ゆううつ色の花束

 パトロールへ向かうため、ガストはタワーの廊下を歩き進む。今日の相方はヴィクターだ。時間前に現場に到着していないとどやされるだとか、鞭が飛んでくるということはないだろうが、それでも時間前に待っていることは悪くないだろう。
 様々な人とすれ違う。分厚いファイルを抱える研究員。事務員。出動するらしく走っていくヒーロー。本当に様々だ。
 角を曲がる。今日のランチはアキラを誘ってサウスストリートに繰り出すかなんて考えていると、曲がった先の壁際に佇む女性の姿を捉える。こちらに背を向けて少し背中を丸くしている様子は、壁際に寄って電話の応答に出ているようにも見えた。社会人としてのマナーだ、なんら不思議ではない。
 だから「ああ電話してるんだな」と思ったガストは、特に気に留めることもなくすぐ視界から外し、その横を通り過ぎようとする。
 しかしその女性に少し近づいた時、様子がおかしいことに気付いてガストはピタリと足を止めた。
 スマートフォンを持っているのかと思ったが、どうやら彼女は胸の前で手を握っているようだった。そしてブツブツと何か呟いているらしく、小さく口が動いている。熱心に祈りを捧げている信者に見えなくもないが、此処はエリオスのタワー内であって教会ではない。場所が場所なだけにありありと異質感だけが浮き彫りになる。
 制服を着ていることから不審者ではなくエリオス関係者なのは確実だが、不気味すぎて声を掛けづらい。素通りするか……とガストが思案していると、微かに呟き声が耳に届いた。

「──……大丈夫、大丈夫。私はヒーローなんだ。動じるな。顔を上げて前を向け。今日だって誰一人怪我なく終えられる。私は、私は──」

 紡がれる言葉はまさしく祈りめいていて、それでいて呪詛のように吐き出されていた。
 と、唐突に女性が口元を押さえてその場に蹲ってしまう。まさか具合が悪くなってしまったのかと身構える。
 大きく肩が上下している。頻繁に、不規則に動いていることから過呼吸になったのだろうか。
 助けなければ──そうは思うものの、ガストは一歩が踏み出せずにいた。
 女性が得意ではない。対面すれば体が強張ってしまうし、言葉が出てこなくなってしまう。複数人の女性に一気に話しかけられてしまえば、なんて答えたら良いのか分からなくて思考停止してしまう。
 ──しかし。
 ヒーローなら、いま正に困っている人に手を伸ばすべきだろう。苦手だなんて言ってられない。
 グ、と覚悟を決めたガストは女性に駆け寄る。

「おい、あんた。大丈夫か?」

 傍らで膝を付き、様子を見る。やはり女性は過呼吸を起こしているみたいで、苦しそうに何度も浅い呼吸を繰り返している。
 ガストは女性の背中を擦る。

「ほら、落ち着つけ。ゆっくり息を吐くんだ。吸うことより吐くことに集中しろ」

 ガストの言葉が聞こえたのか、女性の呼吸が変わってくる。何度も忙しなく上下していた肩も落ち着いていき、顔色も僅かに良くなった気がする。
 呼吸が落ち着いてきた頃を見計らい、ガストは近くの休憩所へ女性を連れて行く。
 自販機へと向かう。女性って何を渡したら喜ぶのだろうか。紅茶? グリーンティー? それとも炭酸? コーヒーかも知れない。小銭を投入して暫し悩んだガストだったが、具合の悪そうな人には水かと考えてミネラルウォーターのボタンを押す。自分の分の缶コーヒーを片手に戻り、女性へ手渡した。

「ミネラルウォーターで良かったか?」

「あ……ありがとう、ございます」

 耳障りの良い、綺麗な声。
 か細い声で紡いだ女性は両手でペットボトルを受け取り、早速蓋を開けるとこくこくと飲みだした。
 何となくじっと見つめていたが、ハッとしたガストはどこかに腰掛けようと辺りを見回す。離れた場所に座るのもなと思い、かと言って隣に座る度胸はない。結局同じベンチの端に腰を下ろしたガストは缶コーヒーのプルタブを持ち上げた。安っぽいコーヒーの味が口を支配する。

「あの……助けて頂いてありがとうございます。えっと……イルゼミョウジと言います。一応、ブルーノース所属のヒーローです」

「ガスト・アドラーだ。あんたと同じブルーノースに配属されたばっかのルーキーだ。まあ……宜しく頼むわ」

 頭を下げるイルゼに笑いかけてみせる。しかし上手く笑えた自信がない。頬が引き攣ったような気がする。
 互いに挨拶をして、沈黙が訪れる。女性と会話を弾ませるテクニックなんて持っていない。どうするか……とちびちび缶コーヒーを啜っていると、一つの話題が脳裏を掠めた。

「具合……は、大丈夫か?」

「はっ、はい!」

 俯き気味だったイルゼが弾かれるように顔を上げる。

「ガストさんのお陰で、なんとか」

「いつもああなるのか?」

「あ、いえ……過呼吸になるほどっていうのは、あんまり……」

 また俯いてしまう。
 ペットボトルをぎゅっと握りしめたイルゼは、少し逡巡した後にゆっくりと口を開く。さながら、言ってはいけないことを告白するかのように。

「……本当は怖いんです。ヒーロー活動も、サブスタンスの能力を行使するのも。だけど周りは「イルゼになら出来る」「もっと頑張れるよね」って……。人を守りたい気持ちもあるんですけど、怖いとか、辛いって気持ちが上回ると、たまに……」

 「ああなっちゃうんです」と消え入りそうな声でイルゼは続ける。
 なるほど、彼女はどうやら相当な努力家らしい。そして全部を抱え込む性質でもある。
 どうしたもんか、とガストは頭を掻く。舎弟の中にはイルゼのような奴は居なかった。寧ろ周りに掛けられた重圧が嫌になり、ドロップアウトした連中ばかりだ。彼女は全てを投げ出して逃げれるような性質じゃないのは確かだが。投げ出せられるのなら、とうにしている筈だ。

「あー、まあ、そうだな……」

 口の中で言葉を転がす。
 何度か視線を右往左往とさせ、ガストはいよいよ口を開く。

「話聞く位なら出来るしさ。まあ……俺あんま女の子と話したこと無ぇから、ちゃんとしたアドバイスが出来るかって言われると自信無ぇんだけど」

 ハハ、と苦笑いを零す。
 しかしイルゼの顔色は少し明るくなり、眉を下げて微かに笑う。

「ありがとうございます、ガストさん。そう言って貰えると私も少し楽になります」

「ガストで良いって。俺の方が年下だし」

「じゃあ、えっと……ガストくん、で……」

 恥ずかしそうにはにかむ。
 少しずつ、彼女のことを知っていけるだろうか。そんなことを思いながらガストは缶コーヒーを煽って飲み干した。

 

2021/02/04