打てば崩れよビスケット

 紅郎が部活の為に武道場へと足を運んでいると、不釣り合いな程綺麗な音が聞こえてきて紅郎は一瞬廊下を立ち止まる。今の時間なら鉄虎達が組手をしてたりする時刻ではないのだろうか。不審に思いながら紅郎は土間で上履きを脱ぎ、板張りの廊下を進む。

「入んぞ」

何時もの鉄虎の威勢の良い声は聞こえてこない。代わりに空気と心を振動させるような勇ましく、凛々しい音が聞こえて来て、紅郎は一歩道場に踏み入れたままの体勢で固まってしまった。
 道場の中心。そこには練習着をきて三味線をかき鳴らしている紅郎の幼なじみの少女が居て。
 少女は来訪者に気付くことなく短く息を吐くと、次の曲を弾き始める。その横顔は思わず見惚れてしまうほど真剣な眼差しで。邪魔するのも悪いかと思うと紅郎は道場には入らず廊下で時間を潰す事にした。
 適当な段差に腰掛け、目を瞑る。いま彼女が弾いている曲は次の『紅月』の新曲の音だ。脳内で歌い、ここならどんな立ち回りが良いだろうかと思考を張り巡らしていれば何時しか三味線の音色も止まり。聞こえない事に気づいた紅郎は立ち上がると道場に入った。

「おい、桐香

「あ。やっほー紅郎くん。打ち合わせ?」

 畳にぺたんと座り、汗を拭きながらドリンクを飲んでいた桐香は紅郎が来ている事に気付くとへらりと笑って手を振る。

「鉄はどうした?」

「あー、今日ね、紅月のレコーディングの練習したいから少しだけ使わせてってお願いしたら使っていいよって言われて……って事は紅郎くんが来たのも……」

「ああ、部活のためだ」

「ユニットの事じゃなかったのかぁー! ああー、悲しいよぉ……紅郎くんがわたしの為に来てくれたと思ったのに……」

 三味線を放ってしくしくと泣きマネをしだす桐香に紅郎は呆れるとぺしんと軽く頭を叩く。いたぁいと桐香は唇を尖らせて抗議の声を上げた。
 全く、この幼馴染みはと紅郎はため息を吐かざるを得ない。演奏をしている時は惚れ惚れする程の腕前と表情をするのだが、一度気が抜けてしまえばこのとおりだ。天真爛漫が過ぎると言うか、破天荒に無邪気で。

「ユニットの話なら聞くぞ」

 桐香の前に胡座を掻いて座る。
 そんな紅郎を見て桐香は目を瞬かせた後困ったように頬を掻いた。何かまずいことでもあるのだろうか。言伝程度なら蓮巳に出来るというのに。桐香が直接蓮巳を探し回って伝えるよりも紅郎が伝えに行った方が動きやすいだろう。ここは男子しか居ないアイドル科の校舎で、蓮巳と紅郎は同性であり同じユニットの仲間なのだから。

「ええっとね……ほんとに練習しかしてなかったの。だから蓮巳に伝えるような事も無くて……」

 だから困ったような顔をしたのかと紅郎は納得する。しかし桐香は手を打つと思いついたかのように少し身を乗り出した。
 紅郎との顔の距離が近くなる。紅郎の瞳にきらきらとした笑顔を浮かべている桐香の顔が映り込む。

「私練習するから紅郎くん聴いてて!」

「聞いとけっていわれてもなぁ」

「ここの感じはもっとこうした方が良いんじゃないかとか、そういう感じで良いから!」

 つまり、今から曲を流すから悪い点があれば指摘しろということなのだろう。全く持って解りにくい。
 目を輝かせて力説する桐香には昔からどうにも弱い。何事も請け負ってしまう力というか魅力がある。だから紅郎はつい世話を焼いてしまうのだ。昔なら破れたぬいぐるみを直して、今なら仕事で使う衣装を仕立てる。
 けれど嫌かと聞かれたら、そうでは無かった。彼女と居る空間は心地よいし、感謝されるのも悪くは無い。

