蒼紅の絆、忠騎士の兵
澄み渡る蒼穹の空。時折肌を掠めていく緩やかな風。今日は正しく騎空艇が空を悠々と飛ぶには相応しい日だ。
荷物を乗せた艇。どこかへ仕事に行くのであろう騎空団の艇。そして島から島への移動を可能とする乗合の騎空挺。それぞれが青い空を自由に飛んでいる。まるで鳥が思うがままに空を飛ぶように。
その艇の中の一つ。乗合騎空艇の甲板に、一人の少女の姿があった。
動きやすさを重視した服は如何にも傭兵業をしていると分かる格好で、長い紅髪を動きやすいようにと括っている。年齢は十代後半から二十代前半だろうか? そして何より目を引くのは、彼女の持つ深紅の戦斧だった。おおよそ長さは二メートル程。彼女が振るうには少し不釣り合いな程立派な代物だが――
「…………ぐぅ」
甲板に置かれた木箱に背を預け、まるで抱き枕かのように抱えられながら所有者に眠られては価値もへったくれもない。何か楽しい夢でも見ているのだろうか。少女――ルジェの口元は楽しげに緩んでいる。
「おい、嬢ちゃん。嬢ちゃん!」
「……ぉあ?」
船員であろうドラフの大男がルジェに声を掛け、その怒声にも近い大きな声でルジェは薄く目を開き、ごしごしと目を擦りながらドラフの船員を見上げた。
「もうすぐ終点だぞ!ずっと眠りこけてたみたいだが、降りる島を間違えちゃいねぇか?」
「んんー……大丈夫、です……」
大きな欠伸を一つ。更に伸びをして体をほぐせば意識が段々とシャッキリしてくる。よいしょと戦斧を杖代わりにして立ち上がればルジェは甲板の向こうに見えてきた国の全貌を見、満足そうに笑う。
「うん、大丈夫! 私の目的地、あそこだから!」
すると船員は困ったような、厄介な客に話しかけてしまったかのように眉根を顰ませ、短い髪の毛をガシガシと掻く。そうして船員は重苦しく、否、語るのも憚られるとでも言うように声を小さくして切り出した。
「……あそこは今、封印されてた筈の真龍が国を栄えさせてる星晶獣を喰っちまったって大騒ぎしてる国だぞ?この艇だって終点に着けば積荷を下ろすだけで仕事は終わりだ。残ってた客もその前の島で全員降りちまうからな。だっていうのに嬢ちゃんはあの国に行こうとしている。なあ、もう一度聞くが降りる場所を間違っちゃいねぇか?」
船員が善意でルジェに声を掛け、心配してくれているのが伝わってくる。しかし見間違いようも間違いようもないのだ。だからルジェは終点が『その国』だと知りながらこの乗合騎空艇に乗ったし、終点まで乗り続けていた。
そうこうしている内に艇は港に入り、緩やかに減速し始めた。程なくすれば港に降りられるようになるだろう。ルジェは忠告してくれた事への感謝を込めて軽く頭を下げ、戦斧を背負ってからハッチへと向かっていく。
「ありがと船員さん! でも私、この国の王都に用があるから!」
そうしてルジェは港に停泊した乗合艇から元気よく降りていく。
目指すは森を抜けた先にある王都・フェードラッヘ。
望むのは国の現状を知る事。そして――数年前に風の噂で聞いた『ある事件』の真実だった。
魔物が跋扈する深い森を抜けた先に、その都は存在している。
星晶獣・シルフによって繁栄し、気高き竜の名を冠した騎士団が守護する王国の都・フェードラッヘ。水辺に浮かぶ壮麗な町並みと王城は存在しているだけで一つの芸術品であると言えよう。
此処を訪れるのは何年振りだろうか。そんな事を考えながらルジェは歩き進み、城下町を抜け、王城の前へとたどり着いた。巨大な門の両端には見張りの兵がしっかりと立っている。なる程。噂を聞いてフェードラッヘに駆けつけたが、治安はそこまで乱れていないらしい。その証拠に今しがた歩いてきた城下町は賑わいを見せていた。星晶獣が真龍に喰われたと不安げに噂話をする人達とは何度かすれ違ったが、まあそれが大きな暴動に発展するような素振りは見られなかった。
ルジェは軽く身支度を整えると「よし!」と気合を入れ、ピンと背筋を伸ばして門に向かって歩き出す。そうして門番に意気揚々と声を掛けた。
「すみません。此方の騎士団の団長か国王にお目通し願いたいのですが」
「失礼ですが、団長殿か国王とのご予定は?」
「ご予定……予定……うーん……」
ルジェは困ったように頬を掻く。今回はフェードラッヘの異常事態を聞いてすっ飛んで来たようなモノだ。予め手紙で連絡もしておらず、誰かを介して連絡もしていない。
もしかしたら此度の事態に何か手助けが出来るかもと思って来たものの、出直した方が良いのだろうか。うんうんと唸りながらルジェがその場で悩んでいると、王城の巨大な扉が開き、一人の騎士が姿を現した。騎士は朗々と告げる。
「――彼女は俺が招集した傭兵だ。入城に問題はない、通してやってくれ」
