流謫のさきが地獄であろうと

「待ってくれ! 後生だから……!」

 暗い部屋の中、中年の男性が床を這いずって窓辺へと向かおうとする。その男は顔面蒼白であり、冷や汗を掻いていた。よくみれば手足をガタガタと震えていて。その哀れさに、思わず匿ってしまいたくなってしまう気持ちが湧き上がる。
 男は無様に床に這いつくばりながらも、後ろから迫る脅威に対して声を掛けていた。その『脅威』は明らかに男の命を狙わんとする輩だろう。
 其のものがゆっくり、ゆっくり、獲物を前にした蛇のような足取りで男を追う。
 窓辺に辿り着き、いよいよ後退できなくなった男が蒼白な顔を前に向ける。そこには周囲を取り囲む闇よりも濃いモノが静かに立っていた。

「ぜ、税が高いと言うのなら下げよう! どうせ民達はそれで文句を言わなくなる筈だ! だから、命だけは……!!」

 これ以上来るなと言わんばかりに片手を上げて制し、見上げて『ソレ』に懇願する。
 しかし黒衣を身に纏い、目深にフードを被っているその人物は微動だにしない。ただじっと男を見下ろしているだけだ。
 黒衣の人物が片手を持ち上げる。男が情けないまでに悲鳴をあげた。その視線の先には、窓から差し込む月明かりに照らされてきらきらと輝くナイフが黒衣の手に握られている。

「──気づくのが、遅かったね」

「ひっ……!」

 的確に男の頸動脈を切り裂き、首から噴水のように血を流す男は幾ばくかした後にどう、と床に倒れた。ぴくりとも動きやしない。
 それを見届けて黒衣の者は羽織っていたマントを外した。一つ息を吐いて黒衣の──いや、ルジェは無感動な瞳で今しがた出来たばかりの死体に目を落とす。
 こいつは、とある島の領主だった。それなりに栄えてはいたが、緩やかに衰退を辿った寂しい島。しかし衰退を悪とした領主は民に重税を課し、それはいつか血税へとなりえた。
 それで得た金を使えばもっと騎空士を呼び込み、この島は栄えるようになるだろう──疲弊した民はそう思っていたが、実際は違っていた。
あろう事か男は、私利私欲の為にその金を使ったのだ。
 これには大層民は怒りを抱き、憎悪し、哀しんだ。そしてこの生まれた憎悪はいつしか形になって風に流れて行き、暗殺依頼と書かれた羊皮紙となってルジェの手に渡ったのだ。

 ナイフに付いた血を拭ってからルジェはそれをホルダーにしまう。
 仕事の内容は領主の暗殺だ。それ以上の仕事は預かり知らぬところ。領主を失った民が己の手で未来を拓いて行くのか、それとも前の領主のような者が来て同じ事の繰り返しになるのかは、ルジェの範疇の外の話だろう。
 踵を返し、薄暗い屋敷の廊下を音を消して素早く駆ける。そのまま裏口から屋敷に出、停めてあった小型の船に乗り込むと、グランサイファーが停留している島まで飛んだ。
 到着したルジェはグランサイファーから離れたところに船を隠して付け、島に上がる。
 ふと空を見上げると、まだ夜空が大部分を制しているものの下の方が白んできていて。朝まではまだ時間があるからお風呂に入って、それから仮眠しよう。眠気が増してきた頭をなんとか動かして考えながらグランサイファーに登ったルジェは客室へ繋がる扉に手を掛ける。
 その瞬間。
 廊下の向こうから誰かがやって来る足音が聞こえたルジェは扉から手を離すと近くの木箱の後ろに隠れ、息を潜めて様子を窺う。一体こんな時間に誰が、一体どうして。
 息殺して時を待つ。足音の主は奥からこちらに向かって来ると扉を開けて甲板に上がり、大きく息をしてから船の柵の方に移動していくのが伝わってきた。そろりと木箱の後ろから顔を覗かせて相手を伺い見た。そこには、

「……ラン、ちゃん……」

 諸国遊学の為にとグランサイファーに乗った白竜騎士団団長のランスロットが軽装で柵に寄りかかって空を見上げており。
 何を、考えているんだろう。
 ランスロットには沢山の責任が重圧のようにのしかかっていて、大変な立場に居ると聞く。しかしヴェインやバーシヴァルのお陰でごたごたしているフェードラッヘの復興もなんとかなりつつあるだろうと話していた。
今空を見つめている彼は──一体何を思っているのだろうか。