「仕方ねぇな。ほら」

「わぁい!」

 嬉々としながら三味線を構え、短く息を吸う。ゆっくりと瞼を閉じ、静かに開ける。
 ──途端。世界が震えた。
 そう錯覚する程に、桐香の奏でる音楽がまるで形となって紅郎の体を、魂に揺さぶりを掛けてるくるのだ。
 ぞくり、と紅郎の肌が泡立つ。舞台に上がって歌う直前のような高揚感すらも覚える。それほどまでに桐香の奏でる三味線は荒々しく、同時に繊細で素晴らしいものであった。
 本当に、この幼馴染みは。これなのに三味線を弾く以外の事はてんで何も出来ない程へっぽこなのだから驚かざるを得ない。
 曲の余韻に耽っていると、紅郎の側に四つん這いでにじり寄ってきた桐香がわくわくした様子で紅郎の顔を覗き込む。

「ね、どうだった?」

「ん、良いんじゃねぇか? ミスも無かったように聞こえたし、完成されてるっつーか……」

「んー……」

 しかし桐香は納得の行かない様子で床に転がっている三味線をつつく。

「なんだ、納得してねぇのか?」

「うーん……こう、何か足りなくて……なんだろう?」

 うむむと両手を組んで唸り始める桐香。ああでもないこうでもないとブツブツ言っていると頭を抱えて叫ぶ。

「ああ! インスピレーションが降って来ない! 名曲が生まれない~!」

「お前は月永かよ」

「あ、分かった?」

 からりと笑って姿勢を正す桐香。しかし悩んでいる事に変わりはなく。三味線をケースに戻し始めた。

「紅郎くんの部活終わるの待ってる~。一緒に帰ろ!」

「おう。此処で見てくか?」

「んん、外でなんか閃かないか考えて待ってる~」

 そう言うと桐香はさっさと三味線を抱えて武道場の外に出ていってしまった。入れ違いになるように鉄虎がやってきては紅郎の姿を認めて挨拶をしてくる。
 さあ、此処からは部活だ。紅郎は気を引き締めた。


◆◆◆

「くーろーうーくーんー!」

「お前、こんなところで待ってたのかよ」

 べべべん、と三味線をかき鳴らす音が廊下に反響する。
 外で何か閃かないか待つとは言っていたが、まさか武道場の入口を出て直ぐの場所で待っているとは普通思わないだろう。鞄を担ぎながら紅郎は呆れ果てる。
 まさに馬鹿と天才はなんとやらだ。よく椚先生に見つかって怒られなかったなと感心せざるを得ない。

「帰ろ、お腹すいちゃった! 今日はウチでご飯食べてく?」

 三味線をしまい、荷物を抱えて立ち上がりながらにこにこと桐香は言う。スカートが大分しわくちゃだ。

「いや、いつもいつも世話になるのも悪ぃだろ」

 歩き出しながら紅郎は首を振る。
鬼龍家とミョウジ家は近所にある。故に昔は互いの家を行き来してよく食事やおやつを食べさせてもらっていたものだ。しかし流石にこの年頃になってまで世話になるというのは気が引ける。
しかし桐香は平然と言ってのけた。

「えー。まあもう紅郎くん来るよってお母さんに連絡しちゃったんだけどね!」

「お前なぁ」

「いーたーいー!」

 頭を鷲掴みにしてグルングルンと回す。ある程度したところでパッと手を離してやり、桐香は痛そうに呻きながら頭を抱えて蹲る。

「そういうのはもっと前に知らせとくもんだろうが。いきなり言っても迷惑がられるだろ」

「えー、お母さんも紅郎くんのこと気に入ってるから大丈夫だよ。いいよって言ってたし。寧ろ来てくれないと料理余っちゃうかも」

「はぁ……」

 これは紅郎が負けの合図でもあった。立ち上がり、やったあ! とバンザイをする。両手を横に広げてくるくると回りながら上機嫌に桐香は歌う。

「今日はね~紅郎くんの好きなものも作るって! 楽しみだね!」

「そうだな。つーか桐香、曲はどうなんだよ」

「んー? んん……もうちょっとで何か掴めそうな気がするんだよねぇ。大丈夫。打ち合わせには間に合うようにチューニングするから!」

 蹲った時に置いた荷物を抱えながら桐香はカラカラと笑う。まあ、仕事はきちんと、いやそれ以上のパフォーマンスを魅せてくれるのか桐香だ。きっと数日後には納得のいく演奏が出来たと意気揚々に武道場にやってくるのだろう。騒がしいが、嫌いではない。

「ほら、紅郎くんってば!」

「急かすなって」

 夕日の差し込む長い道を、二つの影が伸びていく。
 

2016/09/17