Other

朱は赤より出でて赤より朱き

「やぁ、奇遇だネ」

 その瞬間。刹那が口に運ぼうとしていたグラタンのマカロニがポロリとフォークから零れ落ちた。

 別になんてことない日だ。腹が空いたから気に入っている店で昼食でもと思い、足を運んでこれまた気に入っているメニューであるチキングラタンを注文した。
 グラタンがやって来るのを心待ちしながら、なんとなく店内を見回す。昼時だからか、店自体が小ぢんまりとしているのも相まってなかなかの込み具合だ。カウンター席に通されたのだが右隣以外はしっかりと埋まっているし、テーブル席もほぼ埋まっているように見える。
 この時点で気付けば良かったのだ。お気に入りの料理にありつける幸福感に浮かれて視野が狭くなっていたのかもしれない。此処で姿を目に止めて席を立っていれば、少なくとも刹那の右隣にこの声の持ち主はやって来ていなかったのだろうから。
 錆びた機械のようにギギギ、と首を動かして右隣を見やる。見れば、案の定――微笑みを湛えたアジアンがいつの間にか腰掛けており、刹那と目が合うとさも嬉しげに目を細めた。刹那はさっと目を逸らし、己とアジアンの間に戸を立てるように片手を上げる。

「悪いけど人違いだよ。他人の空似」

「まさか! ボクがキミを見間違えるわけがないサ。聖なる炎のように美しくも気高いその髪、柘榴石が如く光を放ち、魔導時代の宝石だって裸足で逃げ出すその瞳……間違いない、先日会った《麗しのキミ》だ」

 うっとりとした顔で詩を読み始めた馬鹿を放っておき、刹那は気を取り直したようにフォークでグラタンを採掘する作業に戻った。出来立てアツアツの一番美味しいタイミングは惜しくも逃してしまったが、それでも美味しいものは美味しい。フォークを運ぶ度に伸びる濃厚なチーズも、ミルク感たっぷりのホワイトソースも、ゴロゴロホクホクの具材たちもどれもが絶品だ。
 黙々と食べ進める中、刹那は背中に突き刺さる視線を感じていた。最初こそ無視していたものの、チクチクを通り越してグサグサと突き刺さるソレに耐えかねて一旦フォークを置いて振り返れば、テーブル席の一角に座っている女性が物凄い形相で刹那を睨んでいた。もしかして《昼飯時》のメンバーだろうか。
 まあ、分からないでもない。アジアンの顔は整っている部類だろう。それもかなりの。そんな男性が何処の馬の骨とも知れない輩に絡んでいるとなれば面白くないのかも知れない。
 姿勢を正す直前、チラリとアジアンを見てみる。バチッと視線がかち合ってしまった上に微笑まれ、うわっと思いながら刹那は食べかけのグラタンに視線を落とした。もしかして自分が食べている間、ずっと見ていたのか?
 意味が分からなさすぎる。怖いとか気持ちが悪いとかの前に、彼の何がそうまでさせるのか疑問だ。
 フォークを手に取り、少し冷めてきたグラタンをつつきながら彼の興味の根源を考え――ああ、と納得した。
 先日の邂逅の後、《ZOO》の拠点である動物園事務所に戻った時、マリアローズに問うたのだ。アジアンという男を知っているかと。そう問えば「最近僕に付きまとってる変態のこと?」と至極うんざりとした答えが返ってきて、刹那は理解した。
 この男はマリアローズに惚れ込んでいる。それは分かる。しかし気高い薔薇のようなマリアローズに易々と手を伸ばすことも、その薔薇を手折ることも出来ないから刹那に声を掛けているのだろう。
 マリアローズが美しい薔薇なら、きっと自分は造花の薔薇だ。見てくれは美しくとも本物には至れない。けれど代わりに手に入れることは簡単だ。
 結論が出てしまうと心が荒んでくる。刹那は残りのグラタンを一気に掻き込み、グラスの中の水を飲み干すと席を立ち上がった。釣られてアジアンの視線も上へと向かう。

「マリアの代替品ってことならお断りだよ。二度と話しかけるなよ、《虐殺人形》」

 吐き捨てるように冷淡に告げ、カウンターに代金を置いた刹那は店を後にした。
 あそこまで言えば流石に付いてこないだろう。清々したようにフンと鼻を鳴らしてエルデンの街並みを歩いていれば、後ろから刹那の後を追ってくるような慌ただしい足音が聞こえ、辟易しながら足の速度を早めた。

