が何とかファフナーからコクピットを取り出して事なきを得たが、何か重傷でも負っていたのだろうか。

「……今の僕から言えることは少ない。だが一つだけ言うとすれば、相応の覚悟を持っておくことだな」

 直接的ではない言葉に胸がざわつく。甲洋は今、どんな状態だと言うのだろうか。
 少し俯き、制服のスカート部分をぎゅと握った灯架が上目に総士を見上げる。

「……総士も来てくれるでしょ?」

 ぐ、と総士から喉を詰めたような音がした。
 ごほん、と総士が咳払いをする。

「……お前は遠見たちと先に行ってくれ。僕は後から向かう」

 それだけ聞ければ満足だ。嬉しそうに「うん」と頷いた灯架は総士に別れを告げ、今度こそ家へと繋がる道を歩いていく。

 そうして数日後。待ち合わせた灯架たちは弓子の案内でアルヴィス内部を進んでいく。歩き慣れた廊下からエレベーターに乗り、奥深くへと。階層を示す数字はどんどんと大きくなっていき、到底今の灯架たちでは自由に出入り出来ない場所へと連れて行く。
 あれ? と真矢が気付く。

「医療ブロックじゃないの?」

「もうすぐよ」

 そう言う弓子の顔は、こちらからは伺い知れなくて。
 辿り着いた先は、

「……甲、洋?」

 赤い液体で満たされたカプセルの中に漂う、悲惨な姿の甲洋だった。見舞いに来た誰もが言葉を失う。
 だって、こんなものは想像していない。見舞いに行ったら甲洋がベッドから起き上がっていて、笑って何でもない、周りが大げさに伝えたんだよなんて言ってくれるのを期待していて。
 赤い水槽に浮かぶ甲洋の瞳孔は開いている。それが意味することなど、まだ子供の灯架にだって分かる。

「彼は戦闘時、中枢神経だけを同化されたのよ。考えることも、感じることも、存在すらも、奴らは私たちの全てを奪うわ」

「……あたしが、悪かったから……。あたしがあの時、もっとコクピットブロックを外していたら……ッ!」

 咲良が拳を握る。

「私のせいだ。春日井くん、私たちを助けるために……」

 それを言い出したらキリがない。灯架は真矢たちの救助をしやすいようにと周辺のフェストゥムを倒していたが、もっと早く倒していたら? マークフィアーに取り付くフェストゥムの存在に早く気付いていれば?
 「もしかしたら」は海面へ浮く泡のように出てくる。そしてどう足掻いても全ては仮定の話であり、現実は変わりっこないのだ。

 ――甲洋を失ったという事実は。

「これは甲洋が招いた結果だ」

 言葉が失われた部屋に一段と鋭い声が響く。その声に皆が入り口に目を向ければ、そこには厳しい表情をした総士が立っていて。
 総士が吐いた言葉に誰もが呆然とする。誰もが目を見開き、場が凍りつく。

「お陰で貴重なファフナーを失った。感傷に浸る暇はない」

 次の瞬間だった。
 パン! と甲高い音が木霊する。

「何でそんなこと言うの?」

 詰め寄った真矢が、総士の頬を叩いたのだ。
 その仕打ちは当然受けるべきものだとでも言うように総士はただ真矢を見つめ、真矢も冷めた視線で総士を見返す。

「最後に春日井くんと話せたの、貴方だけなんだよ? 何も感じないの?」

「真矢ッ!」

 珍しく――本当に珍しく声を荒らげた灯架が真矢の腕を掴む。二度目はさせないと言うように強く腕を掴んでくる灯架には目もくれず、真っ直ぐに総士を見つめながら真矢は静かに口を開く。

「こんな状況でも、灯架ちゃんは皆城くんの肩を持つの?」

「総士が、本心でこんなこと言うはずがない」

灯架ちゃんは皆城くんの心が読めるの? 分からないよね? 私だって分からないよ」

 確かにあの言葉はあんまりだと灯架も些か感じた。だからこそ、何らかの意図あってそう振る舞ったのではないかと思う方が自然で。
 確かに総士は少し不器用かも知れない。しかし誰かを傷付けたり貶したりという言葉を使うような人ではないことを、灯架はよく知っている。
 彼は――不器用だけど優しくて、仲間思いの人だから。
 だけど、真矢の言葉に返せるほどの強い言葉を今の灯架は持ち合わせていないし、そもそも言い争うのが苦手な質だ。
 言い淀んでいると、部屋の空気の悪さに気付いた弓子によって止められ、険悪な雰囲気の中、灯架たちは解散を余儀なくされてしまい。モヤモヤとした気分のまま各々が帰路を歩くことなった。