「……ラーンちゃん」

「うおっ!? ルジェ……? こんな時間に何しているんだ?」

 後ろからこっそり迫って声を掛けて驚かせてみれば、案の定ランスロットは大仰に驚いてくれて。ルジェはクスクスと笑いながらランスロットの隣に並んで柵に寄りかかる。

「私はちょっと寝付けなくて散歩してた~」

「近くには魔物も居る。気をつけるんだぞ」

「分かってるって~!」

 手を振りながらカラカラと笑ってみせる。しかしその手を見たランスロットの表情が途端に険しくなり、唐突にルジェの腕を掴んだ。

「なっ、どしたのランちゃ、」

「お前、本当は何をしていた?」

 ハッとして、ルジェは掴まれた手を凝視してみる。
 拭った筈だったが、拭いきれてなかった手の部分に赤黒い血痕が残っていて。
 しまった、と瞬間に思い、どうやってごまかそうかと考え──いいや、と思考を止めた。
 此処で誤魔化しても、きっといつか、何処かで今日のようにバレてしまう時が来るかもしれない。だったら──

「私ね、ちょっと仕事してたの。今はその帰り」

「仕事……?」

 ランスロットが訝しむ。

「うん。暗殺。人殺し。今日は圧政を強いた富豪の暗殺だった」

 淡々と呟かれたルジェの言葉に、思わずランスロットの背中に怖気が走る。
 ルジェの目を見る。彼女はいつもの無邪気さが鳴りを潜めたような無表情をしており、じっとランスロットをその双眸で見つめてる。

「傭兵はお金次第で請け負うから。人探しだって、配達だって、店番だって、探し物だって──人殺しだって、」

ルジェ!!」

 ランスロットがルジェの両肩を掴んだ。騎士団の連中とは比べ物にならない程の細い肩を、強く掴む。
 今にも消えてしまいそうだと思ってしまう程に、儚い笑顔をルジェは浮かべる。

「だけどね、ランちゃん。私はランちゃんの隣にいるのが好きなんだよ。とても好き。ランちゃんの隣に居る時が一番気持ちが安らぐの。
 けどね、ランちゃんは綺麗で高潔な騎士だから、私みたいな血塗れの奴なんてランちゃんの隣には合わないの。相応しくない」

「もう良いっ!!」

 掴んでいた肩をきっと引き寄せ、抱く。強く、強く。彼女が自分の所から飛んで行ってしまわぬようにと、きつく。

「もう良い、良いんだ、ルジェ

 子供に言い聞かせるような、優しい声色。その声に強ばっていた体が弛緩していくのを感じ。
 ルジェはそっと腕を伸ばしてランスロットの背中に回す。

「……俺はお前が、俺の隣に立つ人物として相応しくないなどとは一度も思った事は無い。お前の手が、汚いと思った事も無い」

「でもっ……!」

 そう。彼女の手は汚れている。色々な人の血で。その者達の恨みで、罪の意識で真っ赤に汚れてしまっている。
 洗い流しても洗い流してもこの汚れは取れず、そこで気づくのだ。
 ──ああ、これが報いか、と。

「だが、」

 ランスロットの声にルジェが顔を上げる。腕の中に収まっている少女は今にも泣きそうな表情を浮かべていて。
 いつもは強気で、前向きで、自分達を巻き込んで行くのに、本当はこんなにも重たいモノを抱えている脆い女の子。
 そういう彼女だからこそ守りたいと、愛しいと思う事が出来たのかも知れない。

「お前がそれを重荷だと思うのなら、俺はその重荷を共に背負いたい。ルジェを、支えたいんだ」

「ラン、ちゃ……」

 ぼろり、とルジェの瞳から涙が溢れ、それは後から後からどんどん溢れていく。慌てたランスロットはルジェの体を離した。
 ルジェは声を上げてわんわん泣き出す事こそ無かったが、小さい嗚咽を混ぜながら静かに涙を袖で拭っている。

「でっ、でも……私で、いいの?」

 しゃくり混じりにルジェは小さな声で問いかける。それに対してランスロットは一瞬頬を赤く染めると一度咳払いをし、ルジェの両手をとって優しく握りしめた。

「ああ。お前にはずっと、俺の隣に居てほしい」

 聞く人が聞けばプロポーズだと受け取りかねない言葉。しかしてそれにルジェはにこりと笑うだけで返したのだった。
 生真面目なランスロットと恋愛関係には無頓着なルジェ。二人が本当の意味で繋がる事が出来るのは、もう少しあとなのかもしれない。


2016/11/30