海原へ導かれる
「あ、灯架だ!」
「え?」
アルヴィスの廊下を歩いていると、突然『誰か』に声を掛けられて灯架は立ち止まり、後ろを振り返った。
後ろを見やる直前にドン、と重い衝撃が灯架の体に加わると同時に、グッと首が絞まる感覚がする。目を白黒とさせながらも何とか足に力を込めて踏ん張ると、至極嬉しそうに笑う顔がすぐ目の前にあった。
「灯架、目が治ったんだね!」
輝かんばかりの笑顔で語りかけてくる少年の顔に見覚えはない。竜宮島の島民ならその殆どと顔見知りと言っても過言ではないのに。一体誰だと灯架が考えていると、顔を覗き込んだ少年が「あーっ!」と声をあげる。
「灯架の目、折角俺が直してあげたのにまた元に戻ってる!」
『治してあげた』。そして妙に聴き覚えのあるこの声は、もしかして。
灯架は頬を膨らませて怒る少年の肩を掴んで静かに離すと、そっとその名を呟いた。
「もしかして……操?」
「うん!」
満面の笑みで少年は頷く。
来主操。三年前にこの竜宮島にやって来た少年だ。
しかしその正体はスフィンクス型のフェストゥムであり、人類軍の遺棄した空母ボレアリオスに根付いた新しいミールの申し子である。そこで肉体を取り戻す為に存在していた総士と交流をしていたらしい。三年前の『第二次蒼穹作戦』の果てに総士と入れ替わるように肉体を消失して居なくなったが、此度エメリーと美羽の援軍として灯架達の味方としてやって来てくれた。その存在は一体のフェストゥムから『ボレアリオスミールのコア』として昇華したらしい。内面はほぼ、変わっていないが。
「……久し振り、操。あの時は目が見えてなかったから分からなかったよ」
島を見て回りたいと言った操と一緒に行動したことはあったが、三年前の灯架は『蒼穹作戦』の後遺症で完全に失明していた。だから操の声は聞き覚えはあったが、姿は全く見えていない。だからある意味、初めて彼にあったようなものだ。
柔らかな茶色がかった髪が総士に何処となく似ているが、無邪気にころころと変わる表情が随分と印象を明るくさせている。純真無垢な心も合わせて、まるで子犬のようだ。……彼自身は犬が苦手だが。
目を瞬かせ、灯架は操の頬に手を伸ばす。くすぐったそうに操が笑う。
「ほんとだ。あの時の操」
「俺は前の『俺』とは別の存在だけどね。でも灯架のことは知ってる。『俺』と一緒に島を回って、一騎カレーを食べた。灯架の絵も見せてもらった。綺麗な空の絵だ!」
「……よく覚えてるね」
目は見えなくても、記憶を頼りにすれば絵が描ける。視覚が無い分触覚が鋭敏になり、指先が目の代わりを果たしてくれる。どうやら操を連れて空の絵を描きに言ったことを『彼』は覚えていてくれたらしい。
「でも、灯架は今も目が見えないんでしょ? また総士の為にって、目を犠牲にして戦った」
「えー、あー、うん」
操から手を離し、灯架は申し訳なさそうに頬を掻く。
「でも薬を投入したから、全く見えないってわけじゃないよ。操がくれた目は、ちゃんと空も見えるよ」
「ほんと?」
その言葉に目を輝かせ、操は灯架の腕を取るとぐいぐいと引っ張ってアルヴィスの廊下を進んでいく。そのまま進み、階段を登ると二人は小高い丘に出た。少し肌寒い風が灯架達の体を撫でていく。
ねえ、と操が空を指さした。
「あの雲が見える? 今日の空の色はどんな色?」
「……あの大きい雲?」
「そう!」
「今日は……綺麗な色だね。秋の空は空気が澄んでるから、綺麗に映って高く見える」
「うん!」
満面の笑みで操が笑う。
「灯架が俺と同じ空を見てくれて嬉しいよ!」
前の『来主操』が残した言葉を思い出す。確か彼は『俺と同じ空が見れなくて悲しい』と言っていた。 目の前の彼はあの時の操ではないが、願いが叶ったと知ったら喜んでくれるだろうか。
「……ちょっと島見て回ろっか、操」
「良いの?」
「勿論」
「やったあ!」
操は掴んでいた灯架の腕を離して手を握ると、元気に駆け出した。