異伝:絶望の未来
「邪魔だって、ば!!」
しとしとと、低く立ち込めた曇天から雨が降り注ぐイーリス国境付近の野原に大喝が響き渡った。
体を捻って横回転させ、その勢いを乗せたまま『ラグネル』と銘打たれた剣を振る。目の前で剣を振りかぶっていた屍兵は近くに居た別の屍兵も巻き込んで倒れ、動かなくなる。それを見届ける暇もなくクロエは振り返りざまに別の屍兵を倒し、後方に大きく跳んだ。ブーツの底で砂利混じりの地面を滑り、ややあって減速して停止する。
雨に濡れた前髪を払い、位置のずれた仮面を直す。そうして体勢を整えたクロエはラグネルの切っ先を前方に展開する屍兵の群れに向け、仮面越しに睨んだ。
「折角ペレジアから『黒炎』を持ち帰れたってのに、此処で易々と奪われてたまるかっての!」
アズール、ウード、シャンブレー、ブレディと協力して『黒炎』と『白炎』の宝玉を取り戻せたまでは良かった。順調にイーリスへと続く道を駆け、これをイーリス城で待つ姉・ルキナの元まで届ければルキナが『覚醒の儀』を行い、邪竜ギムレーを退けられる程の力を得られる。世界に平和が戻る。そう信じてひた走っていた。
――宝玉を奪い返しにやって来た屍兵の軍団に襲われるまでは。
『黒炎』をクロエが、『白炎』をシャンブレーが持っていた為両方を同時に奪われるという最悪の事態にはならなかったが、かく乱と生存率を上げる為に分かれて避けた結果、男四人と物の見事に分断されてしまった次第であった。
イーリスに続く道は何も一つではない。だから別々の道を通って城で、ないし道中で合流しようと約束を交わして別れたのだが、屍兵の軍団はクロエを逃がすつもりは無いらしい。そりゃそうだと舌を打ちつつ、クロエは今一度ラグネルをしっかり握り込んだ。
冷静に考えて、生存確率は限りなく低い。なんせこちらはクロエ一人で、あちらは大群だ。少数を狙って確実に屠りながらなんとか国境の付近までやってきたものの、既にクロエの体力は限界に近かった。
「――けどっ!」
足に力を込め、クロエは地面を蹴る。
「イーリス王族の者として……何より父様と母様の娘として! 絶対この場は引かない!!」
得物を振り上げて迫ってきた屍兵の群れとぶつかる。自身を狙って振り下ろされ、あるいは突き出される武器をしっかりと目で確認し、クロエは次々と的確に落としていっては隙を見て屍兵を倒していく。
けれど一向に屍兵の数は減らず、クロエの体力は目に見えて削り取られていく。
無限にも思える程の時間の打ち合い。目の前の屍兵の撃退に注意していたクロエが背後にまで気を配れる筈も無く。ラグネルで攻撃をガードしながら気配にハッとして後ろを向いた瞬間、遅かったと己の過ちを悔いた。
――何時の間にか回り込んでいた屍兵が、既に剣を振り下ろす体勢になっている。
「っ……!?」
ラグネルで防ごうとすれば目の前の屍兵に突かれ、逆に目の前の屍兵の攻撃を防ぎ続けたら背中からばっさりと斬られてしまう。
まさに絶体絶命。ああ、自分の命も此処までかと諦めかけた刹那――すぐ近くで甲高い金属音がした。驚いて、クロエは眼前の屍兵を足蹴にして距離を空けると音のした方を振り返った。
そして、目を見張る。
「う、そ……でしょ……」
翻る白い外套、自分と同色の青い髪。何より目を引くのは『この世』に一振りしかない『神剣・ファルシオン』であり。
まさか、まさか、まさか――
「父、様、なの……?」
屍兵に囲まれている事も一瞬忘れ、クロエは只々振り返った先で神々しい剣を振るう男の姿に釘付けとなっていた。男は周囲の屍兵を難なく倒してみせると、剣を納めながら焦ったように振り向いてクロエに駆け寄る。
「クロエ、無事か!?」
遠い記憶の父の姿が蘇る。とても朧気だが、数少ない大切な思い出で。その記憶の中の父の姿と、目の前の父親の姿はほぼ一致する。
ラグネルを納め、震える声でクロエは問う。
「本当に……本当に父様なの?」
それに対しクロムは嬉しそうに、けれど寂しげに笑ってみせる。
「ああ。……けどお前の世界の俺じゃない。異界から来た、別人なんだ」
「! 異界……もしかして、ナーガ様がわたし達にお力添えを?」
「そうだ。お前を助けるべく俺達はこの世界に呼ばれたんだ」
クロムが指差す先。そこには在りし日の『クロム自警団』の面々が各々得物を持って屍兵の群れに立ち向かっており。
クロエは仮面を外し、俯いてゴシゴシと乱暴に目元を拭う。
「……クロエ?」
訝しむクロムの声に、クロエは顔を上げるとパッと笑顔を浮かべる。しかしそれは今にも泣き出しそうなのを堪えるかのような笑顔であり。
「……うん! 有難う父様、助けに来てくれて! けど、此処はわたしの踏ん張りどころだから、父様は下がって……」
「そうやってまた、一人で戦うつもりか?」
「っ!」
びくりと肩を震わせ、笑顔は一瞬で泣き出しそうな顔へと変わる。視線の先、そこには厳しい表情をするクロムが居り。
