Cradle
「失礼しまぁす」
バシュ、と扉が横に開き、ムツミは緩く敬礼した後に入室する。
極東支部内でもっとも格式の高い内装が施された支部長室。その中央に鎮座する大きな執務机には嘗て支部長の肩書きを持っていた男は座っておらず、代わりに『支部長代理』の肩書きを任された糸目の研究者が座っていて。その人は忙しなさそうに書類に目を通していたがムツミがやって来た事に気づくと書類から顔を上げてにこやかな笑みを浮かべた。
「やあ、ムツミ君。忙しいのに呼び立てて済まないね。先程まで討伐任務に出ていたのだろう?」
「まー、忙しいのは慣れてるっちゃ慣れてますしねー。さっきはソロでコンゴウとグボロ・グボロの討伐だったんですけど、余裕ですよ榊博士!」
グ、と胸の前で握り拳を作ってみせる。
数年前の旧型の時ならいざ知れず、現在は遠近両方ともカバー可能な新型神機だ。複数討伐ミッションを一人ですら無傷……いや、多少の怪我だけで切り抜けられるとムツミは自負している。そして事実、大きな怪我もする事無く今日までこの激戦区で生き抜いてきたのだ。
「確か一人で接触禁忌種の討伐も行っていたね?」
「あー、まあ。リーダーやアリサ達は無茶しすぎだってしょっちゅう言われてるんですけどね」
気まずそうに頬を掻き、目線をズラすムツミ。そんなムツミを後目に榊は一枚の書類に目を通していた。
ムツミが新型になってから討伐したアラガミの一覧。コンゴウやヴァジュラと言った基本種も目立つが、一際目を引くのが接触禁忌種の討伐数の多さだ。それもソロや、ソーマ・リンドウと言ったベテランとのツーマンセルで処理をしているのだから舌を巻く他無い。接触禁忌種の討伐数の多さは単純にムツミが持つ知識や戦術、神機の扱い方がベテランの域だからと言うのもあるだろが、それ以上に――
「君はこの極東を守りたいを言う気持ちは分かるが、無茶は頂けないねぇ。リンドウ君だって君が怪我でもしたら悲しむだろう」
「それはー……はい、気をつけます」
故郷を、この極東を守りたいと言う想いが強いからだろう。
けれどそれでムツミ自身が大怪我でもしてしまったら本末転倒だ。書類から顔を上げてそう言えばムツミは頬を掻いて困ったように眉を下げた。
さて、と榊は読んでいた書類を傍らに退けると『ある物』を取り出し、ムツミにも見えるようにと執務机に置いた。
「博士、これって……」
白地に金の刺繍。背中に大きく施された、狼を象った金のエンブレムは……
「いや、待たせて済まなかったね。漸く君の分も完成したんだ」
「クレイドルの……!」
『元』第一部隊のリーダー・アリサ・コウタ・ソーマと先立って渡されていた『独立支援部隊 クレイドル』の所属を示す白い制服。本当にもらってもいいのかと目で問えば榊は頷き、ムツミは嬉しそうにそれを抱えると一旦支部長室を後にした。
そして数分後、パタパタと気持ち駆け足で戻ってきたムツミは白い上着を羽織った姿だった。どうやらアリサのような女性タイプではなく、コウタと同じノースリーブタイプの上着を選択したらしい。
「どうです博士? 似合ってます?」
「うんうん、似合っているよ」
その場でくるりと回ってみせたムツミは榊に褒められて嬉しかったのか「わーい!」と両手を上げて喜んでいる。
只でさえ童顔で実年齢より下に見られがちなのに、こう言った言動が更に拍車を掛けている……と言う事実は口に出さず、榊はムツミが喜ぶ様子を眺めていた。そうしてひとしきり喜びを表した後、「そう言えば」とムツミは榊に向き直る。
「さっきから何となーくは予想してたんですけど、つまり」
「そうだ」
榊は机に両肘を付いて手を組むと、キラリとメガネを光らせつつ切り出した。
「羽佐間ムツミ君。君にはフェンリル極東支部・独立支援部隊クレイドルの一員として世界各地の支部を回りつつ、接触禁忌種を專門とした討伐班のリーダーをしてもらいたい。扱い的には長期遠征かな」
やはり、とムツミは思う。先程からあれだけ『接触禁忌種』を話題に上げているのだから何かしら組み込んで来るだろうとは腹は括っていた。けれど幾つか疑問点が浮かび、ムツミは小さく手を挙げる。
「ええーと、つまり……?」
「ああ、そうだね。順を追って説明しよう」
接触禁忌種専門の討伐班。端的に言ってしまえば三年程前にギース・クリムゾンという名の神機使いを中心とした、禁忌種狩りの本部直轄の特務部隊『アーサソール』の真似事、若しくは後釜をしろという訳だ。けれど幾つか変更点はあるらしい。
