逆回りのぬかるみを抜けて
イルゼ・ミュラーという女性は、ガストが出会った女性の中でも特に変わった人物だった。
ヒーロー活動をしている時は明るく……正に絵に描いた『理想のヒーロー』たる振る舞いをしているが、その実何よりも戦いを恐れている内気な女性だった。
かと言って弱くて庇護欲を掻き立てられるような女性でもなく、むしろ堂々とエクリプスを殲滅していく姿は、自分より戦闘経験を積んでいるヒーローとして見習うところがあった。
そしてガストの前では、そう言った面よりは『素』に近い部分を見せてくれている……ように見える。初対面のタイミングがタイミングだっただけに、気張らず接してくれているのだろうか。タワーで移動中に会えばパッと花が綻ぶように笑いかけくれるし、自分が女性を苦手としていることに配慮してくれて、適切な距離感で接してくれている。それをありがたいと思う反面、男としてはもっと近付きたい、親密になりたいという気持ちも湧くわけで。
しかしこの想いに向き合うには、抱えてるトラウマはあまりにも高い垣根のように聳え立っている。
だけど──この垣根を壊す日が来たのかも知れない。彼女との距離を縮める、その日が。
数度手を握り締めては開いてを繰り返し、意を決したガストはスマートフォンを操作する。数度フリックをし、スマートフォンを耳に当てた。
「……あ、もしもし、イルゼか? 少し話したいことがあって――」
◆◆◆
「あっ、ガストくん……!」
タワーに併設されている小さなカフェ。そこを待ち合わせ場所に指定したガストが約束の時間に向かえば、先に着いていたらしいイルゼの姿が見えた。きょろきょろと見回したイルゼはガストの姿を視界に捉えると、パッと花が咲くように破顔して小さく手を振った。本当に可愛い。ひらりと手を振り返したガストはイルゼの下へ向かう。
「悪ぃ、待たせちまったか?」
「ううん、私が少し早く来ちゃっただけだよ」
小さく両手を振り、眉を下げて笑う。
さて、いつまでも此処で立ち話しているわけにもいかない。「入るか」とイルゼを促してカフェに入店する。昼を過ぎた頃というのもあってか店内にはまばらに職員が座っており、各々が昼食を摂ったりティータイムを楽しんでいたりする。
適当な四人がけの席に向かい合って座る。「コーヒーで」「えと、アイスココアで」とそれぞれ注文して暫くすれば二人の前にカップが置かれ、口に運ぶ。
数度コーヒーを口に運び、落ち着かないように頭を掻いたりそわそわとしていたガストだが、意を決してイルゼと向き合うといよいよ切り出した。
「悪いな、呼び出して。でもイルゼに聞いて貰いたい話があってな」
随分と昔の話だ。『所用』でHERIOSの旧ラボに興味本位で侵入した時、一人の女の子に会った。
目を瞠るほどのその少女に用事すら忘れ呆けたガストだったが、向こうも向こうで退屈していたのだろう。遊びに誘われ、二人は日が暮れるまでずっと遊び通した。それほどまでにその少女は魅力的にガストの瞳に映ったのだ。あとになって考えれば、あれはきっと一目惚れだったのだろう。
好きな人が出来る=結婚だと考えていたガストは、その子に告白をした。
……返ってきたのは、顔を真っ赤にした少女からのビンタだった。
「あ、あぁ…………」
何とも言えない表情になるイルゼ。
それもそうだ、急にそんなこと言われたら気が動転してビンタの一つ二つくらいは飛ぶだろう。少女の心境にも同情出来るし、それが原因でガストが女性を苦手とするのも察しがついた。
うん? と一つの引っかかりを覚えたイルゼが首を傾げる。
「ラボに女の子が一人で居たんですか?」
HERIOSのラボと言えば、余程特異な事情が無い限り子供が出入りするような場所ではない。それは旧ラボも同じではないのだろうか?
イルゼが訝しんでいると「あぁ、」とガストが苦笑を零す。
「マリオンだったんだよ。知ってるだろ? 俺のとこのメンターの」
「な、なるほど……」
所属するチームが違えど、その名や名声は聞いたことがある。
マリオン・ブライス。最年少でメンターとなった優秀な人。同じブルーノースとは言え所属が違うのですれ違う際に挨拶する程度の認識しか無いが、彼の容姿を思い返せば納得以外の感想が出てこなかった。
紅顔の美少年という言葉が似合う彼のことだ。子供の頃は美少女もかくやという美しさだったのだろうというのは想像に難くない。
「それがきっかけで変に気を遣いすぎたり、失敗するのが怖くてあれこれ考えちまって、変に距離を置くようになっちまった感じだな」
けど、とガストは続ける。
「イルゼのこと、もっと知りたくなったんだ。もっと話したいなとか、もっと近付きたいなって思っちまう」
「……ガ、ガストくん」
ぽぽ、とイルゼの頬が朱に染まっていく。そんな様子も可愛いと思ってしまうのだから、相当イルゼに恋をしてるんだなと気付いてしまう。
言葉を探しているイルゼの返答を待つ。『あの時』と同じようにならないようにと願いながら。
「その、ね。私はガストくんには気を遣ってもらわなくても大丈夫だし、思ったこと口にしてるし、一緒に居て楽しいし、私ももっと一緒に居たいって思うし……」
「だからね、」とイルゼは一所懸命に言葉を探す。どうやら気持ちは彼女と同じらしく、良かったと胸を撫で下ろす。ならば次の句を紡ぐのは、自分の役目だろう。
「俺と付き合ってくれないか? イルゼ」
パチパチと目を瞬かせるイルゼ。そうしてややあってフワリと嬉しそうに笑い、向けられたその笑顔にガストの胸がドクリと高鳴る。
「……はい。勿論、喜んで」
彼女は自分が守るほどか弱い女性ではない。だけどこの笑顔だけは、何としても守らせてほしいと思うのだった。