「げっ」
しまった、と思うには遅すぎた。咄嗟に道を変えることも身を隠すことも出来ず、張り巡らす思考とは逆に体は硬直していて。赤みの強いオレンジの髪の男生徒と、彼の傍に居る女生徒の視線がばっちりとエレオノールに向いている。嫌な現場に立ち会ってしまったとエレオノールは彼らから目を逸らした。
幼馴染のシルヴァンはとにかく女癖が酷い。深い関係になればゴーティエ辺境伯の肩書きを背負う時に何かと悪いものが纏い付いてしまうからと、その日限りのような浅い関係で遊んでいる。ちょっとした火遊び。そういうのを求めるのだ、シルヴァン=ジョゼ=ゴーティエという男は。
だから別れる時に口論に発展することが多々ある。女の方は彼と違って真剣だったのかも知れない。まあ、そんな心境をエレオノールは計れないし別段知りたくもないが。今回も『そういうの』だろう。そろそろ終わりにしよう、と切り出したシルヴァンに対して嫌がる女生徒。その口論の真っ最中に迂闊にも出くわしてしまったエレオノール。実に想像に容易い。
じゃあ、あとはお二人で……なんて苦笑いしてさっさと去ろうか。そんなことを考えていると傍らに誰かが立つ気配と、グイと肩を引かれて『誰か』側へと傾けられる体。まさかと思って顔を上げれば笑みを貼り付けているシルヴァンが目に入って。視線に気づいたのかパチンとウインクをし、ブーツの先でエレオノールの靴の側面を叩いてくる。話を合わせろ、ということか。
「今はこの愛しい彼女と一緒なんだ。俺は常に一人の女性と真摯に向き合いたくてね。……分かってくれないかい?」
トン、とまた靴を叩かれる。ええい、ままよ! とエレオノールはシルヴァンの腕に手を搦め、しな垂れ掛かってみせる。それもとびっきりの笑顔を作って、だ。怒りで思考力が低下している女生徒にはこれだけで充分だろう。事実女生徒は一瞬呆けたあと、事実に気付いて涙を流しながら走り去ってしまった。
シルヴァンから手を離し、冷ややかな目で見つめる。
「……さいってー」
「いやいや、今回は割と真面目に危なかったんだからさぁ! ほんと、エレオノールが通りかかってくれて助かったぜー。これがイングリットだったら俺の顔にビンタの跡が二つ出来てたな」
「貸し一つだからね。ほーんと、あんたってばいつか刺されそう。それか魔法で焼かれそう」
「どっちも変わんねえじゃねえか!!」
「はいはい。あーお腹空いた。ご飯食べよ。シルヴァンは何にする?」
適当に流し、食堂に足を向けながら肩越しに振り返ってエレオノールは問う。その後を追うように駆けてエレオノールの隣に並んだシルヴァンは、後頭部に両手を当てながらのんびりと歩く。
一悶着あっても、すぐに切り替えて全然関係ない話題を振ってくる。それが意図してのことなのかそうでないのかは知らないが、そういうエレオノールの性格にシルヴァンは何度も助けられてきた。ずるずると先程のような話題を引き摺りたくないのだ。
「俺は魚とカブと辛味煮込みにすっかな。エレオノールは?」
「んーと……ゴーティエチーズグラタン……」
「お前それ昔から好きだよなあ」
それっきり二人は黙り込み、短くも長くない石造りの廊下を歩く。ブーツから発せられるコツコツと石を叩く音以外は静まり返っていて。
「私達はさ、きっと『えにし』が腐り果てるまでずっと一緒に居るんだろうね」
ポツリと吐かれた言葉は、石の反響音よりも明瞭に響く。なんとなく思いついたから発した、という無色の声がシルヴァンの耳に届く。
その『えにし』が腐り果てるのは明日か、来年か、戦争が始まってからかは分からないが。永遠のものなど存在しない。いつかは終わりが来るのだ、この幼馴染という関係も。それが円満な形で終わるか、戦争の果てに恨みと血で終わらせるかは、まだ分からないが。
「だからそれまでは一緒に居てあげるから」
「……エレオノール」
感慨深そうにシルヴァンはエレオノールの名を呼ぶ。しかし次の瞬間にはころりと表情を変えてエレオノールに肩を組むのだ。
「うわっ!」
「だよなー! 俺たちは強い絆で結ばれた幼馴染だもんなー! そんなわけで次も何かあったら俺の力に……」
「乗りません!」
バシン!とシルヴァンの背中に大きな手形が生まれた。