追憶に手を伸ばす

夏の夜に響く楽しげな喧噪を聞きながら、灯架は神社の長い石畳を歩く。視力を失って久しいこの眼だが、光さえあれば朧げながらも色の区別は付く。故に灯架は吊るされた提灯の灯りを頼りに人ごみの中を誰ともぶつからずにすいすい進んでいき、それなりに年に一度の夏祭りを楽しんでいて。
 道中で適当に買った林檎飴を頬張っていると、前方から声を掛けられた。

灯架も来ていたのか」

「カノン。……まあ、折角だしって」

 手に持っている林檎飴を振って見せればクスクスとカノンの楽しげな声が聞こえてきた。カノンが動く度にカラン、と下駄が石畳を叩く小気味よい音がして灯架は目を閉じる。目を閉じればより聴覚が鋭敏になり、様々な音が灯架の耳に飛び込んでくる。商品を売り込む威勢のいい声。友達や家族と笑い合う声。誰かが誰かを探して名前を呼ぶ声。実に様々な声がしてきて酔いそうな程だ。

「一人で来たのか?」

「うん。一騎はお店で忙しそうだったし、総士は――」

 そこではた、と灯架の言葉が止まり、カノンの表情も一瞬曇る。
 フェストゥムに連れ去られた総士の奪還を目的とした『蒼穹作戦』から、既に二年。同化現象の進行によって肉体を喪った総士は『必ず島に戻る』と約束を残し、今日び一切何の音沙汰も無かった。
 ごほん、とあからさまに咳をしたカノンはそういえばと話題を変える。

灯架は浴衣を着ないんだな」

「……持ってない」

 浴衣を着ているカノンとは対照的に灯架はラフな私服姿であり。半袖のシャツに動きやすそうなミニスカート、編み上げサンダルと活動的な格好をしている。
 しかし、島中を歩き回って絵を描く彼女がスカートを穿くとは珍しいとカノンは思った。カノンが島にやって来てから彼女がスカートを穿いていたことは指折り数えて事足りる程度だろう。それも、『蒼穹作戦』が終わってから。
 つまり、視力を失って以前ほど足場の悪い場所などに行けず、絵が描けなくなり始めてからだ。確かに、絵を描くために急な斜面に登ったりするにはスカートやサンダルでは心許無いだろう。

「総士が戻ってきたらその姿で出迎えてやれ。驚くぞ、きっと」

「そう、かな……」

「あいつが島にいた頃は穿いてなかっただろう?」

「そうだけど……」

「だったら驚くさ。だから、笑顔であいつを迎えてやれ」

「あ……」

 カノンが笑ったのが感じ取れたのだろう。灯架も薄く笑う。
 すると遠くの方からけたたましいサイレンの音が聞こえ、カノンと灯架は同時に音の聞こえた方に顔を向けた。周りの人々も何事かとざわめき始め、こぞって海の方へと向かっていく。

「カノン」

「ああ」

 言葉を交わさずとも有事だと判断した二人は顔を見合わせ、灯架が差し出した手をカノンが掴んで、海の見える神社の階段側へと移動する。
 人ごみを掻き分けて一番前に躍り出たカノンは顔を顰め、目の見えない灯架は少しでも見えないかと目をこらした。
 灯架は声を低くして鋭く問う。

「カノン、何が見える?」

 海を見ながら、警戒している様子でカノンが呟く。

「……船だ。人類軍の船が、灯篭流しのために解除したシールドから入ってきている」

「人類軍の……?」

 何故、何の音沙汰も無かった人類軍が今になって、何の目的で。
 その間にもサイレンは鳴り止まず、灯架は空いている手でぎゅっと胸の部分の服を握り締めた。まるで、初めてフェストゥムが竜宮島に侵攻してきた時のような不安感が灯架を襲う。

「一体、何が起こって――」

 言いかけたその時、ザア、と風が吹いて灯架は思わず目を瞑った。暴れる髪を手で押さえ、目を開ける。その瞬間、ひどく聴き慣れた声が飛んできて。

『――これは賭けだ』

 ぶっきらぼうで、だけど優しさを秘めたこの声は。
 灯架はハッとすると周囲を見回して声の主を捜す。

「総士……?」

灯架?」

 隣の灯架の様子が変わったことを訝しみながらカノンはそっと声を掛けるが、どうもそれさえも今の灯架の耳には届いていないらしい。焦った様子で周囲を見回しながら灯架は叫ぶ。

「総士? 総士なの? どこにいるの、ねえ!」

「落ち着け灯架、あいつはまだ此処には……」

『――すまない。お前にも、一騎にも背負わせることになる』

「そんなのはどうだって良い! 私はパイロットだもん! 島を守るためなら、総士を守るためだったら幾らでも戦う! だから……っ!」

 轟音が轟き、灯架はハッとすると再び海を見やる。カノンの言う船が島に乗り上げた音だろうか。
 カノンの手を振りほどき、一もなく二もなく灯架は駆け出す。つい一瞬前まで聞こえていた総士の声も、カノンの制止も灯架の耳には届かない。
 神社の階段を駆け下り、坂道を全速力で駆け下りる。すると少し離れた先で灯架と同じく全力で坂道を下る姿を捉えた。足音と息遣いで人物を特定し、灯架は叫ぶ。

「一騎!」

 灯架の声が聞こえたのか前方を走っている一騎が走りながら振り返った。一騎も視力がほぼ無いというのに、その足取りは確かで、まるで正常に目が見えているかのようで。

灯架!? 何でお前も……」

「総士がっ」

 速度を上げて一騎に追いつき、並走しながら灯架は息も切れ切れに続ける。

「総士の声が聞こえて、私!」

「お前は十一番の扉だ! いざという時はそこに行けって、総士が!」

「十一番……」

 復唱し、小さく頷いた灯架は適当な路地で曲がった。記憶を頼りに現在地と十一番の入口を脳内の地図で照らし合わせ、そこそこ近いことを確認して足に力を込める。
 十一番の扉にたどり着いた時には息も切れ切れであり、しかし休む間なく灯架は壁際に寄るとパネルを開き、素早く叩く。ややあって姿を現した入口に飛び込んで長い階段を駆け下り、飛び込んできた光景に驚く様子もなく灯架は一目散にとある一角を目指す。そこは十四番の名が刻まれたファフナーの前であり。

「……二年振り」

 一度立ち止まり、十四番機を見上げた灯架はコックピットに乗り込むと、ニーベルング・リングに手を通す。バヂン、と全身に電流を通したかのような鋭い痛みが走って灯架は目を固く閉じて苦悶の表情を浮かべるが、唇を噛んで痛みに耐える。シナジェティック・スーツに着替える間もなく乗ったため、接続時の痛みが普段の比ではない。

 ――けれど、

「この島を……総士の帰る場所を、守るためだったら!」

 目を開ければ、二年振りの明瞭な視界を獲得する。格納庫を一瞥した灯架はセーフティーを解除し、発進シークエンスを開始する。

「私は、何度だって戦う!」

 群青の機体はナイトヘーレを潜り、海面へと飛び出た灯架は襲来した黄金の敵を睨み据えた。