靴擦れしてるシンデレラ

 はぁ、とアリカは深くため息を吐く。バーカウンターにぺったりと頬を貼り付けて脱力していれば、「もう五回目ね」と苦笑混じりのマギーの声が降ってきた。
 コトン、と傍らにマグカップが置かれる。なんだろうとバーカウンターから頬を離して起き上がってみれば、中身はふわりと湯気の立つココアだった。淡い茶色の水面にはぷかぷかと白いマシュマロが浮いている。
 ありがと、と小さく言ってアリカはココアに口をつける。ほっとする、優しい味わいだ。

「何か悩み事? そう言えば乱戦ミッションに参加するって言ってたわよね……装備で悩んでたり? それとも次のチーム戦でどこに所属するか悩んでるのかしら?」

「あー、えっと……」

 口ごもる。
 なんて切り出したら良いか分からない、と言うように視線をさ迷わせて口をもごもごとさせているアリカを見、バーカウンターに両肘をついたマギーは柔らかな口調で問いかける。

「それとも、シャフリちゃんについてかしら?」

 僅かに頭が上下する。そうかもしれないと思っていたが、案の定だった。
 ココアの水面に視線を落としながら、ぽつりぽつりとアリカは口を開く。

「なんか……今までは私もシャフリも、ただのいちビルダーとして何気なく接してられたんだけど……この間のオフ会でさ、シャフリが身分の高い人だって知って、少し気後れしちゃってるっていうか……私なんかが、シャフリの隣に絶対立てないよなって思っちゃって」

 こういう時、リアルの事情が挟まないGBNは気楽で良いなとつくづく思う。
 ここではウツギアリカはただの『アリカ』だし、リュック・アルジェという男はただの『シャフリヤール』で居られるのだ。年齢も、身分も、国柄だって関係ない。ある意味等身大の自分で居られる。思いっきり自分の『好き』を表現出来る。
 リアルの顔を知ることだって別に大きな問題ではない。そうなのか、と自分が受け止められる分の事情を受け止め、程々の付き合いを続ければ良いだけだ。……本来なら。
 しかし、アリカはシャフリヤールに恋をしている。
 万が一、億が一。彼がこの気持ちに応えてくれて晴れて恋人関係となった場合、明らかに自分は不釣り合いな存在なのだ。家柄も、身分も、知識も──知識はこれから頑張れるが、ありとあらゆることにおいてシャフリヤール──リュックという青年には似合わなくて。
 だからこそ考えてしまう。ここで傷が浅いうちに距離を置いた方が良いのかも知れないと。
 はあ、ともう一度ため息を吐く。頭上から呆れたようなマギーの笑い声が降ってきた。

「シャフリちゃんのリアルを知って、アリカちゃんはシャフリちゃんを嫌いになっちゃったかしら」

「そんな事ない!」

 力強く答える。
 そんな事はない。彼を嫌うなど万が一にあり得ない。
 だからこそ、未来を思って躊躇ってしまう。なんにも知らない、気付いていないという振る舞いをすれば心が痛むことも、悲しむことだってきっと訪れないだろう。
 だけど。アリカはココアに口をつけて一拍置く。

「シャフリは私が好きだって気付いてないだろうし、今まで通りなんにも知らないフリしてれば……多分、正解なんだよ。趣味でGBNをし続けながら、私は大人になってどこかで普通に働いてるんだろうし、シャフリは釣り合う人と一緒になってる。そうして完全に交わらずに、少し進む道が重なるくらいで良いんだよ」

「う、うーん……そうねぇ……」

 マギーは頬に手を当てる。
 あれだけシャフリヤールが分かりやすく愛情表現を示しているのに、事もあろうにアリカは気付いていなかったらしい。少し彼が可哀想に思えてしまう。
 アリカに近づく輩が入ればそれとなく牽制をするし、その一挙一動を見ていればどれだけアリカを大事にしたいと思っているか、愛しているかが一目瞭然だと言うのに。
 だからこれは、そもそも悩みようの無い話なのだ。マギーは少し考え込む素振りを見せる。

アリカちゃんはシャフリちゃんのこと、好き?」

「えっと、その、」

「ん~、お姉さんちょっと聞こえないわぁ」

「……す、好き」

 聞こえてるくせに、とじろりとマギーを睨むが、マギーは何処吹く風といった様子で。

「じゃあ、シャフリちゃんがアリカちゃんを選んでくれるって言ったら、ずっと隣に居たいと思う?」

「そ、れは……」

 マグカップを強く握る。
 そんな夢物語みたいなこと起こるはずがない。シンデレラは所詮、絵本の中だけの話なのだ。
 アリカが答えかねていると、「もしもよ」とマギーが困ったように笑いかけてくる。
 もしも、なら──

「……ずっと、シャフリの隣に居たいよ」

 ポツリ。本音の一雫がココアの水面へ落とされる。
 もしシャフリヤールが自分を選んでくれるのならば、喜んで差し出された手を握り返すだろう。そうして彼に釣り合うような女性になるべく努力を重ねるのだ。
 温くなってきたココアを飲み干す。
 さて、そろそろ適当なミッションにでも出向こうかとマグカップを置きかけたその時、マギーが入口の方へと体を向けた。

「……と、言うわけらしいけど? シャフリちゃん」

「え"っ」

 ゴン。手からマグカップがすり抜けて騒々しい音を立てる。
 今、マギーはなんて。今、どこを向いて。錆び付いた機械のようにアリカがゆっくりとバーの入口へと目を向ければ、そこには壁に寄りかかっている、見慣れた狐耳のアバターが居て。
 震える唇でアリカが問う。

