「ああ居た。シルヴァン、ちょっと」
ある日の昼下がり。軍議を終えて暇を持て余していたシルヴァンは、渡り廊下の柱に寄りかかりながらぼうっと考え事をしていた。次は何をしようか、馬の世話でもするか、訓練でもするか、それとも街に出て必要な物資を調達するか。とりとめのないことを考えていれば、食堂の方から来たエレオノールが何やら羊皮紙をヒラつかせながらやってくる。シルヴァンは柱から背を離した。
「どうしたんだ?」
「次の作戦なんだけど、実は軍議が終わった後に変更点が出ちゃってさ。ちょっとこれ見て欲しいんだけど」
「おう」
シルヴァンの隣に立ち、羊皮紙が見えやすいようにと体を寄せてくる。この方がシルヴァンも見やすいだろうという配慮なのだろう。事実エレオノールは特に距離の近さを気にすることもなく、羊皮紙に書かれた図や文字を指さしながら説明を続ける。
そう、エレオノールは微塵も気にしていないのだ。婚約をして恋人となった後でも、幼馴染みのままの距離感で接してくる。近すぎる距離は、エレオノールを一人の女性として意識するようになったシルヴァンにとっては毒にも等しかった。装備を外した楽な格好では布越しとはいえ女性特有の肌の柔らかさを感じることが出来るし、化粧や香水も施しているのだろうか、柔らかい花のような良い香りがする。それらを感じ取れてしまうほど密着しているのだ。
別に、女性と密着するのが今生で初めてというわけではない。猫撫で声の女性がすり寄ってきたことなど数え切れぬほどあるし、逆にシルヴァンから距離を埋めて低く甘く囁いたことだって両の指じゃ足りないほどしてきた。経験は嫌というほどしてきた。
だけど、エレオノールは別だ。なんせシルヴァンが初めて本気で恋をし、愛した女性。いつもの調子が狂ったって仕方がないだろう。
五年。五年で見違えるほど綺麗に成長したなとシルヴァンは思う。
戦争が始まる前まではあったあどけなさは成熟した女性としての美しさに昇華したし、体つきはより曲線を描くようになっている。覚えたであろう化粧は彼女の美しさを引き立たせていて。なかなか会う機会が得られず、ガルグ=マク大修道院でようやく合流をしてまじまじと姿を見た時、思わず言葉を失ってしまったほどだった。軽い言葉はペラペラと出てくるこの口が回らないこともあるのだなと、その時のことを思い出すと少し笑ってしまう。
紙面を見ながら説明を続けているエレオノールに視線を落とす。
その滑らかな髪に触れたい、体に触れて全てを暴いてしまいたいという欲が顔を出す。互いにそういうことを行っても問題ない年齢になったし、したいと言えばエレオノールはきっと了承してくれるだろう。しかし──もしエレオノールが嫌がったら、自分が伸ばした手を拒絶されたら、という想像が分厚い壁のように自分とエレオノールの間に立ちはだかって最後の一歩を踏み出せないでいる。それでなくとも彼女は大事にしたいのだ。自分と違ってエレオノールは慣れていないだろうから、彼女の心の準備が出来るのを待っている。幾ら愛せども行為に運べないのは身体的に確かに辛いものがあるが、彼女を想えば──
「ちょっと、シルヴァン」
鋭い声が飛んでくる。意識を戻してエレオノールを見下ろせば、じろりと睨みつけているエレオノールと目があった。
「話、聞いてなかったでしょ」
「あ、あぁ。悪い、お前に見惚れちまっててな」
「もー、そういう冗談は良いから。で、どこから聞いてなかったの?」
「いやいやいや、本当だって! そもそもなぁ、恋人がこんなに密着してて意識しない男がどこにいるんだよ!」
「えっ」
パチパチとエレオノールが目を瞬かせ、カァーッと顔が赤くなっていく。ここまで言わないと伝わらないとは、全くこの幼馴染みの恋人は。
ズリ、と足音を立て、ぎこちない動作でエレオノールは半歩後ずさる。羊皮紙を胸に抱えながらエレオノールは居心地悪そうに視線を彷徨わせ、シルヴァンを睨めつけた。ああ、真っ赤な顔では全然怖くないどころか愛らしいというのに。
「……シルヴァンの馬鹿。私まで意識しちゃうじゃん」
「少しは意識してくれないと、男としては寂しいもんなんだぜ?」
髪を一房手に取り、口づけを落とす。片目を瞑ってみせれば、照れ隠しかバシンと叩かれて。
ああ、本当に俺の恋人は可愛い。