一等上の輝き

「うぅ……」

 ぐすぐすと、何処からか泣き声がする。この辺りは渡り廊下があって、綺麗に花が咲き誇る中庭もある、日当たりの良い場所で。そんな場所で凡そ似つかわしくない声がしくしくと聞こえてくる。しかしその周辺に人は疎か猫の子一匹すら途絶えていて。昼間の休み時間なら此処も賑わうのだろうが。生憎その声の主に声を掛ける者が存在しなかった。
 中庭の隅の隅。端の端にその生徒は身を縮こまさせて居た。なんと見えづらい場所に居たのか。それは恐く彼女が故意にこの場所を選んだ他ならない。人に見つかりにくい、静かな所をと。

「うっ……ぐす……」

 ぐすぐすと泣く少女は、一言で言い表せば『絵本の中から出てきたようなお姫様』の様な姿であり。けれど中庭の隅で泣くこの少女がまさか本当にお姫様だと言うことは無いだろう。
 演劇科所属である志希は次の演目ではお姫様役を見事射止めたが、その人見知りな性格と極度の恥ずかしがり屋のせいで仮稽古の日に衣装を着けたまま逃亡してしまったのである。
 演者として最低な行為だと言うのは自覚している。治さなくてはとも思っている。けれど皆が集まって練習する場だとか、幕が上がる瞬間の事を考えるとどうしても足が震えて駆け出してしまう。
 今日は仮稽古だ。本番ではない。理解はしているのに稽古場に戻る事を考えると喉がカラカラになり、頭は真っ白になり、息が苦しくなってくる。せめて少し落ち着くまで此処に居よう、と志希は空を見上げた。
 どうやら無我夢中で逃げていたらアイドル科の校舎の方まで逃げてきてしまったらしい。見覚えのある風景が目に映るがその全てに『アイドル科の校舎の中で見た』という前置きをしなければならない。居るのがバレたらお咎めだなぁ、なんて思っていると不意に近くの草がかさかさと揺れて志希は身を固まらせた。涙も引っ込んでしまった。

「だっ、誰……?」

 そっと誰何する。こわごわとしながらその姿が現れるのを待っていると、草の間からひょこんと明るい橙の髪が現れて、志希は一瞬びくりと体を震わせる。

「ん~? その声は志希か? あっ、待って、答えを言わないで! 当ててみせるから!」

 ガサガサガサガサ。ややあって四つん這いで草むらの中から姿を現したのは志希の幼馴染みでありKnightsのリーダーでもある月永レオだった。レオは志希の顔を見るなり「志希だっ!」と喜んだが、それもすぐに萎むと恐る恐ると言った様子でレオは志希に声を掛けた。

「おい、志希? 何があった~? いじめか? ボイコットか? それともサボりか? あっでも待って答えを言わないで! 導き出すから! おれなら出来るから!」

「いや……いじめでもないしサボりでは……ないかな、多分。ちょっとね、逃げてきちゃったの」

「答えを言うなよ! 妄想の妨げをするな! ……でもいつものお前の逃走癖の方だったか~! おれもまだまだってとこだなっ☆」

 カラカラと笑いながらレオは志希の隣に座って胡座を掻いた。そしてポケットからメモ帳を取り出すと鼻歌を歌いながらガリガリとペンを走らせていく。
 レオが上機嫌でペンを走らせていく姿を隣から見守るのは幼馴染みの特権でもあり、志希の好きな瞬間でもあった。話しかけても答えてくれる事はほぼほぼ無いが、黙って眺めて五線譜に音符が生まれていく過程をじっと眺めているのが好きで。レオの隣にいるのが好きで。メモ帳が五線譜と音符で埋まりかける頃になれば荒れた外洋のようだった志希の心も穏やかな水面になっていて。
 体育座りをして両膝を抱えて、志希はぽつりと呟く。

「駄目だね、私。レオくんみたいに何事も堂々と出来ないし、すぐ人目が気になっちゃうし、何思われてるのかって怖くなっちゃう」

 自分に集まる視線が怖い。自分に視線を向けた者は何を思うのかと考えると恐ろしい。下手なやつだな、と笑われるのが怖い。こんな自分は演劇に向いてないだろうと思う事は何度だってある。指折り数えて指が足りないくらいだ。だけど、

「でも志希は、演じるのが好きなんだろ?」

「……うん」

 そう、『何か』の役になりきって舞台上を歩き回り、時には飛び跳ねる。お姫様にもなれるし凄腕の剣士にもなれるし、学者や店の主人だってなれる。志希ではない、別の誰かになれると言う魅力が演劇にはある。キラキラの舞台を演じた人達を見て憧れたから、その夢を追って走っている。

「だったら、人前に立つのが苦手でもそれを耐えて、乗り越えて立たないと。前見て、笑顔を作って、お客の為に全力で演じるんだ。そうでなきゃ夢は追えない。でなきゃ『役者』なんて語れる舞台に上がらせてもらえないぞ」

「……うん」

 レオの言葉はこれ以上なく正論で、腐りかけで柔らかくなった林檎にナイフを差し込むように志希の心にすんなりと刺さった。抵抗はなく。ずぶずぶとナイフは心に刺さって行く。
 『自分』を仮面で隠し、『個』を隠し、『お客である全』へと尽くせと言うのだろう。それが演技の全てであり。ならば捨てよう。自分を捨てて笑顔の仮面を被るのだ。道化に映るかも知れないが一度舞台に立てばこちらのもの。後は己の演技で引き込んでしまうのだ。お客も、役者も、何もかもを。

「でもさ、しんどくなったらおれのとこに来ていいからな。膝枕位はしてやるからさ~♪」

「レオくん……うん、ありがと」

 レオの心遣いにまた涙が出そうになってしまう。それをグッと堪えた志希はドレスの裾を持ち上げて立ち上がるとレオに告げた。

「練習、頑張ってくる!」

「おう、行ってこ~い♪」

 まるで時間に追われているシンデレラのように走り去っていく志希は途中で振り向くと満面の笑みで手を振ってきた。レオもひらひらと手を振り返してやる。
 彼と居ると不思議と元気を貰える。難題にも立ち向かえる勇気が湧いてくる。
 もしかしたらレオくんは元気を分け与える事の出来る魔法使いなのかもと思って志希はクスリと笑い、自分のあるべき場所へと走った。


2016/08/27