未来に抗え

 愛おしい憎らしいヤツの顔がすぐそこにある。手を伸ばせば頬に触れられそうな程近いのに、俺たちの間には深い溝が横たわっていて触れられない。驚いたように目を見開く様子を目に収めながら、俺はエレオノールの胸に深く突き立てた『破裂の槍』を引き抜いた。
 ごふ、とエレオノールが鮮血を吐き、支えを失った体は仰向けに倒れる。ばしゃり、とぬかるんだ地面に沈んでいく様子を見つめる俺の頭は、最愛の幼馴染をこの手で始末したばかりだと言うのに嫌になるほど冷静だった。

 どこで道を間違えたのか。こいつが黒鷲の学級で学ぶからと青獅子の学級を離れた時か。先生がこいつを引き抜こうとした時か。それとも──エーデルガルトの覇道に付いていくと、先生を信じると俺たちの下から去った時に、その手を掴めなかったことか。
 きっと、どれもそうだったんだろう。どこでもエレオノールを引き止めることは出来た。でも出来なかった。臆病者の俺らしい選択だ。
 エレオノールの傍らで膝を折り、抱き抱える。血を吐きながらこいつは自嘲気味に笑ってみせ。

「なに、シルヴァン……首でも獲りに、来た?」

「どうして、ファーガスを裏切ったんだ」

「紋章が……嫌いだから、だよ」

 子供の頃から何遍も聞いた話を、今一度口にする。
 俺たちは互いに紋章を疎んでいた、流れる貴族の血を嫌っていた。責務も何もかも放り出して異国に行きたいと、何度もエレオノールは願っていた。
 そんな俺たちの想いを知ってか知らずか、あの人は何の気もないように手を差し伸べたんだ。紋章至上主義の世界を変えるから共に来ないかと、『ただのエレオノール』として剣を振らないかと。そうしてこいつにファーガスの外へ飛び出す勇気を与えたあの人──先生が、憎くて妬ましくて仕方がない。俺が出来なかったことを、軽々しくやってのけたあの人が。
 妬むのも恨むのも、筋違いだと分かっている。だけど感情がそうはさせてくれないんだ。
 段々と体温が失せていくエレオノールの手を握る。お前と一緒に紋章に頼らない世界を作りたかったと言えば、エレオノールはその丸い瞳を更に丸くさせて。一拍置いて、脱力したように笑う。

「……もっと早く、それを聞きたかったなあ……」

「俺も。早く言っとけばこんな風にはならなかった筈だ」

 きっと俺に足りなかったのは──この言葉を言う勇気だ。
 過去を憂いても時間が止まってくれるわけではない。じわりとエレオノールの体から溢れていく血溜まりの大きさが、こいつの命の残量を知らせてくる。
 エレオノールの頬に触れる。嫌がる素振りは見せなかった。

エレオノール、お前が好きだった」

「今、それ言う?」

 クスクスと笑う。バツが悪くなって俺は僅かに目をそらした。

「俺にも最適なタイミングってのがあるんだよ」

 その『最適なタイミング』は、とうの昔に逃してしまったが。
 冷え切ったエレオノールの体を抱きしめる。背中に腕が回された気がした。

「──もし、次があるなら。俺は絶対エレオノールを手放さない。もう別の国になんていかせるもんか」

「あはは、そっかあ、次かあ……」

 ありもしない祈りを口にする。時計を逆さまにしたって、尽きた命は戻ってこない。子供だって知っている論理。
 だけど──もし女神がこの世にいるのなら。御伽噺のような願いが叶うなら。
 叶えてくれよ、この祈りを。


────


「────っ!」

 声にならない叫びを上げながら、シルヴァンは寝台から跳ね起きる。バクバクと鳴る心臓に酸素を送って鎮め、汗ばんだ髪をかき上げる。棚に置いてある時計に目をやれば、普段の起床時間より些か早い時間で。
 深く息を吐いて深呼吸をする。嫌な夢を見た、とてつもなく。どんな内容だったか思い返そうとするとあまりに衝撃的だった故か、飛び起きたせいか全く思い出せなくて。悪夢を見たという漠然とした感想と、胸が締め付けられるほど苦しかったことだけがシルヴァンの胸に残っている。
 二度寝しようにもできる気分ではなく、時間的にもやったら遅刻は確定で。仕方ない、と制服のズボンとシャツだけに着替えたシルヴァンは、汗を流そうと寮近くの井戸まで向かう。まだ大半の生徒が寝ている時間帯というのもあってか人気は無く、早起きの鳥の鳴き声だけがする。
 井戸まで行って水を組み、冷たい水で顔を洗う。悪夢で覚えた嫌な気持ちも洗い流してくれそうな清涼感に一息吐きつつ手拭いで顔を拭いていれば、シルヴァンの背後から声がかかった。

「あれ、シルヴァン? おはよー」

 その声にタオルから顔を離し、顔を上げる。
 朝稽古でもしてきたのだろう。訓練用の剣を腰に下げた、楽な格好をしたエレオノールが手を振っていた。シルヴァンと目が合うとにこりと笑いかけてくる。その様子に、どういうわけか狂おしいほどの懐かしさと眩しさを覚えて。そんなはずはないのに。エレオノールには昨日だって会ったのに。シルヴァンは頭を振る。

「……どうしたの? どっか具合でも悪い?」

 エレオノールが近寄り、顔を覗き込んでくる。感情が露骨に出るなど自分らしくもない。シルヴァンは何とでもないように笑みを貼り付ける。

「いいや、何でもねえよ。少し夢見が悪くてな。でもお前の顔見たらスッキリしたわ」

「そう? なら良いんだけど……」

 訝しむ視線を投げながら、まあいいかとエレオノールはシルヴァンの脇を通り、井戸へ向かう。汲んだ水で顔を洗って手拭いで拭き、朝食を食べるべく食堂へ向かう。
 ――気づけば駆け寄って、去りゆくエレオノールの腕を掴んでいて。きょとんと不思議そうな顔をしたエレオノールが見つめてくる。

「あ、いや……」

 意味があるかと問われたら、無かった。引き止める理由もないものだから言葉が詰まる。
 ただ――去りゆくエレオノールの背を見たら、体が動いていたのだ。ここで背を見つめたままではダメだと、心が体を突き動かしていた。
 目を瞬かせたエレオノールはフ、と表情を緩めるとシルヴァンへ向き直る。手を伸ばし、シルヴァンの頬に触れる。

「なあに、どうしたの? そんなに何か嫌な夢でも見たの?」

「……ああ、そうかもな。内容は忘れちまったけど」

 触れられたエレオノールの手に己の手を重ねる。温かな手を握り、到来した安堵感を覚えながら思うのだ。
 この手を、二度と離しはしないと。


2020/08/10

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