深緋と黎明
くあ、と欠伸をしながらヴァンは頭を掻き、旧市街を歩いて行く。《4spg》の確認がてらの散歩のようなものだ。何か《匂い》は無いか、気になることが起きていないか。
しかし今日は特に何もないらしい。平穏な日、最高だ。学校のあるアニエスとフェリも午後からの合流だし、掲示板を確認したら仮眠でもするか……と考えていた時、ヴァンの数アージュ前を女性が通り過ぎていった。その拍子に何かが落ちる。
「おい、何か落としたぞ……って」
聞こえていない様子で女性はそのまま地下鉄の方へと向かって行ってしまう。仕方なく落としたソレを拾い上げ、確認する。どうやら帝国で発行された運転免許証のようだ。共和国では効力が発揮されないが、彼女が旅行者だった場合は大変なことになってしまう。自分自身が車乗りなので分かる。再発行は手続きがとてつもなく面倒くさい。
素直に警察に預けるかと考えながら免許証を検分し、ヴァンはふと気付く。
帝国の人間。どこかで見たことのある苗字と目立つ緋色の髪。もしかしたら――
「……しゃーねぇ。せいぜいエレインや《不動》とかち合わねぇことを祈るか」
そんなことをボヤきながら、ヴァンは女性の後を追うように地下鉄へと足を向けるのだった。
◆◆◆
「えーん……見当たらないよぉ……」
ぐすんと鼻を鳴らし、バレンシアは上体を机に伏せた。
依頼をこなし、ついでに買い物を済ませたのが先程。借りているアパートに荷物を置いてから『ソレ』を落としたことに気付いたのだ。辿った道を歩き直し支部にまで戻ってきたが姿かたちは無く。こうして支部の二階にて嘆いている次第であった。
その対面に誰かが座った気配がする。
「誰かが拾って、警察に届けてるかもね」
「そうだったら良いんだけど……まあ盗まれて困るものじゃないし……。あーでも再発行の手続き面倒くさいなあー……」
「でも共和国用の免許証を発行するんじゃなかった? どの道手続きは避けられない」
「ぐええ」
カエルが潰れたような声を上げれば、対面の彼女――フィーは呆れたように笑う。
仕方ない、次の休みにでも警察署に行くか……と観念していれば、誰かが階段を上がってくる音がして二人はそちらを向く。
「おー、居た。やっぱり此処だったか」
青黒い髪をした青年だ。知り合いかとフィーに目配せすれば小首を傾げられる。かといってバレンシアの知り合いにもこんな青年は居ないはずだ。
バレンシアの前まで来た青年は、上着のポケットから取り出したそれを差し出す。
「これ、あんたのだろ。旧市街で落っことしたぜ」
「あっ、ああーー!!」
わたしの免許証! と立ち上がって青年を指差す。まさか彼が拾っていてくれて、わざわざギルドにまで届けてくれるとは。
「有難うございます! いやー、どこで落としたのか本当に分からなくて……」
「一応声は掛けたんだが、気付かずに行っちまってな。ギルドに居てくれて助かったぜ、《雷速》殿」
「それで警察じゃなくてギルドに来たんだ」
納得、とフィーが机の上で手を組む。免許証を受け取ったバレンシアは手早く財布にしまった。
「あの、本当に有難うございました。えーっと……」
「ああ、《アークライド解決事務所》のヴァン・アークライドだ。礼なら仕事で返してくれれば良い」
「バレンシア・アームブラストです! あれ? っていうかわたしを知って……?」
バレンシアが己を指差して首を傾げる。
「ま、結構有名だろ。《紫電》と《剣の乙女》に並ぶ、最年少A級遊撃士……」
しかし。今度はヴァンが首を捻る番だった。
「苗字変わったのか?」
「あ、それ聞いちゃうんだ」
「えへへへへへ」
面倒事に首を突っ込んだぞと言いたげなフィーのジト目に疑問符を浮かべるが、バレンシアの締まりのないにやけた顔で大方察することが出来た。
「実は去年結婚してねー、苗字変わったんですよぉ! あっ指輪は武器持つ時に邪魔になるから首から下げてるんですけど見ます? 見ます?」
「いやいい、分かった。大丈夫だ」
手でNOサインを出してもそんなものは目に入らないと言うようにバレンシアは語り始める。
帝国出身でありながらリベールに渡り、あっという間にA級に上り詰めた優秀な遊撃士と聞いていたが、まさかこんな人物だったとは。
早くこのマシンガントークが終われと願いながら、ヴァンは脳内でバレンシアという女性像を改めるのだった。