蒼穹より果てない誓いを

「いい加減、あんたも言ったらどうなのよ」

 剣司の腕に己の腕を絡ませ、首に下げた結婚指輪に触れながら咲良は目の前でベッドに腰掛けている総士に問うた。
 どうか、とは。言葉の意味が分かりかねて総士は僅かに首を捻る。すると咲良は信じられないと言いたげに顰めっ面をし、

「あのねえ、灯架といい加減身を固めたらどうなのってことよ!」

「……そういうことか」

 合点が行き、総士は難しい表情をすると両手を膝の上に置く。

「……こんな戦時下だ。おいそれと出来るものでも無いだろう」

 長く、険しい第二次脱出行の果てに漸く竜宮島と合流出来るという希望を見つけた矢先のことだった。
 真矢はジーベンごと人類軍に鹵獲され、同化現象の進んだ暉が倒れ、島に残った剣司たちからはカノンが同化の末期症状で『居なくなった』と説明されたばかりで、親友である一騎も同化現象の進行によって昏睡状態に陥っていて。
 島と合流出来、帰れたのは良いがこんな状況で想いを伝えるわけにもいかないだろう……と目で問えば、咲良は呆れたように微笑を浮かべる。

「だからこそ、するんじゃないの? ……安心させてやりなさいよ、灯架を。あいつ、いつまた総士が居なくなるんじゃないかって不安がってたんだから」

 それは『蒼穹作戦』の後、同化現象の進行で肉体を無くした総士がフェストゥム側へ行って肉体を作り直していた時のことを指しているのだろうか。
 確かに、それから二年後の『第二次蒼穹作戦』で帰還した時は酷く灯架に泣かれてしまった。
 残り少ない『生存限界』もマークニヒトに搭乗したことによって確実に磨り減っている。フェストゥムの元で再構築した体も一体いつまで保つか総士本人とて分からないだろう。
 また自分が居なくなったら、灯架はどうするのだろう。そこまで考え、やはり前のように、いやそれ以上に泣くのだろうという考えが真っ先に思い浮かんできた。彼女の泣き顔を見るのは好きではない。
 だったら――




「……何だか話がトントン拍子に進んでしまったな」

 竜宮島の海岸線の道を制服姿で歩きながら、総士は右手で下げている小さな紙袋に目を
落とした。
 シンプルな色合いに偉く達筆な筆文字で『御門や』と書かれたそれは間違いなくこの島唯一の菓子屋の紙袋だ。しかし中身は全くの別物で。物は試しだとダメ元で零央の父親に相談したところ二つ返事で了承された上、その日の内に仕上がってしまった。
 歩きながら、ふと海の方を見やる。いくら順調に事が進んだとは言え時間は過ぎるモノであり、気づけば水平線に赤く染まる太陽が沈みかけていた。今の時間なら彼女は何処に居るだろうか、と思った後、そういえば遠見先生に拮抗薬を貰ってくると言っていたなと思い出し、総士は一番近いアルヴィスへの入口へと足を向けた。
 慣れた道を迷わず進んで医務室を目指す。と、その道の半ばで向こうから歩いてくる人の姿を認めて総士は立ち止まった。

灯架。……医務室からの帰りか?」

 上着を脱いだラフな制服姿で、のんびりとした歩調で歩いていた灯架は総士に気づくと小走りで駆け寄り、総士の前まで行く。

「うん。……検査とかもあったし、色んな人も居たから……結構時間掛かっちゃった」

「そうか、だったら丁度いい」

 何が丁度いいのだろうか。灯架が首を傾げていると総士が切り出す。

「帰るんだろう? 送って行こう。少し、歩かないか」

 それは灯架にとっても願ってもない誘いだった。待ち合わせをして一緒に楽園やアルヴィスに行ったりはするが、総士と一緒に帰れるなんて滅多にない。
 二つ返事で了承すれば総士はフッと小さく笑い、踵を返して歩き始める。灯架もそれについて行き、総士の左隣に並んで歩き始めた。
 アルヴィスを出れば、既に空は薄暗くなり始めていて。そこで尚更今日は長々とアルヴィスに居たんだなと灯架は再認識する。

「……ねえ、総士」

「何だ?」

 歩きながら、ぽつりと灯架が問えば穏やかな声色で総士が応える。

「今度、人類軍との交渉に行くんだよね」

 数日後、総士や溝口達は人類軍との交渉のために竜宮島を発つ予定となっていた。目的はジーベンと真矢の救出であり、そのために『マークニヒト』を人類軍に渡すこととなっていて。

「……もし人類軍に鹵獲されてたのが私でも、総士は助けに行くって言ってくれてた?」

「当たり前だ。誰が連れ去られていても、僕は必ず助けに行っていた」

 間髪を入れない、力強いはっきりとした返事。重ねて灯架が訊ねる。

「それは、島のコアの意志?」

 総士はこの島を守る為に生まれた存在と言っても過言ではないだろう。故に現在の島のコアである皆城織姫が命じれば総士は島の外へ行くだろうし、逆を言えば島のコアの許しがない限りは竜宮島に留まり続ける。例えるのなら今回の脱出行及びザインと二ヒトの追加派遣がいい例だ。
 一瞬押し黙った後、総士は言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。

