楽に吐ける種類の嘘
カタン、と音を立ててヴィータは幾つもの食器が乗せられたトレイをテーブルに置く。人気が全くと言って良い程無いこのラウンジでは、トレイを置いたその音がやけに響いて耳に障る。そうして中身が一切手を付けられていないのを見て、ヴィータは一つため息を零すのだった。
「ダメね、あの子。今日も食事を摂らなかったわ」
大きな独り言。しかしそれは明らかにこのラウンジに居るもう一人の人物に向けられたであろうセリフで。一人掛けのソファに座り込み、ARCUSを開いている青年がチラリとヴィータに視線を向ける。
「家のメイドが持って行っても駄目、
困ったわ、とヴィータはそのほっそりとした白い手を頬に添えて再度ため息を吐く。青年はARCUSの画面に視線を戻したきり、口を開こうとはしない。
「私が行って、少し話をしてみても駄目だったもの。これはきっと、誰が行っても同じだわ。ねえ、そう思わない? クロウ」
いよいよ名指しで呼ばれてしまった。やれやれと思いつつクロウはARCUSを閉じ、肘掛に腕を載せながらヴィータを見やる。
「――さあ。そこは俺の仕事じゃねぇからな。他の奴らが行って同じなら、俺でも同じ結果だろ」
「あら、分からないわよ?」
口元に人差し指を当て、悪戯っぽくヴィータは微笑む。
「貴方、あの子の恋人だったんでしょう? 貴方が持っていけば、もしかしたら食べてくれるかもしれないじゃない?」
恋人『だった』。あからさまに言葉を選んで、こちらの神経を逆なでしようとしてきているのが手に取って分かる。暫くクロウは睨むようにヴィータを見据えていたが、彼女は微笑を浮かべたままポーズを変えない。
暫く睨み合いが続く。ややあって根負けしたようにクロウが息を吐き、ARCUSを懐にしまうと立ち上がる。クロウが目の前を通り過ぎて行くのを眺めながらあら、とヴィータは呟いた。
「少しは気が変わったのかしら?」
「人質に死なれても困るだけだ」
ヒラリと手を振り、クロウはラウンジを後にする。彼が消えていった方角を見ながら、小さくヴィータは微笑んだ。
あの方角は確か、キッチンがあった筈だ。
◆◆◆
豪奢な内装に華美な装飾の施された家具が何点も置かれた貴族連合・パンタグリュエルの客室の一つ。そこの窓際には部屋の装飾には不釣り合いなほど白くて清潔なベッドが置かれており、傍らには点滴台がある。その点滴を打たれている部屋の主は何をするでもなく、横になりながら窓枠の向こうに広がる青空を眺めていた。
ぼんやりと外の風景を眺める。眺めると言っても、果たして本当にその瞳が青空を捉え、景色を脳に送っているのかと言われれば否だろう。空を見つめる瞳はどことなく生気がなく、濁っているようにみえる。
あの戦いから一体何日が経ったのだろう。皆は無事に逃げられたのだろうか。逃げた先で酷い扱いを受けていやしないだろうか。Ⅶ組以外の生徒達も無事だろうか。起きている間はずっとそんな事ばかり考えてしまっている。
リィンを庇ったⅦ組面子が全員貴族連合に捕まったりせず、無事逃げ切れただろうというのは確信している。なんせ自分が殿を務めたのだから。みんなが離れていくのを確認して自分も撤退しようとしたのだから。
その時だった。クロウの操るオルディーネの斬撃を受けたのは。
咄嗟の出来事だった。離れてく他の皆に攻撃が行かないようにとオルディーネの前に飛び出したのは。背中に掛かる衝撃と肉を断つ嫌な感触。あ、ダブルセイバーで斬られたんだなと知覚する頃にはの体は易々と吹っ飛び、ゴロゴロと地面を転がって停止する。
