徹夜バレ
フロレンシアの家。カーペットの敷かれた畳の上で、家の持ち主である彼女は気不味そうな表情で畳に視線を落としながら正座をしていた。その正面には萌黄色の双眸を冷ややかに細め、仁王立ちをしているツイランが居る。
明らかにフロレンシアに非がありそうな状況下。非常に重苦しい空気の中、口火を切ったのはツイランの方だった。
「……フロレンシア。最後に休息を取ったのは何時だ?」
「え、ええっとぉ……八時間くらい前かな……」
因みに現在時刻は朝の六時である。
「何徹目だ?」
「えー……一徹、かなぁ……」
視線をうろうろと彷徨わせ、もごもごと返答する。そんなフロレンシアを断ずるように、有無を言わせぬ口調でツイランはピシャリと言い切った。
「目の下のクマの濃さ、及び平常時よりも疲労気味の声の調子、更に――」
ツイランの視線が土間の方へ向かう。
今居る畳の間から見て、土間の左奥。そこはフロレンシアの《工房》とも呼ばれる場所があり、キカイやカラクリの作業は基本的にそこで行われている。
そこにある作業台。大人一人が寝られそうな程に広いそこに、描きかけの設計図が何枚も散らばっていた。緻密に描かれたそれらは一朝一夕で描ききれるものではないだろう。つまるところ……。
「あの作業量を一日で終えることは不可能だ。三日は徹夜していると推察する」
「はい……ごもっともでぇ……」
フロレンシアの肯定が尻すぼみになっていく。その語尾と比例するようにフロレンシアは身を縮こまらせていった。
「どうしてバレたの……バレないように寝たフリと早く起きたフリは徹底してたのに……」
同じタイミングで就寝したが、ツイランが寝入ったのを確認してからフロレンシアはそっと布団を抜け出してこそこそと工房に行っており、黙々と作業をしていたのだ。作業中極力物音は立てないように気を張っていたし、彼が起き出す頃合いを見計らってまた布団に戻り、今起きました感を演出したりもした。そうやって徹底的に誤魔化していた筈なのだが、どうにもツイランの方が一枚上手だったらしい。フロレンシアの詰めが甘かった部分もあるのだろうが。
ツイランが怒るのも無理はない、とフロレンシアは思う。散々彼に向かって無理はするなと言うくせに、当の本人がこの始末なのだから。
けれど。けれどもだ。こういう仕組みのキカイを作ればもっと人の役に立てるのでは? 此処の設計をこうすればより良いモノが作れるのでは? と一度考えてしまうと止まらないのだ。そうして筆が乗ると寝食を忘れ、すっかり冷めきったコーヒーを片手に机に向かってしまう。
――ツイランと出会ってから、『罪を灌がねば』という焦燥感は幾分か減りはしたけども。減った上でこうならば、それはもうフロレンシアの性分なのだろう。
ツイランが小さく息を吐く。その音にフロレンシアちらり、とツイランの顔を上目で窺った。
「……怒ってる、よね」
「怒りというよりも、呆れているな。貴方は私に無茶をするな、休憩しろと言うのに、自分の体は顧みないのだから」
「はい……」
しゅんと項垂れる。言い返す言葉もない。
するとツイランが片膝を折って屈み、フロレンシアと目線を合わせる。何だろうと思いながらフロレンシアが歯車の浮かぶ薄い緑の瞳を見つめていれば、穏やかな声音でツイランは口を開いた。
「……私は貴方が心配なんだ、フロレンシア。貴方は私と違って人であり、何処か壊れれば取り返しが付かない。体を大事に扱ってほしいんだ」
「ツイラン……」
眉を下げるツイランに胸が苦しくなり、フロレンシアは服の胸元をぐしゃりと握る。
フロレンシアもツイランも、互いに互いを心配する理由は同じだった。相手が心配だから、健やかで居てほしいから、ずっと隣に居てほしいから。だったら相手を心配する前に自分を顧みないといけなかったのに。これではただただ悲しませてしまっているだけではないか。
「……ごめんね、ツイラン。心配させちゃって」
フロレンシアが頭を下げる。それを見、ツイランも頷いた。
「分かってくれたのならば、それで良い。……人の為にと日夜研究をする貴方も素晴らしいと思うが、その前に貴方は私の大事な伴侶なのだから。私の為にも、体は大切に扱ってくれ」
「ツイラン……」
大事な伴侶、という言葉に胸が高鳴る。その鼓動を確かめるように胸に手を当てていれば、「ならば、」と続けたツイランに手を取られ、フロレンシアはそのまま立たされる。なんだなんだと思っていればツイランの両手はフロレンシアの背中と膝裏に周り、あっという間に横抱きにしてしまった。
「ツ、ツイラン!?」
突然ぐるりと回った視界とツイランの行動に素っ頓狂な声を上げていれば、ツイランは淡々と口を開く。
「貴方の稼働時間は既に大幅にオーバーしている。まずは休息が必要だ。少し眠ると良い」
そのまま布団まで運ばれ、フロレンシアの体はそっと布団の上の横たわされる。掛け布団もしっかりと肩まで被せられ、完全に寝る態勢にされてしまった。
寝られるだろうか。窓からは朝の日差しが柔らかく差し込んできているし、先程しっかり珈琲を摂取しているのでカフェインだって体に回っている筈だ。まあ体を横にするだけでも多少は休めるかなとフロレンシアが思っていると、傍らに座ったツイランがポンポンと優しくフロレンシアの胸元を叩いた。
どうしたのだろうとツイランに視線を向ければ、緩くツイランは目を細める。
「こうして適度な加減で叩くと入眠しやすいと聞いた」
「あはは……それって多分、親が子にするやつだね……」
フロレンシアにも記憶がある。幼い頃に雷の音が怖いとぐずった時は母親が添い寝をしてくれて、ポンポンと胸や背を叩いてあやしてくれたものだ。
……ああでも。フロレンシアの瞼が次第に重たくなっていく。
ツイランが与えてくれる衝撃とリズム、凄く気持ちいいな。
そんなことを思っている内にフロレンシアの瞼は落ち、静かな寝息が聞こえてくる。
「……おやすみ、フロレンシア」
手を止めたツイランはフロレンシアの頭に触れ、優しく撫でる。
束の間でも、どうか今だけは安らかであってほしい。そう願いながら、ツイランはフロレンシアの髪に指を絡めた。