「……鹵獲されていたのがお前だった場合、僕の意志でもある」

「そっか」

 灯架は微笑み、それっきり黙って歩を進める。
 暫く二人で並んで歩いた頃、総士はある場所で足を止めた。そこは灯架にも見慣れた場所であり、二人にとっては平和の象徴であり。だからこそ、今に似つかわしくない場所へやってきたことに灯架は戸惑いを覚えて隣に立つ総士の顔を見た。
 喫茶『楽園』――まさしく、灯架達にとっての楽園のような場所。

「楽園……? 総士、どうして此処に」

「溝口さんから鍵は預かっている」

 答えになっているようでなっていない答えだなあと灯架は思う。
 総士はポケットから鍵を取り出すと迷うことなく入口に向かい、鍵を差してドアノブを回す。まるで何事もないかのように楽園の中に入っていく総士の背中を見送り、本当に良いのだろうかと逡巡した灯架も、恐る恐る中へ入っていく。
 自分達しか居ない、誰も居ない楽園の中は今までにない以上に静まり返っており、木製の床を踏む度に鳴る音だけがいやに響く。
 ふと、窓際の一等席に目が行く。その二人掛け席の机の上には一つの帽子が置かれている。――そこが、剣司達が言うカノンが消失した場所なのだろう。静かに鎮座する帽子から目を離し、灯架は次にカウンターに目をやった。
 いつもあるはずの笑顔がそこにないだけで、こんなにも違和感があるとは。やはり楽園はカウンターに一騎の姿があって、皆が居て笑顔に溢れてこそなのと感じる。

「そこに座ってくれ」

 総士が指し示した席へ素直に従って灯架は椅子を引いて座ると、対面の席に総士が座り、持っていた紙袋を足元に置く。総士と隣り合って座ることは多くても、向かい合って座るシチュエーションは滅多にない。どうしてだか緊張してしまう。

灯架

「は、はい」

 名前を呼ばれ、びしっと背筋が伸びる。緊張しているのが傍から見ていても分かり、総士は僅かに苦笑を零す。しかし表情を引き締めると総士はいよいよ本題を切り出した。

「僕と一緒に、生きてくれないか」

 言葉を飲み込み、理解した灯架は目を瞬かせ、緩く首を捻る。

「……私、今までも総士と一緒に生きてきたよ?」

「い、いや……確かにそうだが……」

 幼い頃から共に過ごし、ファフナーに乗って世界が変わってからもずっと傍に居た。だからこれからもそんな関係が続くのではないだろうか? と言外に言うように灯架は首を捻り、総士は額に手を当てる。
 暫く「いや」「やはりここは」などと独り言を呟き、漸く決めたらしい総士は足元に置いてあった紙袋から小さな箱を取り出すとそれを机の上に置き、語気を強めながら再度、告げた。

「僕と結婚してくれないか、灯架

「……え?」

 今度こそ、理解できた。じわじわと顔に熱が集まり、それを隠すように灯架は俯く。

「……本当に、私で良いの?」

「お前だからこそ、僕は言おうと決めたんだ」

 総士は箱の蓋を開け、中に鎮座しているモノを取り上げ、灯架の左手を掴んで引き寄せた。そして鈍色に輝くソレを彼女の薬指に填める。その輝きを視界の端に捉え、灯架は顔を上げてソレを見つめた。

「……僕は不器用で言葉が足りないとよく言われる。一度はフェストゥムの世界に行った身でもある。だからこれからも、お前を不安にさせることがあるかも知れない」

 一瞬、総士は視線を落とす。

「いや……。僕の生存限界はもう残り少ない。僕は、またお前を泣かせてしまうだろう」

「そう、し……」

 悲しげに灯架が顔を歪める。
 分かっているのだ。知っているのだ。自分が一番側で総士を見てきたのだから。脱出行で燃やした命の煌めきが、そう遠くない未来で消えてしまうのが。
 だけど、そんなことを認めたくないじゃないか。
 俯いた灯架の左手に、そっと総士の手が重ねられる。

「だが、僕はお前と共になりたいと思った。僕という人間が、お前と一緒に居たという証が欲しかった」

 だから、と前置き、総士は灯架の左手を両手で強く握る。

「僕と共に、生きてくれるか?」

 胸の奥から何かが込み上げてきて、言葉にすることを妨げる。目尻に涙を浮かべながら灯架は何度か口をパクパクと開閉させると、一度ぎゅっと口元を引き締め、そろりと右手を動かし、自身の左手を握る総士の手に重ねた。

