ルベウスの瞳

「同化現象が進んだか」

 医務室を出た灯架を待っていたのは総士だった。廊下を挟んだ反対側の壁に寄りかかっていた総士は、上着に腕を通しながら出てきた灯架の姿を見るなり姿勢を正し、歩み寄る。

「仕方ないよ。拮抗薬は尽きてたし」

 総士の傍へ寄った灯架は目を擦ると、何でもないと言うように笑う。
 長い旅路だった第二次脱出行の果て。多くの犠牲者を出しながらもハバロフスク付近で竜宮島と合流できたパイロット達が島に帰るなり真っ先に受けたのは治療だった。誰もが程度に差があるとは言え同化現象に苛まれ、特に酷かった暉や一騎は昏睡状態であり。
 それは灯架と総士とて例外ではなく。総士は両手に同化現象の兆候、灯架は二度目の両目の赤色化と視力低下が同化現象として体に顕れていた。

「……目はどうだ」

「大分良いよ。降りた時は凄くぼやけてたけど、今は結構見え、うわっ」

「っと」

 ふらりと灯架がよろけ、すかさず横合いから総士が手を出して支える。申し訳なさそうに総士の腕に掴まりながら体勢を直せば、呆れた様子の総士が視界に居て。
 そのままじろりと睨まれ、目を逸らしながら恐る恐る灯架は総士から距離を取った。

「……見えていないな」

「見えてる、もん」

「極僅かな範囲だけだろう。それでは『見えている』状態とは言い難い」

 うっと灯架が言葉に詰まる。仕方ない、と溜息を吐いた総士は一瞬屈むとひょいと灯架を横抱きにした。突然視界がぐるりと動いて驚いた灯架は咄嗟に総士の首に腕を回す。力を込めすぎたのか、ぐっと総士の喉が詰まる音がしたが。

「どこ行くの?」

「お前の家まで送る。その目では帰路もままならないだろう」

 総士に抱えられながら不服そうに灯架は唇を尖らせる。

「……総士が居なかった二年間は、全く見えて無かったけど出歩いてたし」

「杖を使っていたと剣司から聞いているが」

「でも、殆ど使ってなかったもん」

 ああだこうだと言いながらも総士は足を止めず、外につながる扉はもう目前まで迫っており。
 扉を抜けるとざあ、と風は吹き抜けてきて灯架は思わず目を固く閉じて身震いした。そうだ、人類軍だのアザゼル型だの脱出行だのですっかり忘れてしまっていたが、既に季節は十一月も半ば。ハバロフスク付近に居るということもあって吹き抜けていく風は冬を纏ったソレであり。
 しかし。目を開け、頭を上げて空を視界に収めた灯架はポツリと呟く。

「……冬の青空って、高く見えるね」

 島に戻ってきた昨日は生憎の曇天だったが、今日はそれが嘘だったかのように晴れ渡っていて。灯架の一言に些か驚いた様子で総士は一度立ち止まると僅かに眉を上げた。そうして灯架と同じく空を見上げる。

「冬は他の季節に比べて空気中のチリや水蒸気が少ない。その為空気が澄み、結果としてよりクリアに見えて『空が高い』と思うのだろう。……見えるのか?」

 再度、灯架は唇を尖らせた。

「……見えてるって言った。…………少しボヤけてるけど」

 でも、と灯架は空に手を伸ばして続ける。

「目が見えなくても、空の綺麗さはいつだって覚えてられる。私が生きてる限りずっと。……目が弱ってても、今日こうして総士と一緒に見た澄んだ冬空はずっと、忘れないよ」

「……そうか」

 薄く笑い、歩き出しながら総士は言う。

「ならば、僕も覚えていよう。お前と見たこの空の蒼さを」

「うん」

 嬉しそうに微笑み、目を閉じた灯架は総士の胸元に頭を預けた。