Et in Arcadia ego

 長い長いエレベーターがやっと止まって重々しい扉が開き、目が眩む程ライトアップされたエイジス島内部を目にして誰もがハッと息を飲んだ。

「これは……」

「で…デカい……」

 そう呟いたアリサとコウタの視線の先には数十メートル離れているにもかかわらず、顔の作りが細部までハッキリと見て取れる程巨大な女神像が逆さまに吊されていた。
 その女神像から伸びる根のように見える触手は島全体を覆うように広がっていて、女神像は今にも動き出して自分達に襲い掛かっても不思議では無い程の命の胎動を感じる。

「涙の手向けは、我が渇望する全てなり……か」

 ムツミ達がその女神像の真下までやって来ると高所用のリフトに乗って女神像―もとい、終末捕食の鍵となるアラガミ・ノヴァを見つめていたシックザールはポツリと独りごち、何時もの冷淡な瞳でムツミ達を見下ろした。

「……ソーマ、随分とこのアラガミと仲が良かった様だな。それは愚かな選択というものだぞ、息子よ」

「黙れ…っ! テメェを親父だと思った事は無い! シオを解放しろ!」

 ノヴァの本体と島全体を覆うノヴァの触手がぼんやりと光を放ち、それを見たシックザールは唇を弧に歪める。

「良かろう……『特異点』が手に入った今、『器』などに用は無い」

 それが合図だった様にノヴァの額部分に取り込まれていたシオがずるりと吐き出される。ソーマは神機を放り出すと床を蹴り出し、落下するシオに手を伸ばす。が――

「――っ!」

 後一歩の所で届かず、シオの小柄な体はエイジスの床に無情にも叩きつけられてしまった。
 既に『コア』を取り除いたシオに用はないと言った通り、シックザールは床に落ちたシオに目もくれず、まるで演説を始める者のように両手を大仰に広げる。

「長い……実に長い道程だった。年月をかけた捕食管理によりノヴァの母体を育成しながら……世界中を駆けずり回り、使用に耐えうる宇宙船をかき集め……選ばれし千人を運ぶ計画が、今! この時を以て成就する!」

 朗々たる声で語り、シックザールはムツミ達の後ろから静かにやって来る人物に向かって笑みを浮かべる。

「……今回こそ私の勝ちだよ、博士。そこに居るんだろう?ペイラー」

「……やはり遅かったみたいだね」

 シックザールは榊の登場を当たり前の様に振る舞うと朗々と高説を宣え始める。選ばれた人類を、次世代に向けて残すのだと。
 そして榊も語り出す。自分が持つ終末捕食の臨界手間で留保し続けようとする案の事を。その為にシオを使った事に対する皆への謝罪を。
 互いの理念と理想はぶつけ合った。どちらともなく二人の会話が終わる。榊が眼鏡のフレームを押し上げた。

「……これ以上は平行線だね。ともあれ、シオのコア……終末捕食の特異点が摘出されてしまっては……もう私に打つ手は無い」

「私を欧州に仕向けてまで時間を稼ごうとした様だが、既に勝敗は決していたんだ」

「フ……やはり気付いていたのか。時は、君に味方をしてしまった様だね……」

 榊とシックザールは互いに意味深な笑みを浮かべる。

「しかしそう悲しむ事は無い。この特異点は次なる世界の道標として、この星の新たな摂理を指し示すだろう。それは定められた星のサイクル、言わば神の定めもうた摂理だ」

 地下からの振動音と共にリフトの脇からオレンジに発光する蕾の様なものがせり上がって来る。

「そして……その摂理の頂点にいる者は来るべき新たな世界にあっても『人間』であるべきなのだ。そう、人間こそが……いや、我々こそが! 『神を喰らう者』なのだ!!」

 蕾は一瞬にして花開く。美しくもおぞましくも見える一輪の巨大な花弁の中央へ、シックザールは迷い無く身を投じた。

「人が神となるか、神が人となるか……この勝負、とっても興味深かったけど負けを認めるよ。今や君はアラガミと変わらない……でも君はそれも承知の上なのだろうね」

 花弁の中からは異様な気配を感じる。ムツミ達は無言で一斉に神機を構える。

「科学者が信仰に頼るとは皮肉な事だが……今は君達を信じよう、ゴッドイーター達よ」

 ソーマはシオをそっと床に横たえると皆の所まで戻って来て、放り捨てたままだった神機を手に取った。

「リンドウ、見てる? やっと此処まで辿り着けたわ……此処に居るみんなのお陰よ」

 感慨深げに神機を握り締めながらサクヤは言う。

「俺……これまでずっと、家族やみんなが安心出来る居場所を誰かが作ってくれるのを待ってたんだ。でも気付いたら簡単だった、自分がその居場所になれば良いんだって。それを作る為に……俺、戦うよ」

「私も……みんなが居たから気付けたんです。こんな自分でも誰かを守れるんだ……って」

 コウタとアリサは決意を秘めた目でモゴモゴと蠢く花に視線を向ける。

「さぁーって支部長、宣言通り飼い犬が飼い主に刃向かう時間が来ましたよっと。……貴方の野望は私達みんなで壊してみせる、それが……兄さんとリンドウさんのせめてもの手向けになるなら!!」

 ムツミはお決まりのにんまりとした笑みで言う。

「お喋りはどこまでだ……お前ら、背中は預けたぜ!」

 最後にソーマが彼らしく短く、されどそれだけでどれ程第一部隊の面々に信頼を寄せているのかが分かる台詞で締め括った。

「降り注ぐ雨を……溢れ出した贖罪の泉を止める事など出来ん。その嵐の中、只一つの船板を手にするのは――」

 遂に花弁の中から『何か』が吐き出され、その姿を皆の前に晒す。
 それは今まで見た事の無い形態の男神と女神が一対となった創り出されたアラガミ――アルダノーヴァ。

「――この私だ!!」

 咆哮を轟かせ自分達に迫り来るアルダノーヴァにムツミ達は負けじと真っ正面から、はたまた側面からアルダノーヴァへ迫り、神機を振りかぶった。




その日、エイジス島。
フェンリル極東支部長ヨハネス・フォン・シックザールの死が確認されたその時点で、人々の未来と存亡を賭けた決戦の地は完全に封鎖された。

若きゴッドイーター達の『最後の戦い』は、こうして幕を下ろしたのである――














 ザクザクと新雪を踏み分ける音がする。その音は崖の一歩手前と言う所までやってきて、そこでピタリと止まった。

「…………」

 『白く』色の変わった神機を肩に乗せながら、ソーマはすっぽりと被っているフードの隙間からエイジス島の一件で緑色に輝く様になった月を見上げる。


「ソーマー! そろそろ帰るよー!!」

 その時の出来事にのんびりと思いを馳せる暇も無く、ムツミの明るい呼び声に以前の彼からは想像出来ない程素直に従い、ソーマはまたザクザクと雪を踏み分けて帰投準備をしている第一部隊の仲間達の所へと歩を向けた。




 ――…こうして、人の手によって創り出された『ノヴァ』の脅威は去ったが、未だアラガミはこの地上を闊歩している。

そう……神の摂理さえねじ曲げてしまった俺達に、楽園が与えられる筈も無い。

……只、あの日を境に俺の神機は天使の羽の様な真っ白な色に変わっていた。

好きにせんとした神が遺したのは、この真っ黒なままの地球で、永遠に罪を償い続ける為の道だったんだ――