「……うん。私も、総士と一緒に生きたい」

 涙を堪えながら灯架は笑い、静かな楽園で二人は微笑みあった。


◆◆◆

 晴れやかな空だ、と灯架は空を見上げる。天気が崩れやすい季節なだけあって、今日この日が天気に恵まれたのはとても嬉しかった。

灯架先輩、歩きづらくないですか?」

「うん、大丈夫。ありがと、芹」

 背後からかかる声に灯架は笑って答える。本当は慣れない服とヒールで歩きづらいのだが、それでも後ろで芹が裾を持ってくれているお陰でなんとか歩いて行ける。

「それにしても、神社で式挙げるのにドレスとはねぇ」

 同じく背後から――芹と同じくベールガールの役割をしてくれている里奈が呟く。先に挙式した剣司と咲良は神前式で和装だったが、灯架は神社でドレスだ。里奈が不思議に思うのも無理はない。

「どうしても着たいって、わがまま言ったの。竜宮島、教会ないし。総士も良いよって言ってくれたから」

たっぷりとフリルを使い、ふわふわとした綺麗で純白の、絵本に出てくるお姫様が着ていそうな素敵なドレス。時間がないだけに既存のウェディングドレスに少し手を加えただけだったが、なんせ製作者は芹の母なのだ。灯架が本で見た、どのドレスよりも素敵に仕上がっている。

「総士先輩、優しいですね」

「うん」

 なんてことない会話をしながら神社へと向かい、階段を登っていく。ドレスを汚さないようにしながら、大変だねと笑い合いつつ、頂上が見えてきた頃に一度立ち止まり、ドレスと化粧を直してから最後の階段を登りきる。
 まっすぐ伸びるレッドカーペットが敷かれた神社の広場。そう狭くない筈の神社の広場が人で埋まっていて。忙しい時なのに皆集まってくれたのだろう。直ぐ側にはカメラを持った真矢や、翔子の遺影を持った容子、カノンの遺影を持った咲良、衛の遺影を持った剣司、ぴょんぴょん跳ねる操を捕まえてる甲洋の姿が見えて。前列の一番見やすいところには一騎が居る。みんな、来てくれている。
 ――みんな、此処に居るんだ。そう実感していると傍らから手を差し出された。

「総士」

 差し出された手を取る。黒のタキシードを着こなしている総士が微笑む。

「……綺麗だ、灯架

「ふふ、ありがと。総士も格好いいよ」

 腕を組み、ゆっくりと進んでいく。神父役の鈴村神社の神主・立上真幸の前まで向かい、誓いの言葉を述べて総士と向き合う。
 ベールを丁寧で優しい手付きで上げてもらい、口づけを交わす。わっと巻き起こる歓声と拍手の嵐に「ああ、幸せだな」という気持ちがこみ上げてきて、灯架は少し泣いてしまった。きっと気付いたのは総士だけだろう。

 その後は同期パイロットたちで集合写真やツーショット写真を撮ろうと、賑やかに集まることになった。いつかの日と同じく真矢がカメラを持って、皆で並び、「三引く二はー?」の掛け声でシャッターが切られる。
 代わる代わるツーショットを撮り、気になってやって来た芹や織姫、里奈、美三香達ともツーショットを撮り、皆から祝福されながら総士と灯架は帰路についた。
 総士に与えられたアルヴィスの一室。椅子に座り、机に突っ伏した灯架は左の薬指に嵌められた指輪に視線を落とす。

「皆城灯架……に、なったんだね」

「まだ実感が湧かないか?」

「それもあるけど……私も、結婚を考えたり、したり出来る年齢になったんだなあって。次の誕生日が来れば、お酒とタバコも出来るようになる」

 ことり、と机にマグカップが置かれる。漂ってくる匂いから、総士のブレンドしたコーヒーだというのが分かる。

「ずっと、子供のままだと思ってた」

 体を伏せたまま、ぼんやりと部屋の壁を見つめたままの灯架が吐露するように言う。

「フェストゥムが襲来しても、してなくても。ずっと十四歳でいられるものだと思ってたの。そんなこと無いのにね。言われるがままファフナーに乗って、戦って、側にはずっと総士がいる。それが来年も、再来年も続いていくものだと思ってたの」

 変わらない世界、一瞬を切り取った写真のワンシーンが永遠に続くかのような停滞した世界。それはいつか総士が見た、灯架のメディテーション訓練の風景を思い出させる。不変の世界が、灯架が心の奥底で望んでいる世界なのだろうか。

「でも、そうじゃない。毎日私たちは成長してるし、島の外を知って対話の道があることを知って、こうして大人の儀式をして、仲間入りした。もう子供のままじゃいられないしね」

 上体を起こし、灯架が笑う。その背後から総士は灯架を抱き締めた。

「……共に見よう、対話の先の未来を」

「うん。ここまで託された全部を、未来に繋げよう」

 唇を重ね合わせる。重ねた唇は、コーヒーの苦味がした。