「宝玉を守る為、一人で立ち向かう。……王族としては最良の判断だろう。だが、一人の父親としてはお前の行動は許せん」
クロムが腕を伸ばす。怒られるのか、と目を固く閉じて身を縮こませるクロエだったが、やって来たのはしっかりとした温かな感触だった。恐る恐る、クロエは目を開ける。
「……とう、さま?」
頭に伸ばされたクロムの手。それは遠い日、クロムに褒められて撫でてもらった時のソレと変わりなく、異界の人物であろうと自分の父親に変わりないのだと再認識させられて。じわり、とクロエの目に涙が浮かぶ。
「……自分の命を投げ出すような真似はするな。もっと大事にしろ。俺は、クロエが死ぬ光景を見に異世界に来たわけじゃない」
「あ……」
目に溜まっていた涙が溢れ、クロエはクロムに抱き着いた。それをしっかりと受け止め、泣きじゃくるクロエの背をクロムは優しく叩く。
「ごめんなさい、ごめんなさい父様……っ! わたし、わたしは……!!」
「ああ。今は存分に泣け。そして、泣きやんだら前を向くんだ。此処が踏ん張りどころなんだろう? だったら俺は、お前に全力で力を貸すまでだ。お前を無事イーリスへたどり着かせる為にもな」
暫くして、漸くクロエは顔を上げた。その顔には先ほどまでの弱気な顔も、泣き出してしまうのを堪えるような顔も無い。王族として、一人の戦士としての顔があった。
涙を拭い、クロムから離れたクロエはニッと笑う。
「……よーし、気合充填! 父様、今だけ力を貸して! わたし、絶対此処を切り抜けて世界を平和にさせるから!!」
「ああ、それでこそ俺の……いや、俺とヒンメルの娘だ」
フッと笑みを零し、クロムは先ほど納めたファルシオンを再び抜剣した。その隣に並び立ち、クロエもラグネルを抜剣する。
「行くぞ、俺達は負けん!」
「勿論!!」
クロムの声を合図に、未だ蔓延る屍兵の群れへと向かって二人は駆け出した。
◆◆◆
気が付けば、辺り一体に居た屍兵の群れは残らず地に伏して動かなくなっていた。荒くなった息を整えながら、クロエはラグネルを納めて辺りを見回す。
「……居なくなっちゃった」
ポツリと零れ出たのは悲しみ混じりの言葉で。クロエはハッとすると己の頬を軽く叩いた。いけない、折角鼓舞してもらったのに。このままでは父様達に顔向けできないと。
まるで煙のように現れ、来た時同様煙のように消えてしまったクロム達。恐らくクロエ自身が窮地を乗り越えたから、元の世界へと帰っていったのだろう。それが少し寂しいと、思わなくはない。
なんせ幼い頃、記憶も朧気な頃に亡くなってしまった父親だ。もっと言葉を交わしたかったし、もっと触れて欲しかった。しかしこれは奇跡に等しい邂逅であり、これ以上を望むのは我が儘になってしまうのではないだろうか。暫くその場に立ち尽くして有るはずのないクロム達の姿を探していたクロエだったが、想いを振り切るように頭を振るとイーリス城のある方角に顔を向けた。何時の間にか雨は止んでいて、相変わらずの曇天だが城のある方は少し見やすい。
「……よし、戻ろう!」
懐に納めた宝玉の感触を確かめ、クロエは駆け出した。
そうして暫く走った後、近道をすべく林を抜け、高さのある崖を滑り落ちた先――
「なっ!? だ、誰だ!!」
「な、なんだ!? 新しい敵か!?」
「くそっ、やっと危機を乗り越えたばっかだっつーのに……って」
「クロエ!?」
「あれっ、みんな!?」
ばったりと、国境近くで鉢合わせたのは別れた筈のウード、シャンブレー、ブレディ、アズールの四人だった。四人は激しい戦闘の後なのか酷く疲弊しており、四人もクロエの満身創痍の様子を見て驚いている様子だった。
「クロエ、大丈夫!? そっちに屍兵が沢山行ったから僕、すごく心配で……うぅ……っ!」
涙目になるアズールにクロエはオロオロとする。
「ちょっ、なんで泣くのアズール! ほら、この通りわたしはピンピンしてるし! っていうか、わたしもそっちが心配で気が気でなかったんだから!!」
「へっ、野郎四人も居て負けるかっつーの」
「でも、ウード達が橋を落として俺達に先に行けって言った時は本当、寿命が縮まりそうだったんだぜ……?」
「うわっ、馬鹿シャンブレー!」
「えっ、何それ」
あちゃー、と頭を抱えるウードにやってしまったと口を覆うシャンブレー。しかしクロエはしっかりと聞いてしまっており、その場で仁王立ちになるとじろりと男四人を睨みつける。
「……どういう事かちょっと詳しく教えてくれない?」
「うわー! 絶滅するーー!!」
「お、落ち着け、我が高潔なる血を分けし血族よ。これには深淵よりも深い理由があってだな……」
「い、いいからウード! 今は兎に角クロエから逃げるよ!!」
「チッ……結局また走るのかよ……」
「あっ、こらー! なんで逃げるのー!? 待ちなさいってばーー!!」
駆け出した足は、絶望的な状況にあって希望を未だ捨てていないイーリス城へと向かっていて。