パレイドリアの残照

輝ける明日へ

 『黄昏』の終焉からおよそ半年が経った。

 一時期は混迷を極めた帝国も次第に落ち着きを取り戻すようになり、戦争終結直後のような慌ただしさや荒れ具合は見られなくなっていて。
 だからといって遊撃士の仕事が減ったかと言われれば、まあ否だった。未だに帝国国内では大なり小なり揉め事が起き、各国から派遣された遊撃士達が事態に当たっている。五年振りの帝国ギルド復活という事もあってなかなかの盛況振りだ。随分と遠慮したい盛況だが。
 所属上リベール王国の高位遊撃士であるバレンシアも当然事態に当たっており、その忙しさからヘイムダルのヴェスタ通りにあるアパルトメントの一室を借りて寝泊りする程だった。「長い仕事になるだろうから、宿で寝泊りするよりは安いし部屋を好きに出来るから良いよね」と本人はカラカラと笑っていたが。そこまで熱心に仕事に打ち込むのは、遊撃士としての責務だけでなく『黄昏』の一連の出来事の当事者だからという責任感もあるのかも知れない。

 目が回るような毎日を繰り返す中。忙しさにかまけて見落としてしまっているが確実に、ゆっくりと。積もった雪は溶けていき、見え始めた地面から緑色が覗かせ始める。
 春の音は、すぐそこまでやって来ていた。


◆◆◆

 深海から海面へ浮上するように、ゆっくりと意識が覚醒していく。深い眠りから浮き上がったバレンシアがまず感じたのは全身の倦怠感だった。うう、と呻きながら寝返りを打つ。
 『黄昏』終焉から約半年。ほぼ毎日朝から晩まで働き通しであり、息継ぎのように時折休日を挟む日々だった。基本的には帝都にいつつ、地方で依頼が入ればその地方へ列車で赴き、また別の地方へ飛ばされ、クタクタになって帝都に戻ってくる。折角の休日も疲労による過眠で無いに等しい状況だ。今だって体が鉛のように重くて起き上がる気力すら沸かない。
 いや、と寝覚めで回らない頭を動かしてバレンシアは考える。
 今日はやっとの休日だ。しかも二連休。ひょっとしてこの半年で初めての二連休では? 素晴らしい。片付けなければならない報告書は何件かあるが、それに時間を費やしたって有り余る時間がある。
 だから悠長に惰眠を貪っているわけにはいかない。アツアツの珈琲でも飲めば幾分か目が覚めるだろう。そう決意して重たい体を起こそうとしていると――フワリ、と香ばしい香りがバレンシアの鼻腔をくすぐった。焼きたてのパンの匂いだ。
 一気に覚醒したバッと上体を起こし、バタバタと慌ただしく寝室を出たバレンシアはリビングキッチンへと向かう。その勢いのまま入室すればこちらの足音に気づいたのか、背中を向けてキッチン台の前に立っていた青年が振り向いた。入口に突っ立っっている寝起き姿のバレンシアを認め、彼は小さく笑いながらヒラリと手を振る。

「よお、バレンシア。おはようさん」

 当たり前にような挨拶。当然のようなやり取り。だけどこの光景をどれほどバレンシアが待ち望んだか。嬉しくて、眩しくて。僅かに目を細めてバレンシアは笑う。

「……うん。おはよう、クロウ」

 暫しこの光景を噛み締めるようにいたが、ハッと我に返ったバレンシアは軽く髪の毛を整えると食卓に向かった。椅子に座って机を見れば既に朝食の用意が整っていて。
 こんがりと焼かれたトースト。程よく火を通してとろりとしているスクランブルエッグ。美味しそうな焦げ目のついたベーコン。瑞々しい葉野菜にちょこんと添えられているプチトマトのサラダ。完璧な朝食がそこに並んでいた。
 改めて思う。クロウってば自分より料理上手なのでは?
 そんな事を思っているとクロウがマグカップを運んでくる。バレンシアの前に片方を置き、クロウは向かいの席に座った。マグカップの中には芳しい香りのするコーヒーが注がれていて。
 どちらともなくいただきます、と言ってから朝食に手を付ける。用意されていたジャムをトーストに塗りながらバレンシアは問うた。

「ちょっとビックリした。クロウ、こっちに戻ってたんだ」

 スクランブルエッグを食べながらクロウが答える。

「ああ、ゼリカ達の手伝いが丁度良い所で終わってな。んでお前が二連休だって聞いてたから戻ってきたんだ」

「いつの間に」

「お前がとっくに寝た後だよ。日付変わる前位か?」

 そんな遅くに帰ってきたのに、こんな凄い朝食を用意してくれていたのか。嬉しいような申し訳ないような気持ちがこみ上げてきて。それごと飲み下すようにバレンシアはジャムを塗ったトーストにかぶりつく。

