貴方が死んで産まれた日
「あれ?」
誕生日を祝う為、その準備に追われている《喫茶楽園》。一騎や甲洋、里奈や美三香達が料理の仕込みだったり店内を飾り付けているその中で、ふと真矢は飾り付けの手を止めて
周囲を見回した。
一人、足らない。少し前まではカウンターの奥で零央と共にケーキを作っていた筈なのだが、零央は今一人で調理器具を洗って後片付けをしている。
真矢が同じくカウンターの奥で料理作っている一騎へ声を掛ける。
「ねえ、一騎くん。灯架ちゃん見なかった?」
「ああ、灯架なら……」
「何時もの場所に行くって言ってたよ!」
折り紙で作られたペーパーチェーンを壁に取り付けていた操が元気良く答える。
何時もの場所。明確に言及されてはいないが、灯架がそう呼ぶ場所には心当たりがあった。
海神島に移住してから灯架がよく足を運ぶ場所。『今日』と言う日であれば尚更その場所にふらりと引き寄せられてしまうのだろう。居なくなってしまった『彼』の痕跡に縋るように、追うように。
「……少し、様子を見てくるね」
ひょっとしたら上着も何も羽織らないまま向かったかも知れないと思い、己の上着を羽織った真矢はストールを片腕に掛けて楽園を後にする。扉を抜ければ冬の寒さを含んだ冷やかな風が吹き付けて来て、身震いした真矢は上着のボタンを首元までしっかりと留めた。
のんびりと歩を進めながら真矢は空を見上げる。雲一つ無い快晴の空は何処までも澄み渡っており、正しく『蒼穹』と呼べるだろう。
――蒼穹作戦。その単語が真矢の脳裏に浮かぶ。得るものがあれば、失うものも多かった作戦。灯架の最も愛しい人もこの作戦を経て存在と無の地平線を超えてしまった。
灯架にとって彼は全てだ。存在意義と言っても過言ではない。
では――それが失われてしまったら? そんな想像は容易かった。なんせ一度はそういう場面に陥ったのだから。その時の灯架は酷く動揺して、憔悴して、見ているのが辛かった程だ。
だけど、今の灯架はそうではない。随分と精神的に安定している。それもこれも、『彼』が遺した『あの子』の存在が大きいのだろう。あの子が居るから、彼の居ない世界でも灯架は生きていける。広大な海できちんと息をして、泳いでいける事が出来る。
だけど、この時期だけは話が違ってくる。
この時期の灯架は何処か掻き消えてしまいそうなイメージを抱いてしまうのだ。よく「桜に攫われそう」だなんて常套句が小説では出てくるが、彼女の場合は「波間に呑まれてしまいそう」と言い換えた方が正しいか。
陸地に押し寄せた波が海へと引き戻されるように。そんな気軽さと儚さでふっと目を離した隙に音もなく消えてしまいそうで――それが少し怖い。
もし灯架が何の抵抗も無く波間に呑まれる選択をすれば、きっと自分では留められないと真矢は気付いているから。
「……あ」
そんな事を考えていれば目的地は目前まで迫っていた。
世界樹・アショーカ。その根本の膨大で綺羅びやかな同化結晶の中。埋もれるように座しているニヒトの足元で、真矢はその姿を認めた。
歩み寄り、緩やかに足を止める。探し人はニヒトの足元で膝を抱え、顔を埋めて蹲っていて。
やはり上着の一つも羽織っていない。困ったように眉を下げて笑いながら真矢は声を掛ける。
「やっぱり此処に居た。灯架ちゃん」
甘やかな声にゆっくりと灯架が顔を上げる。微睡んでいたのだろうか、少し目が眠たげだ。
「こんな所で寝てたら風邪引いちゃうよ」
持ってきたストールを手渡せばもそもそと羽織り、灯架は背後の同化結晶に頭を預ける。まだまだ重い腰を上げる様子はなく、真矢は苦笑を零した。
「……分かってるんだ」
切り出した灯架の口調は穏やかだ。
「総士は居ない。帰ってこない。分かってるんだけど……どうしても此処に足を運んじゃうんだよね」
少しでも彼の遺した痕跡に触れられるように。少しでも長く彼の声や表情、仕草の全てを覚えていられるように。
そして偲ぶように――十一月二三日の今日、こうしてニヒトの元に来る事が灯架のここ数年の習慣となっていた。
「……帰ろう、灯架ちゃん」
だから引き戻す。波間に呑まれそうな彼女を陸地へ。
けれど自分一人に出来るだろうか。そう考えていれば遠くから灯架の名を呼ぶ声が聞こえ、真矢と灯架はそちらへと目を向ける。
「灯架ー!」
「……総士?」
一騎に手を引かれ、懸命に反対の手をブンブンと振りながらやって来る姿を認めて灯架は立ち上がった。あんなに重たかった腰なのに、こうも容易く地面から離れてしまうとは。それが少し可笑しくて真矢は笑みを零す。
総士の所まで向かった灯架がしゃがみ、総士と目線を合わせる。
「総士、どうしたの?」
「灯架がおそいから迎えに来たんだよ!」
「えらいでしょ」と胸を張る総士に柔和に微笑みながら灯架は彼の頭を撫でる。褒められた事が嬉しいのか、総士は嬉しそうに目を細めていた。
その微笑ましい光景を真矢は眺める。――そう、彼女を陸地に引き戻すのなら、その役目はきっと『あの子』だ。『皆城総士』という存在だけが、彼女を引き留める事が出来る。
「かえろ、灯架!」
総士が空いている手を差し出す。その小さな手を握り込めば、もう一度総士は嬉しそうに笑った。
「さ、皆で楽園に戻ろっか」
真矢の甘やかな声で歩き出す。戻れば今日の主役である総士の誕生日パーティーが待っている。
――願わくば、少しでもこの平穏な日常が長く続きますように。そう願いながら真矢は少し前を歩く灯架達の背を見つめた。