終の手向け
「やあ、エメトセルク」
親しい友に偶然会ったかのように軽く手を挙げ、その者はエメトセルクと呼ばれた男へ声をかける。至って普通の挨拶のように見えるが──それは此処が幻影都市、一万二千年前に失われた『アーモロート』でなければの話だ。
カピトル議事堂前の階段に腰掛け、瞑目していたエメトセルクは億劫そうに瞼を持ち上げ、金の瞳でその者──ナマエに目を向ける。
「……本当に一人でのこのこと敵地に現れるとはな。どうやら英雄様は、罪喰い化が進みすぎて知性も失ったらしい」
「おやおや、酷い言われようだ。言ったのは君じゃないか。なまじ知性が残って堪え難くなったら、自分のもとに来ればいいと」
肩を竦め、冗談はよせと言わんばかりにナマエは笑う。此処に至る旅路で何度か見かけた、人好きのような柔和な笑顔。誰が見ても好印象を与えそうだと思うのは、彼女が光の戦士──この第一世界的に言えば闇の戦士と讃えられるが所以だろうか。しかしその笑顔を見る度、どうにも居心地の悪さを感じるエメトセルクは、彼女の笑顔は好きではなかった。
ああ、厭な表情だ。口の中で唱えたエメトセルクは頬杖をつく。
「だから来たんだよ。私が私である間に、私の愛した人たちの手を煩わせないために」
口元を手で覆い、何度か咳き込む。粘性の高いものを吐き出すような音がしたが、指の隙間から漏れ出たソレは赤黒くなく、むしろ正反対とも言える色だった。同時にこの世界では嫌になるほど見慣れた色、すなわち光にも似た白い色で。
いや、彼女の体のことを考えると光を吐き出していると言っても過言ではないだろう。五体の大罪喰いを討伐せしめ、ノルヴラント中の光をその身に有したナマエの体は、とうに限界を超えて崩壊寸前であった。
例えるなら、コップのフチギリギリまで注がれた水か。あと一滴、ほんの一滴コップに垂らせば溢れてしまう。あと一歩で最悪の大罪喰いに成り果ててしまう、そんな限界をひと握りの理性だけで彼女は耐えていた。
どうして耐えられるのか。その理由はエメトセルクが彼女たちに歩み寄り、向き合ってみようかと考えた罪喰い討伐の旅路に同行した中で大体察せられた。
彼女は仲間が大好きだ。自分を友と呼び、尊敬して慕うアルフィノとアリゼーを慈しみ、愛していた。サンクレッドは良き戦友だったし、ウリエンジェとヤ・シュトラは常に寄り添い、暗い道を照らすように助言を与えてくれた。自分を慕うリーンには先駆者として、憧れの光の戦士として良き指標となれるように振舞っていた。
彼女は世界が好きだった。生まれ育った原初世界は勿論、光で溢れた第一世界も同じくらい愛していた。だって幾ら光に溢れていてもここには風があり、水があり、生命が生きているから。
彼女は人が好きだった。どんなに厭われても、恨まれても、必ず自分を好いてくれる人がいる、憧れを抱いてくれる人がいる。だから前に進めたのだ。友に似合うと言われた笑顔を浮かべて。
──全てが大好きだから、愛おしいから。それを脅かす化け物に成り果てる前に終わりたかった。
「私は見届けて、嗤ってやると言っただけだ。自殺の手助けをするとは言ってない。これっぽっちもな」
手で払うような仕草をする。「ひどいなあ」とナマエは笑っていて。体を蝕む光のせいで激痛がするだろうに、その気配すら感じさせない。
「君のお眼鏡に叶わなかった、哀れな敗者の泣き言ぐらい聞いてくれればいいのに。君は狭量な人物だったんだな」
ビキ、と陶器にヒビが入るような音がし、蹲ったナマエが腕を押さえて苦痛の声を漏らす。殻を破る雛鳥のように、光がナマエの内側から溢れ出てきている。
いよいよタイムリミットは近い。程なくして化け物が産声を上げるのだろう。見定めるように、値踏みするようにエメトセルクはナマエを上から下まで見やる。
「……お前は、本当にそれで良いのか?」
「……?」
痛みで気が回らないのか、投げかけられた言葉の意味を理解しかねたのかナマエは不思議そうにエメトセルクを見上げたが、少し間を置いたナマエは「ああ、」とポツリと呟く。
「……良いと、言い切れたら良かったのにな」
夢現の戯言のように、あるいは熱に浮かされた妄言のようにナマエは続ける。
「まだ、冒険してない場所がある。みんなと行きたい場所だってある。叶えたいことだってある。話したいことだって尽きない。でも、もうどうしようもないじゃないか」
ボロ、と何かが溢れる。それは溢れた光ではなく、生暖かい水分で。
「私はきっと、本当の英雄じゃなかったんだ。君の裁量に能わない、ただの人間だったんだ。だったら私は『私』のままで死にたい。愛した土地や人々を傷つける前に終わらせたいんだ。そうだ、これは私のわがままなんだよ、エメトセルク」
「だから、」と続けた言葉はせりあがってきた光に邪魔されてしまう。激しく咳き込むナマエを、エメトセルクは数段高い場所からじっと睥睨している。
心底絶望したかと聞かれれば肯定するだろう。『なりそこない』の人類が頑張ったかと思いきやてんでポンコツで、集めた光すらロクに制御できないときた。
しかし、ナマエ個人には少しだけ興味が沸いたのだ。絵に描いたような品行方正の英雄様が、最期の最期だけ本音をこぼす。あまりの愚かさと滑稽さに笑いがこみ上げてくるが、興が乗ったのは事実だ。エメトセルクは階段から立ち上がり、砂埃払う。高々に手を挙げたのを見て、ナマエも顔を上げる。
「英雄になりきれない化け物風情が……と一蹴するのは容易いが、少し興が乗った。お望み通りこのアシエン・エメトセルクがお前に手を下してやろうじゃないか」
パチンと指を鳴らす音がする。痛みでおぼろげなナマエの視界の中で、エメトセルクの輪郭が陽炎のように揺らめいた。
ああ、とナマエは安堵の息を吐く。
「私の最期を見届ける者が君で良かったと、心から思うよ。ありがとう、エメトセルク」
異形の形を成していく影に飲まれながら、ナマエは柔らかく笑った。