月明かりだけが頼りの、薄暗いガルグ=マクの街を歩く姿がある。のんびりと気ままな歩調で歩いているのは夜遊びを終えて帰路につくシルヴァンだった。満足のいくまで遊んでいれば日はとうに暮れ、誰もが就寝している時刻になってしまった。静かにこっそり自室へ戻らないと、ディミトリに見つかった時に小言を言われるのは必須だ。大修道院が見えてきた頃に注意しよう、とシルヴァンは決める。
そうして大修道院が見えてきた頃、街と大修道院を繋ぐ橋の上にチラリと明かりが見え、一度立ち止まったシルヴァンは目を凝らす。月明かりだけでは女生徒であるということしか分からず、そろりと抜き足でシルヴァンは近寄る。あわよくば彼女が気付かないようにと願いながら。
しかしその願いは、女生徒が誰か判別出来るまでに距離が縮まったところで改めることになる。
「エレオノール……?」
「あれ……シルヴァン?」
欄干に肘を付き、真っ黒な川の水面を眺めていたらしい女生徒はエレオノールだった。傍らに置いた松明を掲げ、シルヴァンの姿を認めるとぱちぱちと目を瞬かせた。シルヴァンが思っているように、エレオノールも「どうしてこんな時間に、この場所に」と思っているのだろう。
にこり、とエレオノールが笑う。見慣れたはずの笑顔だったが、シルヴァンは少し違和感を覚える。
「どうしたの、幽霊でも見たような顔して。っていうかシルヴァン、また夜遊びしてー。ディミトリに怒られるよ」
口元に手を当て、クスクスとからかうように笑う。それがどうしても取り繕っているように──どこか無理しているように見えて。
おどけたようにシルヴァンは肩を竦めてみせた。
「だからこうやって殿下にバレないように帰って来てるんだろー。で、お前はこんな時間に何やってんだ? あっ、ひょっとして誰かとの逢瀬の約束をしてたとか……そりゃ悪いことをしたな」
「シルヴァンじゃあるまいし……。私はちょっと寝れなくて外出てきただけだよ。そろそろ戻るし」
シルヴァンが首を掻く。
「……なんかあっただろ。何があった?」
「やだ、別に何も……」
エレオノールは笑って両手を振ってみせるが、その瞳からボロリと涙が溢れた。慌てて拭うが、涙は止まるどころかボロボロと溢れていき。
「~~っ、シル、ヴァン」
「ほら、言ってみろって」
何かを我慢して、シルヴァンが宥めなければ一人で抱え込んでしまう質なのは昔から変わっていないようだった。昔はフェリクスやディミトリに稽古で負けた時、こうしてよく泣いていたっけか。軽く数度頭を撫でてやると、ポツポツとエレオノールは語りだす。
「ここ卒業と同時にね……婿とって結婚するのが決まったの。王国南方の、貴族の次男の人と。今節の終わりに此処まで来てくれるから、一回話すんだって」
告げられた言葉に、ガンと頭を殴られたかのような衝撃を覚える。
分かっていた。分かりきっていたことじゃないか。イングリッドがグレンと婚約していつか夫婦になると約束していたように、エレオノールだってどこぞの誰かと婚約する未来が来るのだと。けれどその日が今日だと思っていなかったし、相手が知らない誰かなことも考えていなかった。漠然と、ずっと自分の側に居ると思っていたのだ。
──いつまでも子供でいられる筈もないのに。幼馴染という関係はどこかで終わりを告げるというのに。その事実を再確認して、シルヴァンは唇を噛む。
「どうしてこうなっちゃうんだろうね。私は私として生きたいのに、紋章と血がそれを許してくれない。きっと家を飛び出せば良いんだろうけど、そんな勇気がないから自分を取り巻く環境に文句を言うしか出来ない」
一度区切り、エレオノールは黒い水面に視線を投げる。
「……なんか、凄い疲れちゃった。でも意気地なしだから、死ぬ勇気さえないんだ」
「もう良い、エレオノール」
エレオノールの手掴んで引き寄せ、腕の中に閉じ込める。昔はそう背丈が変わらないと思っていたのに、今では抱きしめればすっかり包み込んでしまうほど差が開いてしまった。彼女の体はこんなに華奢だっただろうか。
「思いっきり泣けよ。こうしてりゃ、見てるのは月くらいだ」
強く、強くエレオノールを抱きしめる。今更になって、エレオノールを手放したくないと願ってしまうのだ。