思い出すのはいつだって
くぁ、と大あくびをしながらクロウは喫茶『キルシェ』から出てきて、清々しい朝の空気を吸い込む。
たまにはこうして早く起きて朝食を摂り、コーヒーブレイクをしてからのんびり登校、と言うのも悪くない。まあのんびりしていたら始業開始までもう間もないのだが。
さて行くかねぇとクロウがのんびりと歩を進めていくと、ライノの木が植えられている広場で誰かが寝ている様子が見て取れた。クロウは足を止めて様子を伺う。
日当たりの良いベンチに座り、すよすよと寝息を立てている深緋色の髪をした少女にクロウは見覚えがある。先日入学してきた《特科クラスⅦ組》の一人だ。そのシンボルでもある赤い、獅子の紋章が入っている制服の上着は――まるでタオルケットのように腹に掛けられていたが。こうなれば品位も品格も無い。
近寄ってみる。深緋の髪にライノの花びらがちらちらとくっついている様子から大分深く寝入っているようであり、こうしてクロウが近づいても起きる気配がない。まだ始業まで時間があるとはいえ、そろそろ動き始めないといけない頃合なのだが。仕方なくクロウは深緋の女生徒の肩をとんとんと叩く。
「おーい。遅刻すんぞ」
「……んぇ……」
薄く目を開け、ぐしぐしと拭った後にクロウを見上げてくる。
開いた目は灰色をしており、まるで髪の炎に燃やされてい出た灰を宝石にして埋め込んだみたいだった。
綺麗な色合いだなと暫し見入ってしまっていた。はっとしたクロウが近くの時計を指さす。
「もうちょいで始業時間だぞ。大丈夫か?」
「しぎょう………?」
眠たげな様子でしぎょう、しぎょう、と何度か口の中でモゴモゴと咀嚼していたが、バッと背もたれから背を離した女生徒は勢い良く立ち上がり、クロウの脇をすり抜けて広場を走って出ようとする。
「お、おいっ!?」
「アリサと当番なの忘れてた~~! 絶対怒られる~~~~!!」
クロウが止める間もなく、ダダダダと韋駄天の如き速さで女生徒は駆けていき、あっという間に姿は見えなくなってしまった。呆れたようにクロウは頭を掻く。
「じゃじゃ馬かってーの。……あん?」
ふと下を見ると、クロウの足元に赤い上着が落ちていることに気づいた。まさか……いや、確実に存在が忘れ去られていたであろう彼女の上着が。
置いておけば取りに来るだろうか?――いや、あの慌てぶりじゃ上着の存在すら忘れている可能性もある。
「……しゃーねぇ。クラスは分かってっし届けてくっかな」
土埃の付いた上着を拾ってパンパンと叩き、クロウも校門へと足を向けた。
◆◆◆
「あぁ~~……散々な一日だったよ……」
べちゃりと潰れるようにバレンシアは机に突っ伏す。
まず、綺麗に咲くライノの花にひょいひょいと釣られてベンチで寝こけてしまった。そのせいでアリサとの当番に遅れてしまって迷惑を掛けてしまったし、上着を着てこなかったことでサラに怒られた。上着もどこかに忘れてきてしまった。
次に食べたかった学食が目の前で売り切れてしまった。気になってただけあって少し悲しい。その後は廊下を歩いてたら誰かが水を零して濡らしたのであろう箇所を踏んで滑りかけたし、飲んだ紅茶が想定より熱くて舌を火傷しそうになってしまった。
上体を起こして頬杖をつく。まああとはHRをやって寮に帰るだけだ。気晴らしにお菓子を買っていこうかとぼんやり考えてるとリィンに声を掛けられた。リィンは教室の入口を指差している。
「どうしたの?」
「二年の先輩がバレンシアを呼んでるぞ」
「二年の……?」
上級生の知り合いなんて居ただろうか? 記憶にない。不思議に思いながら席を立って入口へ向かう。バレンシアの姿を認めてひらりと手を振ったのはバンダナを巻いている銀髪の男子生徒で。やっぱり記憶にない。
「えっと……?」
「やっぱ覚えてなかったか」
想定済みだというように男子生徒は笑う。学年は違えど同じトールズの生徒なのだから何処かで会っているのだろうがなんせまだ入学して日が浅い。他クラスや他学年まで覚えきれない。
「朝、公園で寝てただろ。そん時に上着落としてたから持ってきてやったんだよ」
「あっ……あー!」
両手を叩く。そう言えば慌てて走ってきたが途中ですれ違った様な、気がする。小脇に抱えられていた赤い上着をほいと手渡されてバレンシアは受け取るとギュッと上着を抱きしめる。
「良かったぁ~! どっかに忘れて困ってたんです!」
こんな目立つ上着を忘れてしまうのが些か恥ずかしいのだろう。眉を下げてバレンシアは照れ笑いを浮かべた。
銀髪の彼が数度、目を瞬かせる。
「? どうしました?」
「いや……。良い笑顔すんだなと思ってな」
バレンシアは首を傾げる。笑顔を作ることは出来るが浮かべることが出来ない──喜怒哀楽の『嬉』と『楽』の発露が苦手なのを自覚しているからだ。今、自分は笑えていたのだろうかと首をかしげていると彼がクツクツと喉で笑った。バレンシアの百面相が面白かったのかもしれない。
「――クロウ・アームブラストだ」
ス、と手を差し出される。上着を小脇に抱えてバレンシアも握手に応じた。
「バレンシア・ソネットです! よろしくお願いします、クロウ先輩!」
聞けばクロウは前年度にⅦ組の運用に関わっているらしい。ならば今後彼とやりとりすることも増えるのだろうか。そんな事を考えながらバレンシアは彼の赤い眼を見つめた。