 バレンシアは遊撃士として、クロウはトワ・アンゼリカ・ジョルジュと共に『黄昏』の事後処理に当たっている。そしてクロウもこのアパルトメントのこの部屋に住んでいる。ちょっとした同棲だ。
 だけど常時一緒に居られるという訳ではなく、各々で活動しているので数日顔を合わせないという事もあるし、寝る間際に帰ってきて少し挨拶を交わす日もある。こうして二人揃っての朝食も久し振りだった。
 寂しいか、と問われれば少しだけ、寂しい。だけど数日顔を合わせられないといってもいつかはこの部屋に帰ってきて顔を見られる。言葉を交えられる。触れれば暖かな体温を感じられる。それが嬉しいから、少しの寂しさなんて我慢出来る。クロウが居てくれるだけで、バレンシアはこれ以上無い程に幸せなのだ。
 そんな事を思いながら朝食を口に運んでいく。食べ終え、コーヒーを堪能していた頃。おもむろにクロウが口を開いた。

バレンシア、この後って時間空いてるか?」

「この後? うーん、報告書やんないとなあって思ってたけど別に後でも大丈夫だし……空いてるね」

「よし、そんじゃあちょっくらバイクで走るから準備しといてくれ」

「どこ行くの?」

「着いてからの楽しみだなそりゃ」

「えー」

 そんな会話をしながら朝食を終え、作ってもらったんだから片付けはわたしが、とバレンシアが名乗り出て洗い物をし、それから自室に戻って身支度を整える。バイクで走るのなら風が寒いだろうと思ってマフラーを巻き、手袋も填めてしっかり防寒する。そうしてリビングキッチンに戻ってきた頃にはクロウは既に玄関で待機していて。慌てて外に出て鍵を閉め、バイクを停めている所まで二人で向かう。こうしてバイクで二人乗りするのは学生以来だろうか。
 ゴロゴロと転がしてきたバイクの前にクロウが跨り、後ろにバレンシアが跨る。落ちないようにとぎゅっと抱きつき、「痛ぇって」「これぐらいくっつかないと落ちるじゃーん」などと会話をしつつもクロウはエンジンを吹かし、バイクを発進させる。風を切って走る感覚にきゃあきゃあとバレンシアがはしゃぎ、それに笑いつつもクロウはバイクを走らせる。
 街道をひた進み、暫くすると見覚えのある町並みが見えてきてバレンシアが大人しくなっていく。そうして町に着いた二人はバイクを街の外に停めて中に入る。見慣れた通りを歩きながらきょろきょろとバレンシアは辺りを見回した。

「トリスタだ。久し振りだね」

 此処に来たのは卒業以来だろうか。久しぶりに足を運んだがこの町は変わらない。まるで学生の時に戻ったかのような気持ちになってしまう。
 二人で並んで歩き、通りを抜けて小さな広場へと向かう。敷地に入るとヒラリ、と白い何かが視界を横切り、バレンシアは立ち止まって手のひらを出す。手に落ちたソレは白い花びらで。

「ライノの花……」

 ヒラヒラと花弁を空に放っているのはライノの花だった。まだ咲き始めで満開ではないが、十分に見栄えする程に花弁を咲かせている。
 思い出せば、クロウと初めて出会った場所もこの広場だったか。制服の上着をブランケット替わりにしてベンチで寝こけているバレンシアをクロウが起こし、その場に忘れていった上着をⅦ組の教室まで届けに行ったのが始まり。
 それから色々な事があった。実習があり、クロウが編入し、学院祭があり、内戦が始まり、別れと再会があり、今があって。
 クロウが腰に手を当て、ライノの木を見やる。

「満開にはちと早ぇが、肩並べて一緒にライノの花を見るって約束は果たせたな」

「あ……」

 それは学院生活の頃交わした約束。それと同時に煌魔城で果たされそうになくてすまないと謝られた約束で。

「……覚えててくれたんだね」

 手のひらに落ちた花びらを握り、胸の前に抱いたバレンシアは感慨深そうに呟く。言葉を噛み締めるように暫しバレンシアは俯いていたが、パッと顔を上げるとクロウを見つめてはにかむ。

「えへへ……有難う、クロウ。約束を覚えててくれて」

「――」

 嗚呼、そうだ。この笑顔だ。この笑顔を見て彼女が気になり始めたんだ。そうして惹かれて、付き合い始めて、最期の間際に思い出したのもこの笑顔で。
 明日も、未来も、これからも。ずっとこの笑顔を傍で眺めていたい。
 クロウはバレンシアの手を握る。一瞬驚いたような顔をしたがバレンシアはすぐに破顔して。

「まだ色々『約束』も残ってる事だし、二人で少しずつやっていくとするかね」

「うん!!」

 綺麗に咲くライノの花の元、二人は静かに笑いあった。


2018/21/31

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