◆◆◆

 静かな海中展望室にガタン、という音が響く。
 灯架はしゃがんで自販機の取り出し口から缶ジュースを取り出す。ポップな絵柄のラベルが貼られているメロンソーダだ。
 人気のない展望室を一望する。わざと照明の光量を絞り、海に面した壁の一面をアクリルガラスにして海中の様子を映すこの部屋は、とても居心地が良いと灯架は感じる。薄暗い海中には恐怖を――どこまでも続く深海への畏怖を覚える者もいるが、灯架には寧ろ安堵感を抱かせるのだ。
 設置されているソファやベンチに腰掛けて目を閉じれば、まるで海中に漂っているかのような錯覚を覚える。それはメディテーション訓練で見た己の心の海の中でゆっくりと呼吸している時のような居心地の良さがあって。
 少し、休憩していこうか。そう思っていれば硬質な靴が床を叩く音がして、灯架はそちらに視線を向ける。

「あ……総士」

「……お前か」

 こちらにやって来ていたのは総士だった。灯架のすぐ側で総士は立ち止まり、二人は沈黙する。
 暫し逡巡したあと、ハッと気付いた灯架は自販機の前から一歩分退く。きっと総士も休憩ついでに飲み物を買いに来たに違いない。
 一瞬微妙そうな表情をした総士だったが、一つ嘆息をするとブラックコーヒーのボタンを押し、落ちて来たのを取り出す。

「少し、話さないか」

 それに頷き、二人は揃ってベンチに腰掛ける。
 総士の右隣。総士の視界からもちゃんと見えるそこは灯架の定位置でもあった。

「島の防衛を、暫くはお前一人に任せきりになる。辛くはないか?」

「ううん、それは平気」

 缶のプルトップに指を掛け、力を込めて持ち上げる。安っぽいメロンとバニラの香りを感じながら灯架は缶に口を付けた。
 出撃は別に苦ではない(長い目で見れば体はどんどん同化現象が進んで摩耗していくが)。総士を……この島を守れると思えば平気だ。自分の体より、総士に何か起きることの方が怖い。
 こく、とメロンソーダを一口飲む。ぱちぱちと炭酸が口の中で弾ける。

「一騎、出てっちゃったね」

 零れ落ちたのはそんな言葉だった。
 悔やむ音や恨みの音はなく、ただただ事実を受け入れて口にした、そんな感じだ。

「島を出ていった奴のことなど、気にしなくてもいい」

「一騎は戻ってくるよ」

「何故そう言い切れる」

「……一騎ね、島から出たがってた。誰も自分を知らない場所に行きたいって」

 でもね、と一拍置く。

「それと同じくらい、外を見たがってた。総士と同じものを見たいから、感じたいからって」

 自分の世界が偽りだと知り、享受していた平穏は誰かから譲られた犠牲で成り立っていると知り。
 総士だけが――唯一本当の世界を見知り、全てを背負っていて。
 知りたいと思った。総士が何を知っていたのかを。
 見てみたいと思った。総士がその眼差しで何を見つめているのかを。
 だから――同じものを見て、感じて、知りたくなったのだ。一騎も、灯架も。

「お前は、僕を責めないのか」

 落ちた言葉は懺悔にも似ていた。

「先日だってそうだ。遠見のように怒りを向ければいいのに、お前は僕を庇った。あれでは今後、任務に差し障る場面も出てくるだろう」

 責めてくれたら良いのにと思った。
 酷いことを言うと。甲洋が可哀想だと。いっそそう責めてくれればと願わずにはいられない。
 そして――自分の身を削る自爆行為のような戦法を取れば、多くの人々から憎悪や怒りを向けられると知って欲しかったのに。
 だと言うのに、隣の彼女は穏やかな言葉を投げかけてくるばかりで。

「だって、総士が優しい人だって知ってるから。ああいうことをしたのも、意味があるって分かるから」

 ――そうして全てを肯定してくれるから、その居心地の良い傍らを甘受してしまうのだ。

「……お前も、島を出たいと思うのか?」

「総士が出ていくなら、私も行くよ。でも総士は、」

「ああ。僕は島を出ない。必要だと判断されない限りな」

 また一口メロンソーダを飲む。中身の減ってきた缶に少し力を込めれば、ぺきょと情けない音がして。

「だけど、私はもっと知りたい。総士が何を見てるのか、何を考えてるのか、何を思ってるのか」

 左側を見やる。少しだけ鋭いが、内には優しさを秘めている瞳と交差する。

「……総士の口から。駄目……かな?」

「……そうだな」

 体を傾け、灯架の肩に頭を預ける。灯架は特に嫌がられることもなく、されるがままになっていて。
 目を閉じる。耳を澄ませば、ガラスの向こうの水音も聞こえてきそうだった。

「そうだな……少しずつ、話していこうか」

 抱えていたものを、ひとつずつ。
 そうやって一騎が戻ってきた暁には、あいつにも話してやろうか。