あなたの痛みごと愛させて

 熱狂を孕んだ歓声が耳朶を打つ。聞き馴染んだそれが、今はヴェールを一枚隔てたかのように鈍く、遠く聞こえる。かつては一番近くに存在していたのに、今ではまるで雲の上のように遠く感じる場所。月永レオは舞台袖から華やかなステージ上を眺めていた。
 薄暗い舞台袖と違ってステージにはキラキラと眩い照明が幾つも光ってステージを煌めかせ、ファンの黄色い声と熱い視線で更に空間を盛り上げる。現に今MCとして立っている嵐と泉は至上の宝石もかくやと言わんばかりに存在を際立たせていた。
 あれこそがアイドル。レオ以外の天才も、凡人だって思い描く理想図だ。レオは傍らで垂れる黒い幕を握る。その手には力が篭っていた。まるで親に縋る子供のように。
 初めてステージに立つアイドルかと自嘲が込み上げてくる。別にステージに立つのはもう何回目かも分からない程だと言うのに。復学して『Knights』に復帰してからだってもう何回もライブしている。だから慣れているのだ。慣れている、筈なのに。

「…………っ」

 どうしようもなく怖いと感じてしまうのは何故なのか。
 観客の視線が怖い。開く口が自分を罵倒するのでないかと思って冷や汗が浮かぶ。世界の全てが自分を否定するのではないかと考えると思うと震えてくる。思いつく音符の数々がまた呪詛で塗りたくられるのかと思うと口の中が乾く。
 そんなことをされたのは『抗争時代』の、レオが最もやさぐれてて落ちぶれていた頃であって復学してからは一度も無いが、どうしてもふと脳裏を過ぎってしまうのだ。『また起きてしまうのでは』と。
 一度浮かんだ悪い想像は振り払っても振り払っても追いすがってくるものだ。ライブに集中しようとしても脳を叩いてくる。先程から泉達のMCが全く入ってこない。
 しかし月永レオは『アイドル』だ。『王さま』だ。ファンにとっての『王子様』だ。ここで逃げ帰ればKnightsにとっての汚点になりかねない。ならばどうしようと必死に思案していると――ふと、名を呼ばれた気がしてレオは僅かに頭を傾けた。ヴェールの向こうから聞こえる遠い声。

「……レオくんっ!!」

 しかしてそれは、決して薄布の向こうから聞こえる遠い声なんかでは無かった。声は存外近くて、見覚えのある姿が手を伸ばせば触れられる距離に居て。
 見覚えのある、レオが好きな姿。それが目の前にある。ぼんやりとその姿を目に留めているとじんわりと手が温かくなった。

「レオくん!?」

志希

 愛しい人が、不安げに自分の顔を覗き込んでいる。そんなに酷い顔をしていたのだろうか。安心させようと手を伸ばそうとしてレオは気付く。両手とも、しっかりと志希に握られている。

「……あれ? 志希? なんで此処にいるんだ?」

「今日のステージ、照明とか大道具で人手が足りないから演劇科の人も居るんだよ!」

 「ほら見て!」と志希が目で示した片袖には関係者マークの付いた腕章が留められている。ああそうか、とレオは納得する。確かに演劇科からの人員補助は決して多くないが、全くないという訳では無い。志希が居るのも頷けた。

「……レオくん、具合悪い?」

 再度、志希が顔を覗き込む。薄暗闇の中でどうにかレオの顔色を確認しようとしているのだろうか。

「そんな酷い顔してるか?」

 努めて明るい声を出す。志希は訝しむように眉根を寄せた。

「うん。変に強ばってるっていうか……苦しいの我慢してるみたいで……」

 ぎゅ、とレオの手を握る志希の力が少し強まる。ゆるりと温かい彼女の手は心地好く感じる。

「復学前の、レオくんみたいで……」

 苦しそうな表情がくしゃりと歪んで泣きそうになる。何故自分の事じゃないのに自分の事のように志希は泣きそうになっているのか。きっとそれは彼女が人の痛みを自分の痛みのように感じ、寄り添ってくれる優しい性格だからだろう。
 どんな時にも自分の傍に居てくれて、支えてくれる優しい志希。その陽だまりのような彼女こそ、レオが恋をした志希だった。

「大丈夫、レオくんは舞台に立てるよ」

「えっ?」

 レオが顔を上げる。にっこりと笑っている志希と目が合った。

「ほらレオくん、聞いてみてよ。ステージから聞きえる歓声を」

 恐る恐る、少しだけステージの方に近づいて耳を澄ませる。キャパシティが満杯になる程のファンが各々喋っていて、空間に響く声はザワザワとした音となっている。
 よく耳を澄ます。その中に、レオを応援する声が聞こえるのだ。今回はどんなパフォーマンスをしてくれるのだろうか。新曲はどんな感じか。レオが復学してKnightsが五人になって嬉しい。レオを見たい。レオのためにうちわも作ってきた。聞こえる声に、一切の罵詈雑言はない。

「ねっ? みんなレオくんが嫌いじゃないんだよ。みんなレオくんが好きだから、『月永レオ』の歌とパフォーマンスが好きから待ってるの」

 レオが振り返った。
 だから、と志希は続ける。

「胸張って、堂々と行ってきてよ、レオくん。それでも疲れて、嫌になったら私の所で休もうよ」

 もう一度「ねっ?」と小首を傾げる志希。レオは暫し志希を見つめていたが、やがて微笑むと今まで掴んでいた幕から手を離した。そして志希のところまで引き返して来ると彼女の両手をぎゅっと握る。

「……ありがとな、志希! 最高のパフォーマンスしてくるから特等席で見てろよなっ! わはは☆」

「うんっ! 行ってらっしゃい!」

 見計らったかのようにレオがステージに上がり、MCを終えた泉達とライブを開始する。楽しそう――否、楽しいと顔に書きながら歌って踊るレオはキラキラとしていて。志希は暫し見入っていたが、遠くから聞こえた先輩の声でハッとする。次の準備をしなくては。
 バタバタと動き出す。それでもレオの歌声はいつまでも志希に届いていて。


2019/04/08