①リーダーはムツミ。これは固定。その他の人員は向かった支部毎に変わる。つまり整備班・救護班・他の討伐メンバー等は現地の人を使えとの事。
②任務は世界各地で発見報告が上がりつつある接触禁忌種の討伐、及びコアの剥離と素材の入手。これは随時サテライト居住区の建設地へと送られる。
③極東周辺での異変――『感応種』と『赤乱雲』の件が他の支部でも確認されたら速やかに報告する事。
④現場の指揮はリーダーであるムツミに一任。けれど第一部隊の『三つの命令』とクレイドルの『唯一の命令』は遵守する事。
他に幾つか細かい説明があったが、大まかなものはこの位だろう。一通りメモし終えてムツミは顔を上げる。
「準備や引き継ぎもあるだろうから、活動は来週からお願いしたいと思っているんだが……」
「一週間……」
長いようで短い時間。小さく復唱し、ムツミは表情を僅かに曇らせた。そんな彼女を見て榊はフ、と小さく笑う。
「……二日だけ、君とリンドウ君の休暇が取れた。短い休みだとは思うがゆっくりしてくれたまえ」
「博士……はいっ!」
感謝の念を込めて深々と頭を下げた後、ムツミは支部長室を後にした。
「えー!? リンドウさんも長期遠征なの!?」
「おー。あいつと姉上と三人で本部のある欧州にな」
自室に戻って早々。任務が終わって帰投していたらしいリンドウにそう言えば、彼は彼で博士に頼まれてドイツ支部へ行くとか。リンドウはソファに座って缶ビールを開けつつあっけらかんと言った。
ここで漸く榊の言った『短い休暇』が理解できた。ムツミはため息を吐き、リンドウの隣に腰掛けると足をブラブラとさせ始めた。
「なんだ、任務に不満でもあるのか?」
「無いけどさー……いや、本部に近い支部では上手くやれるのかなとかって心配はあるけど……」
極東の神機使いが果たして受け入れられるのだろうか、と言う不安や心配はある。
だが、それ以上に、
「当分はリンドウさんと会えないのかー……って」
ドイツ支部には向かうかも知れない。だがそこで必ずしもリンドウと会える保証なんて何処にもない。下手をすると数ヶ月全く会えないかも知れない。そう言う事だから榊はムツミとリンドウの休暇を合わせてくれたのだろう。
一人で落ち込んでいると、リンドウは缶ビールを机に置いて何やら思案しているようだった。静かなリンドウが気になり、ムツミは顔を上げて彼を見る。
「ん? ……リンドウさん?」
「あー、そうだな……」
うんうん唸りながら考え込んでいたリンドウは「よし!」と膝を打つとムツミを見た。
「俺達、結婚しただろ?」
「う、うん」
改まって口にされると些か恥ずかしい。頬を赤く染めながらムツミは僅かに頷く。
「けど、手続きが面倒で後回しにしてた問題がある」
「問題? ……あ」
表情を戻したムツミはそれが何なのか考え込み、そして先程、榊に呼ばれた時の事を振り返ってみて答えに行き当った。ムツミは呆れたように笑う。
「そう言えば……忙しいのと手続きが面倒で後回しにしてたっけ……籍入れるの」
「そう言うこった。休みは明日と明後日だろ?片付けちまおうぜ」
神機使い同士の婚姻の手続きは非常に多くの段階を踏まなくてはならないらしく、新種のアラガミの調査と討伐やクレイドル関連の事等で忙しくしている内に後回しにしてしまっていた。
「まー、在り来たりな言葉だが……離れてても繋がってるってのを上手く説明するのにゃこれが手っ取り早ぇと思ってよ」
「そんな、指輪だけでも十分嬉しかったのに」
「それに、早いとこ済ませちまわないといけない問題でもあったしな」
「ねえもしかしてそっちが本音じゃない? ねえ?」
「さーて、あいつと遠征の予定でも詰めてくるかなっと」
「あー! ちょっとリンドウさん、逃げようとしないでよ!!」
はぐらかすように立ち上がったリンドウは部屋を出ようとしたが「私も神機の申請手続きしに行く!!」と追って立ち上がったムツミに追いつかれてしまった。ムツミはリンドウの腕を掴んで組み、並んで歩く。
「前もそうやって逃げようとしたよね、全く……ええと、明日と明後日で書類書いて、遠征の準備して……」
「アナグラの連中に報告もしないといけねぇな」
「うぐ……絶対冷やかされそう……」
「耐えろ耐えろ」
空いている方の手でやらなければいけない事を指折り数えていたが、リンドウの一言でムツミの表情が若干嫌そうになる。
けれど心から嫌がっていないのは言葉尻から伝わってきて。リンドウは小さく笑みを零した。