Amor tussisque non celantur

「たっだいまー!」

 上機嫌な様子でエントランスに戻ってきたムツミにおかえり、と何人かが声を掛ける。さて自室に戻るか、とエレベーターの方を向こうとしたところで唐突に「あーっ!!」とムツミは大声を上げて正面を指さした。
 指さしたその先。エントランスに設けられてる大きなローテーブルとソファを一人で陣取り、酒を煽っているその人は。

「よぉ。意外と早かったじゃねーか」

「リンドウさん!!」

 雨宮リンドウ。第一部隊の隊長を務める男性だ。非常に頼れる人物であり、彼と同行した神機使いの生存率も高い。しかしその反面で緩い性格であり、かなりの酒好きである。まだ日が落ちきっていないと時刻だというのに机の上には空いた配給ビールの缶が数本転がっていて。
 そんな様子に呆れながらもムツミが近寄れば、リンドウは缶ビールを飲みながらムツミを見やった。

「久しぶりだな。どうだ?あっちで成長してきたか……って、野暮だったか?」

「失礼な! ちゃーんと身長だって伸びたし、神機の腕だって磨いたんだよ?」

 そう言ってムツミは腰に手を当ててふんぞり返ってみる。しかしリンドウは顎に手を当てると真面目な顔で考え込む。

「いや、内面的にと言うか何というか……」

 もしかして、とムツミはじろりとリンドウを睨む。

「……性格が子供っぽいって言いたいの?」

「そうそうそれだ! あと、胸の辺りは成長した気がしないなと――」

 パチンと指を鳴らして納得したリンドウの脛を思いっきりムツミが蹴り飛ばした。
 硬いブーツの先で思いっきり蹴られたのだ、痛くない筈がない。その証拠にリンドウは蹴られた箇所を押さえて体を丸めると声もなく悶絶し、ムツミは腕を組むと不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「悪い悪い、これやるから機嫌直せ」

 暫くし、何とか復活したリンドウは苦笑を零しながらも手近にあった『ソレ』を掴むとムツミへ投げ渡す。あぶなっかしく受け取り、手の内に収まったヒンヤリするソレを見下ろし、ムツミは不思議そうな声を上げた。

「わっ、とと……ん? ビール?」

 よくよく見てみるとリンドウが飲んでいるビールと同じラベルが貼ってあった。つまり、フェンリルが配給している一般的なビール。
 リンドウがビシ、とムツミを指さす。

「お前ももう飲める年だろ? てな訳で上官命令だ。飲むぞー」

「それ、職権乱用って言うんだよ」

 はぐらかされた気がしないでもなく、むくれながらムツミはリンドウの傍に座ると早速プルトップを開け、ビールを飲み始める。
 そういえば聞いてなかったなと、思い出した風にリンドウはつまみを食べながらムツミに問うた。

ムツミ、酒には強い方か?」

「んー、二日酔いもしないし強い方だとは思うけど……」

「けど、何だ?」

 あっという間に一缶を飲み干し、赤みをはらんだ頬をしながらムツミは二缶目に手をつけている。

「何故かお酒の場の終盤の出来事は全く覚えて無いんだよねー」

「……あんまハイペースで飲むなよー」

「大丈夫大丈夫!」

 へらりと笑うムツミに本当に大丈夫か、と内心で疑りながらリンドウは缶ビールに口を付け、様子を伺う。
 果たしてこれは吉と出るか凶と出るか。


◆◆◆


「……おい」

「おうソーマ! お前も一緒に飲めよ!」

「俺はまだ未成年だ」

「やだー! ソーマ冷たいー! うりゃあ!」

「絡むな酔っ払い」

 ソーマが任務に向かおうとエントランスへやって来た時には酔っ払い二人が完全に出来上がっていた。ソーマは鬱陶しげに肩を掴んで絡んできたムツミを払おうとする。あしらわれてしまったムツミはフラフラとした足取りで元の席へと戻っていった。付き合い切れるか、と言外に言うように舌打ちをしてソーマはさっさと立ち去ってしまう。
 大人しく缶ビールを飲むムツミ。しかし突然「はい!」と元気な声で言いながら挙手をした。耳まで真っ赤になっており、完全に酔っ払っているとが伺える。