清廉な水を思わせる、凛とした透き通った声。その声は数年ぶりに聞いたとても懐かしいモノで。パッと視線をそちらに移すと、一人の騎士が此方にやって来ていた。
艶のある黒髪に、深い水を思わせる鮮やかな青色の瞳。身に纏う甲冑もまた青く、細かに散らばる金細工の意匠が彼の地位の高さを伺わせている。キッと唇を引き締めた凛々しいその表情は、一体何人の女性が黄色い声を上げるのかと考える程整っていて。
蒼い騎士がルジェの傍らまでやってきた時、ルジェは万感の想いを込めてその名を呼んだ。
「――ランちゃん!!」
愛称。そして『ちゃん』付け。
とんだ爆弾発言に門番達は目を見開かせ、ランちゃんと呼ばれた騎士は頭が痛いとでも言うように片手で顔を覆う。
ややあって騎士は姿勢を正すとゴホンと一つ咳払いをし、畏まった様子で告げる。
「……ルジェ、公共の場だ。その呼び方は控えるように」
「はぁい」
少し不満そうなルジェの返事。まるで旧知の友のようなやり取りに門番達は思わず顔を見合わせてしまうが、大丈夫だと言うように彼は――ランスロットは片手を上げて制する。
「彼女の応対は俺が引き継ごう。各自、職務に戻るように」
「はっ!!」
礼儀正しく門番達は敬礼し、それを見たランスロットはルジェを連れて先導するような形で王城に入っていった。よく磨かれた石畳の床と高い天井の廊下に、二人分の足音が甲高く響き渡る。
「それにしても……まさかお前に会えるとはな。驚いたぞ、門のところでルジェの声が聞こえた時は」
懐かしさの含んだランスロット声音に、ルジェの頬が僅かに緩む。ランスロットの横に並んだルジェは後ろで手を組み、自慢げに笑った。
「えへへ。噂でフェードラッヘが大変って聞いたからさ、急いで来たの。手紙送っておけば良かったねぇ、ごめんねランちゃん」
「そうだな。来てくれるのは嬉しいが、予め連絡してくれると俺としても有難い」
僅かに微笑んだランスロットだったが、直ぐに表情を引き締めると本題を切り出す。
「……既に聞いていると思うが、今この国は一大事に見舞われている」
「ファフニールって龍がシルフ様を食べちゃったんでしょ?」
続けたルジェの言葉にランスロットは頷く。
「ああ。封印されていた筈の真龍ファフニールが目覚め、シルフ様を喰らってしまった。シルフ様は霊薬『アルマ』をお作りになる事の出来る星晶獣だ、シルフ様が居なければアルマは作れない。そしてアルマが作れないとなると、国中に居る病気の人々に霊薬が行き渡らないという事になる。それはこの国の加護を失ったのと等しい。この事態を重く受けたカール国王はファフニール討伐軍を直ぐに編成し、白竜騎士団に準備をさせている」
「なるほどねぇ……」
顎に手を沿え、ふむふむと頷くルジェ。
話を聞いて色々と考えながら、ルジェはふと一つの事に気づいた。
「ん? 白竜……騎士団?」
そう言えば。先程会った兵士達の兵装は数年前にルジェが見て記憶しているモノと意匠が違っていた。例えば甲冑の細かい部分のデザイン。例えば胸に刻まれた紋章。その差異にルジェが首を捻っているとランスロットが小さく、重苦しく切り出した。まるでその話題は禁忌だと言わんばかりに。
「……お前は知らないんだったな。……三年前だったか。黒竜騎士団は執政官イザベラ様の下、白竜騎士団として再編成され、俺は団長に抜擢された」
「三年、前……」
風の噂で聞いた『ある事』を思い出す。そう、あれは確か――黒竜騎士団の団長が先王を殺害したという話。
最初はただの冗談かと思っていた。聞き間違いだと。それか尾ヒレの付いた話だと。だけど日を追うごとに、その情報が耳に入る度に唇を噛んでしまうのだ。
――ああ、事実なのだろうと。
「……黒竜騎士団の団長……ジークフリートさんが、ヨゼフ王を殺害したって話……。別の島でも聞いた」
「そうか……」
重苦しい空気が二人の間に溜まっていく。しかしそれが耐え切れなかったかのようにルジェは打って変わって明るい声を出す。
「ランちゃん、団長になったんだね! すっごい! あ、でも副団長だった時からランちゃんは優秀だったから当然っちゃ当然か! あー、知ってたら何かプレゼントとか買って持ってきたのになぁ」
「本当に、急いで来てくれたんだな」
ランスロットが僅かに微笑む。話を逸らすには大分下手なやり方だったが、それでもランスロットが笑ってくれた事が嬉しくて。えへへとルジェは笑う。
「ファフニール討伐軍にルジェが入る事は俺から報告しておく。今日は移動で疲れだだろう、客室に案内するから休むといい」
「んー、王様……カール国王だっけ? 王様にご挨拶だけはしておきたいなぁ」
「分かったよ」
柔らかくランスロットは微笑み、釣られてルジェも笑う。
そうして二人で並びながら廊下を歩き、玉座へと向かった。