どの光よりもやわらかな像のままで
年末恒例行事といえば。そう、大掃除である。
師も走り回る程忙しい師走の季節だが、幸いにも志希の所属する演劇科の練習も午前中だけで終わりとなり、午後は休日となっていた。そうして時間が空いた志希は恒例行事に則り、家に帰るなり自室の大掃除に取り掛かかろうとしていた。動きやすい格好に着替え、髪を纏めて、掃除道具やゴミ袋を部屋に持ち込む。
「最初はクローゼットから、かな……」
まずはあまり手を付けていないところから。最後によく使う勉強机の整理をすれば良いだろうと思いながら志希は腕まくりをし、意気込んでから二段構成のクローゼットを開けた。普段は使わなくなった台本やら小道具やらを無造作に突っ込んでしまう空間だからだろう、観音開きの戸を開けた瞬間にぎゅうぎゅう詰めの中を見てしまい、その『圧』に気圧されて一瞬怯んでしまう。しかし志希は一度頭を振って気を引き締めると、まずは目に付いたダンボール箱を引っ張り出して中身を検め始めた。
出て来る出て来る過去のモノ。内容を憶えている台本から憶えてない台本、どうして買ったか分からない小物、読まなくなった小説や漫画、動かなくなったおもちゃ、諸々が兎に角わんさかと出て来る。その一つ一つを選別して、不必要だと思ったモノはゴミ袋に入れ、或いは重ねて紐で束ねていく。
黙々と掃除をして数十分経った頃だろうか。奥底で埃を被っていたダンボール箱を開くと、風化して黄ばんだ一枚の紙が目に留まった。
それは自由帳の一ページをちぎり、定規で五線譜を引いた拙い楽譜だった。右下には拙い字で日付と『つきながレオ』と書かれている。日付からして小学校低学年の頃にレオから貰った楽譜なのだろう。小さく書かれた音符のおたまじゃくしをなぞりながら音を声に出してみるが、生憎と志希は楽譜が読めない。後でレオくんに聞いてみよう、とその楽譜を避けて志希は作業を続けた。
そうして日も暮れかけた頃。最後のゴミを入れたゴミ袋を捨てに行けば、志希の部屋は昨日よりも大分スッキリした様子になっていた。捨てれる物は捨てたし、隅々まで拭き掃除もした。完璧だ。完璧な大晦日を迎えられる。満足感に浸りつつ志希は埃まみれになった服を着替え、身だしなみも整えてから先ほど掘り起こした昔の楽譜を手に志希は月永家へと向かった。
今日は珍しく、本当にレオにしては珍しく作曲活動と称してあちこちを放浪するのは午前中だけだったらしい。午後からは書いた楽譜をPC内の作曲ソフトで打ち込む作業に勤しんでいるらしく。家にお邪魔し、レオの部屋をノックしてからソっとドアを開けた。カーテンが開け放たれて夕日の差し込む部屋の中、熱心にPCに向かっているレオの背がすぐ視界に入ってくる。
「レオくん。レオくん? お邪魔するよ~」
念の為声を掛けたが、当然返事はない。まあ分かっていた。なので志希はレオの作曲の邪魔にならないようにとレオのベッドを背もたれにして座っていようかと思ったが――あちらこちらに楽譜が散らばっていて座る場所すら無い。仕方ない、と志希は床に散らばった楽譜を拾い集めていく。そうして一箇所に纏めて、ついでに軽く部屋の掃除もし始め、無心で掃除機を掛けてた頃。作業がやっと一段落したのか大きく伸びをしたレオが振り返り、大仰に驚く。
「うわぁ!? おれの部屋が綺麗になってる!? なんだなんだ、妖精さんが気づかない間にやってくれたのか? それとも宇宙人か!?」
「わ~た~し~で~す~!」
掃除機を止め、腰に手を当ててレオを見つめる。するとレオはぷくーっと面白くなさそうに頬を膨らませた。
「答えを言うなよ志希~! 今ので一つの名曲が生まれなくなったぞ!」
「レオくんならまた直ぐに世界をあっと言わせられるような名曲が作れるから。……って、あ、そうそう」
志希は掃除機を部屋の隅に置き、やって来た目的である楽譜をレオに手渡した。楽譜を渡されたレオはそれに目を通しながら暫く首を捻っていたが、ややあってケラケラと楽しげに笑い始める。
「懐かしい楽譜だな~! うんうん、モーツァルトだって裸足で逃げ出す程の名曲だからって志希に渡したんだ……☆」
「えっ、それってそんな凄い曲だったの?」
「この時のおれ的にはな! よ~し、ちょっと待ってろ~……」
そう言うや否やレオはまたPCに向かいだし、何やら音楽制作ソフトにどんどん打ち込んでいく。傍から見ていたら赤や黄色のチップのようなものが凄い勢いで増えていくゲームにしか見えない。何が何だか分からない様子を三十分は見つめていただろうか。「出来た!」と言うレオの声で志希もハッと正気に戻る。どうやらレオの作業を熱中して見てしまっていたようだ。
「直ぐ聞いて貰いたかったからサクっと作ったけど、まあ曲にはなってるだろうから聞いてみてくれ! それじゃ、流すぞ~!」
カチッとクリック。そうして流れ出した曲は志希の鼓膜だけではなく、心臓と心すら震わせる荘厳で美しい曲だった。
例えるならば格式高い教会で歌われる賛美歌や聖歌のような。威厳や伝統などを組み込みつつも歌う人の清らかな心と声は損なわずに。そうして祈りよ世界に届けと言わんばかりに高らかに。
時間にすれば数十秒の出来事だったが、入ってくる情報量が圧倒的すぎてまるでオーケストラの曲を一曲聞いたかのような満足感と感動がある。志希が呆然としていると振り返ったレオがニッと笑って志希の顔を覗き込む。明らかに感想を聞きたそうな顔だ。
何度か深呼吸をし、精神を落ち着けてから志希は口を開く。
「あのね、私、音楽には疎いから高尚な事は言えないと思うんだけど……凄い、すっごく凄かった! なんか聖歌とか賛美歌みたいに綺麗だけど格式高い感じがあって、オーケストラみたいで……!」
「安直な解答だな~、とは思うけど、これは志希の為に作った曲だからいっか! うんうん、大体おれの思ってた通りのイメージが伝わったみたいで嬉しいぞ! わはは☆」
つまりそれは、レオの作曲イメージもそういうモノだったのだろうか。聖歌だとか、賛美歌だとか。
志希が考えているとレオは楽譜を持ってひらひらとさせながら、何でもないような口調で呟いた。
「ほら、結婚式って聖歌隊とか居るじゃん? って聞いて、じゃあおれと志希の結婚式だったらどんな曲にしようかな~って思って作ったんだけど」
「れ、」
落ち着いた筈の心臓がものの一瞬でバクバクと鳴り始める。一気に頬に熱が集まる。
「レオくん~~~~っ!!!」
恥ずかしくて、でも嬉しくて、けどそれを認めるのは何となく癪で。そして何より唐突な爆弾発言に驚いて。
真っ赤な顔になりながら志希はポコポコとレオの肩を叩き、レオはいつものように楽しげに笑った。