「此処でリンドウさんに私から質問があります!」

「おー、何だ?」

 呂律の回らない状態で、けれどテンションだけは高い状態でムツミは続ける。

「ズバリ! 彼女は居ますか!?」

 ブッと勢い良く飲みかけのビールを吹き出した音がリンドウの方から聞こえた。静かに缶ビールを置くとリンドウは軽くため息を吐く。

「……お前相当酔ってんな。ほら、部屋戻って寝ろ」

「酔ってないよぉー」

「酔っ払ってる奴はそうやって言うんだよ、っと」

 まだ飲むと駄々を捏ねるムツミだが、リンドウによって強制的に荷物のように抱えられてしまっては手も足も出なかった。じたばたとリンドウの肩の上で暴れる。

「私はー! 荷物じゃないぞー! 神機使いだぞー!」

「あーはいはい。帰って寝るぞー酔っ払い」

 エレベーターに乗り込み、ベテラン神機使いに当てられるフロアの一室の前まで行く。エレベーターに乗ってる内に酒が回って来て眠くなったのか、大人しくなったムツミを一旦降ろして部屋のロックを解除。部屋の電気を点け、リンドウはムツミの背中を押してベッドへ促せた。

「ほら、さっさと寝とけ」

「んー……」

 渋々と言った体でムツミはゴロリと俯せでベッドに転がった。手持ち無沙汰になったリンドウはソファーに座り、タバコを吹かし始める。

「ねー、リンドウさーん」

「ん?」

 俯せのままバタバタと足を動かしながらムツミは口を開く。

「私はねー、好きな人居るよ?」

「そうか、だったらそいつを任務に連れ出して猿の餌にでもするかな」

 そんなリンドウの言葉にムツミはケラケラと笑い出す。

「で、名前は何つーんだ? ソーマか?」

「ソーマじゃないよー」

 ムツミはあのね、と言葉を更に紡ごうとするがパタリとその声が止んでしまう。

「……ムツミ?」

 不思議に思ったリンドウはゆっくりとベッドに近付いて、ムツミの顔を覗き込む。すると言い掛けてる途中で眠気の限界が来たのか、ムツミは俯せのまま静かに寝息を立てていた。

「……本当、昔っから変わんねぇな」

 そんなムツミの姿を見てはリンドウは薄く口元に笑みを浮かべ、ぐしゃぐしゃとムツミの頭を撫でた。


◆◆◆


「ん……」

 大分空が白んで来た明け方頃、ぼんやりとした意識の中でムツミは目を覚ます。
まだ脳がしっかりと覚醒してない為かボーっとした様子で昨夜の事を思い返し、途中からぷっつりと記憶が途切れてる事に気付いた。
 取り敢えずリンドウさんに私が迷惑掛けなかったか聞いてみよう。そう考えズボンのポケットに入れっぱなしだった通信端末を取り出そうとしたが、自身が誰かにがっちりと抱き締められている事に気付く。

「……?」

 一体誰が、と言うか何故。そう思いながら自身をしっかりと抱き締めている人物の顔を確認すべく顔を上げ、そして息を飲んだ。

(な、何でリンドウさんが……!?)

 ムツミを抱き締めていたのはリンドウだった。当の本人はムツミが軽くパニックになってるとも知らず規則正しく寝息を立てている。

「……リ、リンドウさん……! 起きてよ……!!」

「んー……? おぉ、ムツミか……お早う……」

 何とか腕を動かして肩を強めに叩いてやればリンドウはうっすらと目を開け、寝起きだからか普段よりもトーンの落ちた声で挨拶をする。

「お早う……じゃなくて! 何で私のベッドでリンドウさんは寝てるの!?」

 訳が分からないと言いたげにリンドウを見つめたのだが、リンドウはムツミの声に若干煩そうに眉を寄せた。小さく呻き、リンドウは続ける。

「スマンがムツミ、俺は二日酔いで頭が痛いんだ…少し静かにしててくれ……」

「え、ちょ……! リンドウさんってば……!」

 まるで遺言の様にその言葉を残すと再び目を閉じて静かに寝息を立て始めるリンドウ。更にムツミを抱き締める腕は逃がさないと言いたげに先程よりも強く力が込められていて。

「ぐ、ぬ、抜けないんだけど……!」

 朝方とは言え何時任務の要請が入るかも分からない状況であると同時にバッチリ目が覚めてしまったムツミは、リンドウの腕から抜け出そうと試みるもそのがっちりとした包囲からは抜け出せなかった。
 仕方ない、とムツミは脱力すると再び瞼を閉じた。数時間もすればすればこれから開放されるだろうと願いながら。
 そうして数時間後。大分日が昇り始めた頃になってリンドウがもぞもぞと動いて起きる気配を察知したムツミはリンドウの肩を叩く。

