蒼穹作戦決行

「……此処、は……」

 規則正しい機械音。消毒液の臭い。さらりと滑らかなシーツの感触。
 寝起きできちんと回らない頭を動かして考えてみれば、たどり着いた結論は『医務室のベッドで寝かせられている』だった。ゆっくりと上体を起こせば体の内側から引き裂かれるような痛みが走り、灯架は思わず体を縮め込めて苦痛に顔を歪めた。どうやら先の戦闘のダメージが回復しきっていないらしい。
 けれど起きなければ。なんとかベッドから這い出た灯架はサイドテーブルに畳んで載せられていた制服に腕を通し、壁を伝って医務室を後にした。冷たい廊下をゆっくりと壁伝いに進んでいく。

「総士、は……」

 先の戦闘でフェストゥムがアルヴィスを襲撃し、ジークフリード・システムまで到達したのは分かっている。問題はその後だ。
 戦闘が終わり、自分が医務室で寝てからどれほど時間が経った? システムの中に居た総士はどうなっている? まだ無事なのか、それとも――

灯架ちゃん?」

 前方から誰何する声が聞こえ、灯架は立ち止まって顔を動かす。可愛らしくも愛嬌のあるこの声の持ち主は。

「真矢……?」

「駄目だよ、ちゃんと寝てなきゃ……あれ?」

 すい、と真矢が近づいてくる気配。まずい、と灯架は後ずさったがそれを真矢が許すはずもなく、逃がすものかと言わんばかりにしっかと腕を掴まれてしまった。そうして覗き込んでくる気配。
 居た堪れなくなり、灯架は目を逸らしたが、遅かった。

「同化現象が、進んで……」

 察しの良い真矢のことだ、灯架が何も言わなくとも行動から読めたのだろう。僅かに息を呑む気配が伝わってくる。灯架は観念し、真矢と目を合わせた。――少なくとも、灯架は真矢の顔があるであろう位置に目を向けた。
 ファフナーから降りても瞳の色が赤色から戻らなくなってしまう初期の同化現象は既に発症しており、此度の戦闘でいよいよ両目とも何も見えなくなってしまったのだ。多少の光の明暗は視認出来るが、物の判別が全く出来ない。ここまでやってきたのも聴覚と触覚に頼ってだ。
 けれど四肢の麻痺や酷い頭痛などが現れるよりはマシじゃないだろうか。そう思っていると真矢に両肩を掴まれる。

「ほら、医務室に戻ろ? お母さんが診察してくれると思うから」

「私、総士のとこに行かないと」

「皆城君の……?」

「ねえ、真矢。私どれだけ寝てたの? あの戦闘から何時間経った? 総士は……総士は無事なの?」

 逆に真矢の両肩を掴み、立て続けに質問を繰り出す灯架
 少し考え込んだ真矢は灯架の両肩から手を離し、腕を取ると近くのベンチまで先導して灯架を座らせた。その隣に真矢は腰掛ける。

「真矢……?」

「……落ち着いて聞いてね」

 そうして真矢は一つ一つ説明をし始めた。
 先の戦闘から既に数日経っていること。フェストゥムの襲撃によって多くの大人が同化されて亡くなったこと。島への被害も大きかったこと。灯架よりも先に目覚めた一騎は右目を失明、右半身に麻痺の同化現象の進行が見られること。
 そしてジークフリード・システムに搭乗したままフェストゥムの『根』に覆われ、捕らえられた総士は――マークニヒトによって連れ去られたこと。
 話を聞き終え、目の前が暗くなったような錯覚を覚えて灯架の体はフラリとふらつく。それをすかさず真矢が横合いから支えた。

「そんな……総士が、フェストゥムに……」

灯架ちゃん……」

 僅かに震える灯架の体を、真矢は優しく摩る。

「……総士を、助けに行く」

「そんな、無茶だよ!」

「だって! ……っ」

 口角飛沫の勢いで灯架はベンチから立ち上がったが、目眩を起こしたのか頭を押さえて直ぐにしゃがみこんでしまった。真矢は灯架の腕を掴んで立ち上がらせると再びベンチに座らせる。
 唐突に、灯架が妙案を思いついたかのようにボソリと呟いた。

「そうだ……薬」

「薬……?」

 不穏な言葉に真矢は眉を顰める。

「ファフナーとの一体化を促す、薬……あれって、同化現象が一時的に緩和されるんでしょ? それを使えば……」

「目が……治るって?」

 灯架は縦に頷き、予想通りの返答に真矢は何とも言えない表情をする。そして小さく息を吐くと灯架の腕を取って立ち上がった。
 突然の行動に灯架は戸惑いながらも釣られて立つ。

「真矢……?」

「どの道お母さんに一回診てもらわないといけないし……その時に相談してみたらどうかな?」

「……うん」

 医務室まで連れて行ってくれると言うことなのだろう。掴まれている手にそっと触れ、灯架は小さく微笑んだ。
 そして真矢は医務室まで灯架を案内し、送り届けると自分はベンチに座って灯架の診察が終わるのを待つ。暫くして医務室から出てきたのは、首筋を摩りながら己の力で歩いてくる灯架だった。

灯架ちゃん……!」

「あっ、真矢」

 ベンチから立って歩み寄れば、元の目の色を取り戻した灯架が微かに笑う。やはり、真矢の母親に例の薬を投与してもらったのだろう。

「……戦うんだね、灯架ちゃん」

「うん。……私、乗るよ、ファフナーに。総士を取り戻す為……蒼穹作戦に参加する」
 そう言い切った灯架の瞳は、どこまでも真っ直ぐだった。


◆◆◆

 ゴシゴシと目を擦り、灯架は目の前にあるファフナーを見上げた。
 マークフィアツェン。近接型の十四番目のファフナーであり、灯架の愛機であり、コレは『自分』でもある。
 ファフナーとの一体化を促す薬を投与した後、灯架の視力は数値にして1.2程まで回復していた。これならばファフナーに搭乗しても支障はないだろう。

灯架ちゃん」

「あ、真矢」

 ぼんやりとフィアツェンを眺めていると、後ろから声を掛けられた。どうしたのだろうと振り返れば油性ペンを片手に握った真矢がいて。

「腕出して?」

「腕……?」

 言われるがまま、灯架は右腕を真矢に差し出す。真矢は腕を握るとそこに油性ペンでサラサラと文字を書く。ややあって書き上げた真矢は満足そうに灯架から一歩下がった。
 腕に書かれた数字を見、灯架は首を傾げる。

「W175、N57……?」

「今の竜宮島の座標。ちゃーんと皆で帰って来れるようにって約束の文字」

「約束の……」
「そ。近藤君も一騎君もカノンも、私も。ほら」

 じゃーん、と右腕を見せて笑う真矢。確かにそこには同じ竜宮島の座標がしっかりと記されていた。

「ほら、あっちで一騎君達が出発前に一度集合しようって」

「うん、分かった」

 真矢に腕を引かれ、灯架も一騎達の場所へと急いだ。