盲目と肌を頼りに

「全く、どうして僕が……」

 服のポケットに両手を突っ込み、ぶつぶつと文句を流しながら総士はアルヴィスの廊下を歩く。歩くたびにポニーテールにしている薄い茶色の髪が揺れる姿や悪態を吐いている様子、年相応にコロコロと変わる表情は『皆城総士』という人物を知っている者ならば似ても似つかないと口を揃えて言うだろう。
 事実、彼は存在こそ同じだが、操のように転生しても記憶を引き継いでいない。新たな場所で新たな人格と記憶を形成した皆城総士だ。竜宮島で生まれた少し不器用で仲間思いの『皆城総士』ではない。
 アルヴィスの白い廊下に目をやる。どこまでも続く白い壁と床は延々と続いているかのような錯覚を抱かせてくる。気が滅入り、総士はため息を吐いた。
 自分が生まれ育ったと信じて疑わなかった場所が、掛け替えのない存在だと思ってた両親と妹が偽りの幻だと告げられて暫く。未だに猜疑心や不安感が拭えたわけではないが、少しずつ総士は海神島とアルヴィスでの生活に順応し始めてきている。まあ、此処で生まれ育った記憶が鮮明に蘇ったわけでも慣れきったわけでもないが。昔の総士を知る者が楽しげにその頃の話をしても、総士には全くの別人の話を聞かされている妙な気分になる。

 CDCにやって来て早々「灯架ちゃんを呼んできてくれない?」とオペレーターに捕まってしまった。そんなこと他の人に頼んでもいいだろうと一度は断ったが、「総士くんが呼んでくれた方が嬉しいと思う」とかなんとか言いくるめられ、結局灯架を呼びに彼女の個室まで向かうことになってしまった。
 皆城灯架。同じ苗字をした、血の繋がらない女性。
 最初に対面した時の強い安堵感と嬉しさの混ざった表情で抱きしめられたことがまだ記憶に残っている。それほど自分は彼女にとって大事な存在だったのだろうか。
 ……大事、だったんだろう。総士の振り返られる記憶の中に灯架は居ないが。幼い頃の総士の話や難しい話をする大人と違って灯架は今の総士にも目を向けて、ちゃんと話しかけてくれる。理解しようとしてくれているのだ。その対応には少しだけ好感が持てる……かも知れない。

「……あ、此処だっけ」

 目当ての部屋にたどり着く。全く、わざわざ呼びに来させるなんて何様だなんて気持ちを込めて総士はやや乱暴に扉を開ける。

「おい! オペレーターの人が来いって呼ん、で……」

 言葉が尻すぼみになる。扉を開けた先の様子を目にして総士はぽかんと口を開けた。

「寝てる……」

 呼びに来た部屋の持ち主が、仕事用だと思われるデスクに突っ伏して寝ている。直前までの威勢が何処かに行って思わず慎重になった総士はそろりと静かに入室すると灯架に歩み寄り、そっと顔を覗き込んでみた。
 総士がやって来てこうしているにも関わらず、部屋の主は微動だにせず寝続けている。それほどまでに疲弊するような仕事をしているのだろうか。
 デスクに置いてある書類を一枚手に取って総士は内容に目を通してみる。なにやらよく分からない数値や計算式の羅列ばかりでさっぱり分からず、眉を顰めた総士は元の場所に書類を戻した。
 息を潜めてじっと灯架の顔を眺める。部屋に閉じこもっていても灯架がくるため一日の中で共にいる時間は比較的多いと思ったが、それでも彼女がこうして寝たり気を緩めていたりする場面に遭遇するのは初めてだ。珍しさでまじまじと眺めていたが、この部屋にやって来た当初の目的を思い出した総士はハッとすると灯架の肩を掴んで揺さぶる。

「おい、起きろって」

「ん……」

 灯架が身じろぐ。のそりと上体を起こし、眠たげな目で起こした張本人の総士を見つめる。やっと起きたか、と総士は息を吐く。冬の朝になかなか布団から出てこない自分を起こしに来てくれていた乙姫もこんな気持ちだったのだろうか。今となっては、分からないが。

「総士……?」

「オペレーターの人が来てくれって、伝言」

「んん……」

 まだ頭が起きていないのか、曖昧な返事しか返ってこない。大の大人がなんという姿だ、と呆れるが、僅かばかりの良心が湧いた総士は水でも持ってきてやるか、と部屋に備え付けられている簡易キッチンへと向かおうとする。
 足を向けた瞬間、くいと腕を掴まれる感触。なんだ、と思って振り向いた総士が目を見開く。

「総士」

 ふわり、と花開くように灯架が微笑む。彼女の笑顔なんて何度か見ている。なのに目を奪われ、言葉すらも失せてしまったのはその笑顔の種類が違うからだろう。
 ――恋する乙女かのような、恋人へ向ける華やかで嬉しげな笑み。今まで総士に向けられていた笑みは親が子供へ向ける情愛のソレだったが、今向けられているのは明らかに色が違う。
 純粋な驚きと、戸惑いと、真正面からぶつけられた感情に頬に熱が集っていくのを感じる。脈も早くなっているようだ。
 硬直している総士の頬に灯架が手を伸ばす。

「もう……離れないで……。一緒に生きてくれるって、約束……した、のに……」

 求めるように伸ばされる灯架の手。勢いに飲まれて彼女の手を掴んでしまうと、灯架は安心したように笑って、総士にもたれ掛かるように再び寝てしまう。

「なっ、なんなんだよ……!」

 腹が立つ。もたれかかられた総士はなんとか灯架の体を近くのソファまで運んでそこに寝かせ、すうすうと寝息を立てている灯架を見下ろす。

「お前だけは、僕のことを見ていてくれるって思ってたのに……っ!」 

 夢うつつの灯架が零した約束に心当たりはない。ひょっとしたら遠い昔の、総士が小さい頃に交わしたのかも知れないが、それはないと断言出来るだろう。恋人に見せるかのような表情、『一緒に生きていく』というプロポーズのような言葉。それは明らかに『前』の皆城総士に向けられた言葉であり。
 自分に語りかけていても、見ていても、本当に見ているのは目の前の総士ではなく『前』の皆城総士というのは不快――いや、不快を通り越して虚無感すら覚え。
 此処にいるのに、居ないような感覚。

「……お前だけは、信じてたのに」

 ギリ、と歯を噛み、苛立ちをぶつけるように大きな足音を立てながら総士は部屋を出ていく。

 ――お前も、嫌いだ。