「…………どっ、どこ、から、聞いて」
 
「君が五回目の溜め息を吐いた辺りからだね」

 ──それってほぼ全部じゃん!
聞かれた。聞かれてしまった。隠したかったのに、これじゃあ本人に堂々と告白してしまったようなものじゃないか!
 ワナワナと体が震える。自分の顔が今赤いのか青いのかすら分からない。血の気がジェットコースターのように乱高下している気がする。
 アリカは震える手を持ち上げ、空中をタップする。そうして現れたウィンドウを操作し──

「あら、強制ログアウトしちゃったわ」

 シュン、とアリカの姿が掻き消えた。
 すぐにマギーもウィンドウを開いてフレンドリストを見てみれば、アリカはオフライン表示になっており。
 はぁ、とため息を吐いてマギーはアリカの消えた場所を見つめる。

「……ちょっと酷なことしちゃったかしら」

「いや、非なら私にあるよ。来店したのを内緒にしてくれと合図したのは私だからね」

 そう。シャフリヤールの来店には気付いたマギーはすぐに声を掛けて案内しようとしたのだが、シャフリヤールが口元に人差し指を当てて「静かに」と合図を飛ばしていたのだ。
 最近、アリカが何やら思いつめたような素振りをしたり、考え込んでいて名前を呼んでも一回では気付かないことが多くなった。話を振った時にパッと破顔して反応しても、すぐに気まずそうに顔を逸らすようになった。
 何か気に障ることでもしてしまったのか、それとも彼女に何らかの意図があるのかわからないが、兎に角事情が聞きたかった。しかし本音を滅多に言わないアリカのことだ、正面から訊ねても答えてくれないだろう。だから今日、マギーの店を訪れてアリカの声が聞こえたとき──チャンスかも知れないと思ったのだ。
 そしてシャフリヤールの読み通り、アリカは悩みを抱えていて。
 抱えていた、のだが──

「あらやだ、シャフリちゃん。目が獲物を見付けた狐みたいよ」

「いやなに。何としてでも手に入れたいと思っただけさ」

 シャフリヤールが片手で顔を覆う。
 隠れていない口元は、緩く弧を描いていて。


◆◆◆

 最悪だ、とウツギアリカは重たく息を吐く。真上では燦々と太陽が輝いているし空は雲ひとつない快晴っぷりだが、アリカの心中は大嵐の空模様の如く暗雲が立ち込めている。
 一番聞かれたくない相手に、一番聞かれたくないことを聞かれてしまった。シャフリヤールの顔が見られなくて、見たくなくて咄嗟にログアウトしてから数日、GBNにログインをしていなかった。ミッションの日にちが近くなっているから色々と準備をしなければいけないのだが、どの準備も気がそぞろになってしまって何も手が付かない。
 だってログインしたらシャフリヤールに会ってしまう。自ずと答えが明らかになってしまう。
 それがどうしようもなく──怖い。

「はあ……」

 もう一度息を吐く。
 うだうだ燻っていても仕方がないと、新パーツを作るためと気晴らしのためにガンダムカフェと併設されているプラモデルショップへ行こうと街に繰り出した次第だ。
 レンガ街を歩き、カフェへと向かう。休日というのもあってかショッピング目当ての人や観光客で辺りは賑わっている。いつも通りの光景だなと思いながら進み、カフェが近くなった頃。何やら人集りが出来ていることにアリカは気付いた。近くのカフェかどこかに有名人でも来ているのかと横を通り抜け様にチラリと見て──ギョッとアリカは目を剥いた。
 人集りの中心に居たのは、何かを探すように遠くを見ている中東風の風貌の青年。見間違える筈が無い。シャフリヤール──リュック・アルジェだ。
 こんな日本の街中に石油王のような格好をした美青年が立っているのだから、人が集うのも無理ない。どこぞの貴族か誰かがお忍びで来たのか、はたまた何かの撮影かと思って誰もが足を止めて見入ってしまうだろう。
 どうして彼が日本に。ひょっとして……なんて思っていると、人集りの向こうのリュックと目が合った──ような、気がして。
 サッとアリカはリュックから視線を外す。まさか、まさか、まさか。連絡手段が無いから日本に来たとでも言うのだろうか。遠路はるばる、わざわざ。
 淡い期待と、相反するように伸し掛かる罪悪感。居ても立ってもいれれなくなり、アリカは駆け出す。
 その手を掴む手があった。

「──アリカッ!」

 掴んだ手を引かれ、向き直される。
 立ち止まって向き直った先には、いつになく焦ったような顔をしているリュックが居て。

「……っ、どう、して」

 どうして日本に。
 どうして私なんかに。
 どうして、どうして。ぐるぐると色んな感情が込み上げてきたが言葉にはならず、喉で詰まっては嗚咽と涙という形でアリカの中からこぼれ落ちた。空いている方の手でそれを拭い、目元を袖で隠したアリカは小さく問いかける。

「……なんで来たの、シャフリ」

「君に会いに来たに決まってるだろう」

「急にログアウトして音信不通になったのは謝る。でも、だからってわざわざ日本に来るなんて」

「好きでも何でもない相手にここまでしないさ」

「…………え、」

 アリカは咄嗟に顔を上げる。
 今、彼はなんと言った? 好きだと? 誰が誰を?
 嘘でしょ。冗談でしょ。いつもならすぐに口をついて出る言葉が今日に限っては出てこない。どの言葉も真剣なリュックの眼差しに封殺されてしまった。
 ぐい、と軽く腕を引かれ、リュックの方へと近づく。
 二人の距離は、もう後一歩踏み出せばゼロになるほど近くなっていた。

「もう一度言おう。アリカ、君のことが好きだ」

 返事を、聞かせてくれないだろうか。
 大事な言葉をそっと吐き出すように囁かれたそれに頷く以外の答えは無くて。


2021/06/17