名残の軌道

 バスカヴィル家の領地に赴くのはいつぶりだろうかと考えながら、シルヴァンは愛馬の綱を握って雪道を駆けさせる。
 そう、これは公務の一環なのだ。この戦時下においてバスカヴィル家から物資の援助を要請されたから、次期当主であるシルヴァンがゴーティエ家の代表として赴いて監査し、数字が正しいか確認して、細かいところを詰めていく。その他帝国に攻め込まれた際の軍の動きなんかの会議もしなければならないから、時間の掛かる手紙よりも直に話し合おうと、こうしてシルヴァンが赴いているのだ。そう、公務で。
 決して、別に。婚約者となったエレオノールと長々会えていないから会いたい、あわよくば少しお茶会でも……なんて決して考えていないのだ。何度も言うけどこれは仕事で。

「おっ……見えてきたな」

 そんなことを考えていればバスカヴィル家の屋敷は見えてきて。門の前で馬から降りて門番に声を掛けると、シルヴァンは屋敷へと案内されていく。彼女の屋敷に来たのは何年振りだろうか。記憶の中より幾分か色褪せて見える外壁や、小さくなった庭のオブジェを通りすがりに眺めながら歩を進め、門番が屋敷に通じる扉を開けた。シルヴァンの姿を認め、一礼したメイドがシルヴァンの外套を預かろうとしてくる。雪まみれで濡れた外套を預け、落ち着かない様子で首を掻いたシルヴァンはメイドに問うた。

「あー……エレオノールって居ます?」

エレオノール様は領境の砦への視察に向かわれていて、只今不在です」

「まあ……そうですよねぇ……」

 事前に「この日のこの時間にお伺いします」という書簡は送っているが、今回の会議の相手はエレオノールではなくバスカヴィル伯だ。会議に参加しないエレオノールが居なくても不思議ではない。が、少し期待していたのもあって落胆してしまう。
 メイドに案内してもらって早く会議を済ませてしまおう。シルヴァンが考えを改めた時、玄関の扉が開く音がした。メイドの視線がそちらへ向き、シルヴァンも視線を向け、目を見開く。

「うわー、雪に降られちゃって大変だったよ。さむーい」

「おかえりなさいませ、エレオノール様。外套をお預かり致します。それと、旦那様との会議でシルヴァン様がいらっしゃっていますが……」

「えっ、シルヴァンが来てるの!?」

 メイドに外套を預け、彼女越しに屋敷の奥を覗いてシルヴァンを見ようとする。久方振りの婚約者の姿を認めてパッとエレオノールが花咲くような笑顔を浮かべるが、すぐに不思議そうな表情へと変わってしまう。
 シルヴァンが、エレオノールを凝視したまま硬直している。

「……? シルヴァン? どうしたの?」

 近寄って目の前でヒラヒラと手を振ってみるが、やはりシルヴァンは微動だにしない。一体どうしたのかとエレオノールが首を傾げていると、ガシッ! と強い力で両肩を掴まれた。突然のことにエレオノールは目を白黒とさせる。

エレオノール……ッ!」

「なっ、なになに」

「お、お前……髪はどうしたんだ」

「……へ? 髪?」

 何の気もなさそうな様子でエレオノールは肩先で跳ねる己の髪に触れる。随分と長く、美しかったエレオノールの髪が、バッサリと切られていたのだ。
 ぐるぐるとシルヴァンの中で思考が渦巻く。一般的に女性がバッサリと髪を切る時は失恋した時が多い。古今東西、様々な本や歌劇でも扱われている。もしかしてエレオノールも失恋をしまったのか? でもそれはつまりシルヴァンに愛想を尽かせたことと同義で。仕方のないこととはいえ、戦争が始まってからロクに顔を会わせることも出来ず、たまに書簡と共に手紙を送る位しか出来なかったのがマズかったのだろうか。それとも女性に声を掛けるのが嫌だったのか? 婚約してからはエレオノール一筋で軟派な態度も改めているが。
 どうしよう、思い当たる節が多すぎる。

エレオノール……すまなかった……っ!!」

「な、何が!?」

 振り絞るように出た言葉にエレオノールは困惑する。

「だって、俺に愛想を尽かせたから髪を切ったんだろ!? 何が悪かった!?」

「いやいやいや! なんでそうなるの!? 戦いで邪魔だったから切っただけだよ!」

「そっ……そうか、そうだよな、うん。あっはは!」

 露骨に安堵した様子を見せながら、シルヴァンはエレオノールの両肩から手を離してバシバシと背を叩く。「痛いって」「悪い悪い」と手を止めたシルヴァンは改めてエレオノールの髪に視線を向けると、愛おしそうな、しかし名残惜しそうな表情を浮かべて彼女の髪に触れる。触れられた手はひどく優しい手付きで。

「……勿体ねえな。折角の綺麗な髪だったのによ」

「……また伸ばせば良いじゃん。それこそ、この戦いが終わった後にでもね」

 クスリと笑えばシルヴァンも表情を崩し。

「おう、そうだな。そのためにも、一日でも早く戦争を終わらせて──」

 二人きりの世界になって来た頃。ゴホン、と一つ咳払いが聞こえる。

「……シルヴァン様、旦那様がお待ちで御座いますが」

「「あっ」」


2020/07/12

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