地面に広がっていく鮮やかな血。ズキズキと痛みが増す度に指先から冷えていく体。視界の端で蒼い機神から『誰か』が降りてくるのを捉えながら、は意識を手放した。
そうして気が付いた時はこの客室に寝かされていた。やって来た医者に一週間は昏睡をしていたとか、傷の完治には一月以上は掛かるだとか、しばらく絶対安静だとか言われたような気はするがあまり覚えていない。どうでも良くて聞き流した気がする。
動きたいのに動けない。死にたくもないけど生きる意義も見いだせない。ぐちゃぐちゃと色んな気持ちが混ざり合い、何にも昇華されず、何も生み出さず、ただただ無色の吐息となって消えていく。
何も気力が湧かず、只々息をして生きる日々。食事して栄養を摂取し、傷の回復に努めなければと言うのは頭では理解しているのに食べ物が喉を通らないのだ。
だって分からないのだ。何をしたら良いのか。帝国内は貴族派と革新派に別れて内戦勃発。皇族の安否も分からない。姉の安否も分からない。あんなに楽しかった学院生活は急に終わりを告げ、未来は暗雲が立ち込めてる。
何より――あんなに傍に居たクロウの存在が、遠くなってしまった。
「分かんない……もう、何にも分からないよ……」
痛む体を動かして上体を起こし、膝を抱えて蹲る。すん、と鼻を鳴らしていると不意にドアをノックされた。どうせまた誰かが食事を持ってきて食えと言うんだろう。喉を通らないというのに。そう思って無視していると声が掛かる。
「おう、邪魔するぜ」
「っ」
思わず顔を上げてしまう。扉の方を見やると、バスケットを提げたクロウがひらりと手を振りながら入室してきていて。ばちっと視線が合ってしまう。一瞬クロウがニヤリと笑い、それがなんだか見ていられなくなくて顔を逸らしてしまう。
絨毯を踏む音。次いでベッド脇のサイドテーブルにバスケットを置いてゴソゴソと何かを取り出す音。椅子を引き寄せる音。次いで何か香ばしい匂いが漂ってきて思わずはクロウの方を向いた。ニッと笑い、クロウは包み紙に巻かれたソレを差し出す。おずおずとは両手で受け取って包みを開く。ほんのりと温かく、いい匂いがするソレは彼が得意だと言っていた――
「フィッシュバーガー……」
「全然飯食ってねぇんだろ? ゆっくり食えよ」
そう言いながらクロウはテーブルの上にフライドポテトやドリンクを置いていく。
まるで学院生活の延長上のようなやり取り。パンタグリュエルに回収されてからは目覚めた直後に一度だけ顔を合わせたっきりで全然会っていなかったのに。場所もお互いの立場も違うのに、やりとりだけがあの日の続きのようでどうにも落ち着かない。
「飲み物は適当に持ってきたけど問題ないよな……って」
クロウがぎょっと目を剥く。が大きな口を開けてフィッシュバーガーにかぶりつこうとしていたからだ。
制止の声を掛ける間も無く、はばくりとフィッシュバーガーを頬張る。ロクに食事も摂ってないのだからゆっくり食えと釘を刺した筈なのに。椅子に座りながらクロウは呆れ顔になる。
何度か咀嚼をし、ごくりと飲み込む。ドリンクに手を伸ばして喉を潤し、は手元のフィッシュバーガーを見つめながらポツリと呟く。
「…………美味しい」
「そうか」
「うん、美味しい」
顔を上げ、へにゃりとした笑みを浮かべる。こんな屈託のないの笑顔を見たのは一ヶ月振りだろうか。一瞬面食らってしまったが、瞬きをしたクロウは静かに笑みを零す。
「あんまがっつくと喉に詰まらせるぞ」
「うん」
頷き、今度はゆっくりと食べ進めていく。テーブルに片手で頬杖を付き、穏やかな表情でクロウはを見つめるのであった。