「……んー…? 朝か……」

「朝か……、じゃないよ!ほら起きたなら早く離してー」

 もそもそと動いて漸くムツミを解放し、ベッドを降りたリンドウは懐からタバコを取り出すと吸い始めた。にわかに紫煙を吐き出し、ふわりと部屋の天井へと上っていく。

「……で、何故俺がムツミのベッドで寝ていたのかと言うと」

「うん」

 起き上がり、ベッドの上に座って姿勢を正してムツミはしっかり聞く体制になる。

「お前をこの部屋に送った後、帰って寝るのが面倒になったからだ」

「何で!? 歩いて数歩でしょ!?」

 リンドウのあまりの面倒くささに思わず突っ込んでしまう。リンドウは至って真面目な顔で頷いた。

「あぁ数歩だ、それはさて置き……」

「……?」

 タバコを一本吸い終わり、吸殻を捨ててニヤリと口角を上げたリンドウに長年の経験からか嫌な予感しか待ち受けてないだろうと咄嗟に感じてムツミは身を強ばらせる。しかしどうやって逃げ出すべきかと考える間も無く、近づいてきたリンドウに腕を掴まれてしまい、ムツミの視界はぐるりと半転した。

ムツミ……昨日、寝る前に自分が何て言ったか覚えてるか?」

 次にムツミの視界に入って来たものは、至極楽しそうにニヤニヤとしながら自身に覆い被さるリンドウと真っ白な自室の天井。つまりムツミは今リンドウに押し倒されている様な形になる。
ムツミは僅かに首を振った。

「い、いや……覚える筈無いじゃん」

 酒を飲んでる途中の所から全く覚えていないのだ、当然寝る前の事など覚えている筈が無い。リンドウは溜息を吐く。

「かなり酔っぱらってたし当然っちゃあ当然か……あのな、お前は寝る前に好きな奴の名前を言おうとしていた」

「はっ!? えっ! 言ってないよね? 言ってないよね!?」

 予想もしてなかった事態にムツミは驚愕するが、自身に覆い被さりニヤニヤとしている彼からは意味深な笑みしか返ってこない。

「で、誰なんだ?」

「あ、い、言える訳ないでしょ!!」

 リンドウの口ぶりから昨夜、自身の想い人の名を言ってない事に気付いて安心するムツミだが口を割ろうとはしない。そもそも、言える筈が無い。この状況で。
 強情なムツミに痺れを切らせたのか、リンドウは一つの作戦に出た。

「口割らないんなら、俺は此処から動かないからなー」

「んなっ……!?」

 未だニヤニヤとした表情でムツミを見下ろすリンドウ。抜け出そうにも彼の片手で手首を頭上でしっかりと押さえ付けられてしまっている為上体すらも起こせずに居る。
暫くムツミは顔を赤くしながらモゴモゴと口を動かしていたが、観念したのか暫くすると顔を逸らしながら呟いた。

「………リ……」

「ん?」

 意を決し、その名を口にした。

「リンドウさんだよ!!」

 言ってしまった。しかも本人に。目の前で。言った後でそんな後悔の念に駆られ、呻きながら目を閉じて眉を寄せるムツミ

「……意外だったな」

「な、何がさ……」

 数秒程の沈黙の後ポツリとリンドウが呟く。うっすら目を開けて彼の表情を盗み見るとビックリした様な、面食らった様な表情をしている。

「てっきりソーマに惚れてんのかと思ってたんだが」

「……そう言うリンドウさんはサクヤと付き合ってるんじゃないの? 何か噂になってるけど」

 何処か不安げにそう言うムツミにリンドウは「あいつは只の腐れ縁だ」と切り返す。そうなんだ、とムツミの表情が幾分か和らいだ。

「さて……今日も絶好の仕事日和だ。飯食ってデートにでも行くとするかな」

「なっ……!! 私にだけ言わせておいてリンドウさんは言わない気!?」

 ムツミから体を離し、扉に向かって歩き出すリンドウに、漸く解放されたムツミは状態を起こしてリンドウに詰め寄る。

「あー……そのうち、な?」

「リンドウさんのそのうち、は当てにならな……あーっもう!」

 ブツブツと文句を垂れるムツミの制止を振り切って足早に部屋を後にするリンドウ。
ムツミは一つ苦し紛れに閉められた扉に向けてクッションを投げつけ、再びベッドに横たわる。

「……リンドウさんのばーか」

 照れ隠しの様に呟かれたそれは、本人以外の耳に入る事無く部屋に溶けていった。