永遠の落日

 ぐす、ぐすと鼻を啜る音が静かなボレアリオス艦内に響く。電気系統が生きている筈なのに照明が点いておらず暗いが、無作為に生えた同化結晶のお陰で歩くのに困らない程度には明かりが灯っていた。

「操」

 シュン、と音を連れて薄暗い艦内に現れたのは二つの濃い人影と、落ち着いた女性の声で。一騎に頼んで転移させてもらった灯架は握っていた一騎の手を離すと、階段のところに見えた人影に近付く。その少年は膝を抱えて顔を伏せ、肩を震わせていて。
 灯架は傍らまで行き、しゃがんで目線を合わせた。

「急に居なくなるから皆心配したよ」

「……一人になりたいんだ。放っといてよ」

 涙声に苦笑いが浮かぶ。こういう時に見捨てて離れるような間柄でもないし、「放っておいてくれ」と言うような人を言葉通りにしておけば大抵ロクなことにならない。
 隣に腰掛ける。こんな時は誰かがこうして側に寄り添ってくれるだけでも救われることがあることを灯架は知っている。総士や一騎がそうしてくれたように。

「……どうしてお母さんは怒ったんだろう」

 少し落ち着いてきたのだろうか。暫く寄り添っていれば操が僅かに顔を上げ、膝を抱える腕に顎を乗せた。その声はまだ少し鼻声だ。
 結局、普通の少年のような身体と感性を得てヒトの営みに紛れても尚、『来主操』という存在は人間ではないし、フェストゥムであるということなのだろう。根底にある価値観に、意識の違いに灯架たちと操の間に深くて大きい溝が横たわっていると認識させられる。

「だって、母さんは子供が死ぬことに慣れてるでしょ? 母さんなら二人と同じように僕の写真を飾ってくれると思ったし、大丈夫だと思ったんだ」

「……そうだね。羽佐間さんだったら操の写真も飾ってくれるだろうね」

 キャビネットに飾られている翔子とカノンの写真の隣に、笑顔を浮かべる操の写真を置いてくれるだろう。
 だけど、だ。

「人が死ぬのって、慣れないんだよ。その人が居たっていう証は残っても、心の中にあるその人の居場所は欠けて、永遠にそこが埋まることはない」

 灯架も膝を抱える。
 友人でも家族でも知人でも、誰でもいい。その人が『居なくなって』しまえば、心の中を占めていた『その人』の居場所は永遠に欠落してしまい、何に代えてもその穴は埋まらない。新しい人を充てがおうとも、それは心の中に新しい居場所を設けるだけで。その人も居なくなってしまえば、穴もまた一つ増えてしまうのだ。
 翔子とカノンの欠けた穴が埋まらないように。
 灯架の中で永遠に総士の場所が欠けたままであるように。

「……『今』の総士じゃ、その穴は埋まらないの?」

「埋まらないよ。ずっと」

 探るような声音に、彼女にしては珍しくはっきりと、そして間髪を入れずに答える。
 総士の居場所は彼だけのものだし、そこに何人たりとも足を踏み入れさせる気も無い。それに総士を通してあの子を見るのはあの子に対しても失礼というものだ。
 だから今の総士も失ってしまえば、きっと何も残らないだろうと灯架は思っている。伽藍堂の心を抱いたままじゃ生きられない。

「だから私は、欠けた総士の穴を抱えながら生きていくの」

 永遠に。囁くように呟かれたそれに操は眉根を寄せて考え込み、ううんと首を横に振る。

「……分からないよ、やっぱり」

「きっといつか、操も分かるようになる日が来るよ」

 乙姫を模したアザゼル型ウォーカーだって感情を学んだと言っていた。それが真の意味でヒトの感情を理解し、喜怒哀楽に則って誰かとの離別を悼むかまでは知らないが、もしそうなら操だっていつか理解出来る筈だ。
 優しく操の背を擦る。鼻を啜る音は暫く艦内に響いていた。