「待っておくれヨ!」

「だーかーら! 掴むなって!!」

 また肩をガシリと掴んで引き止められてしまい、背筋に伝った悪寒ごと振り払うようにアジアンの手を叩き落とした。触られた肩を擦る。
 刹那は他人と接触するのが苦手だ。というか人間嫌いである。戦闘中に誤って触れ合うならまだ許容範囲だが、意図を持って触られることを嫌う。だから極力素肌を晒さない長袖の装備を身につけているし、手だって剣の握る際の滑り止めを兼ねて手袋を嵌めている。外すのはせいぜい手掴みの食事をする時や自宅に居る時くらいだ。
 幾ら装備で固めているとは言え、こうも触られれば不愉快だ。ジリジリとすり足でアジアンから距離を取ろうとすれば、らしくもなく慌てた様子で両手を左右に振った。

「いや、すまない。どうしてもキミを呼び止めたくて、気が急いていたようだ」

 流石に一連の動作で触れられることを嫌うのを理解したのだろう。これ以上は危害を加えないと示すようにアジアンは振っていた左右の手を肩の高さに上げる。
 今すぐにでも立ち去ってやりたいが、前回の件を反省しているのか、その表情はどこか申し訳無さそうだ。はあ、とため息を吐き、刹那は片手を腰に当てた。取り敢えずは話を聞いてみるか。

「で、何の用だよ」

「キミに謝罪をしたかったんだ。先日は不快な思いをさせてしまってすまなかった」

「……そう」

 手を降ろし、素直に頭を下げたアジアンに刹那の中の溜飲が少しだけ下がったような気がした。
 なんだ、きちんと己の過ちを謝れる男ではないか。刹那が少し感心していれば体を起こしたアジアンが口を開く。

「それで、キミの名は?」

「それ、聞く必要ある?」

「ああ」

 素っ気なく言えば、アジアンはさも当然かのように頷く。
 人嫌いの刹那としては縁は此処までにしておいてもらいたい。謝ってもらったしじゃあさようなら、と綺麗に分かれて金輪際関わりたくないのに、どうやらそれは許してくれなさそうだ。

「キミのことを改めて知りたいんだ。キミの名も、好みも、何もかも」

 アジアンは上着の中を弄ると一本の薔薇を取り出した。その花弁は空よりも青く澄んだ色を持つ薔薇だ。
 青薔薇が自然界で育たないということは刹那も知っている。つまりは造花なのだろうが、作り物にしてはやけに精巧だ。大ぶりな花弁は肉厚で瑞々しく、今にも芳醇な香りが漂ってきそうだ。
 ひょっとして錬金術製なのだろうか。そんなことを思っているとアジアンはその青薔薇を顔の近くまで持っていき、香りを嗅いでうっとりと目を細める。

「キミはまるでこの青薔薇だ。ボクを魅了してやまないが、決してこの手中には収まろうとしない。奇跡のように美しい、孤高で完璧な《麗しのキミ》……」

 また始まった。お得意の謎ポエムが。呆れながらも刹那は己を指差した。

「ぼくの何処に青い要素があるって?」

 刹那は髪も瞳も血のように、あるいは沈みかけの夕日みたいに真っ赤だ。装備は黒を基調に白いラインやワンポイントが入っていて、見えうる限りの場所に青い要素は見当たらない。
 キザったらしく前髪を掻き上げ、微笑を湛えながらアジアンは刹那へ青薔薇を差し出す。

「この青薔薇の花言葉サ。奇跡。不可能」

 アジアンが軽く青薔薇を振る。受け取れ、ということだろうか。
 青薔薇とアジアンを交互に見つめる。暫し刹那は考えたが、アジアンの手を押し返した。花を受け取る義理も理由も見当たらない。
 刹那の反応も想定内だったのだろう。少し苦笑をしたアジアンは素直に手を引っ込め、懐に戻した。
 というか。刹那が口を開く。

「さっきから何なんだよ、ぼくに対するその変な呼び方は」

「それは、ボクはキミの名を知らないからネ。だからこう呼ぶことをどうか許してほしい。麗しき青薔薇のキミ、と……」

「いや何か増えてんだけど。――それに!」

 刹那がガシガシと乱雑に赤い髪を掻く。

刹那だよ、刹那! 刹那グランロゼ!」

 いよいよ言ってしまった。伝えてしまった。己の名を。そろりとアジアンの顔を窺い見れば、ぽかんと呆けているアジアンの顔が映った。散々聞いてきたそうにしていたのはそちらだろうに。

「……刹那刹那。……ああ、なんて美しく甘美な響きなのだろう」

 ぱちくりと薄氷のような青い瞳を瞬かせ、心の底から嬉しそうに頬を緩めたアジアンを見、不覚にも刹那の心臓がドキリと跳ねた気がした。胸元の服をぎゅっと掴む。
 まあ、アジアンの顔が良いことは認めよう。さっき店を出る時も彼を引き止める《昼飯時》の女らしい声が聞こえたり、殺意混じりの視線が背中に刺さっていた。世間一般的にモテる部類だというのも分からなくもない。
 けれどもだ。刹那は女ではないのでこの男に心を傾けてはならないし、傾ける気もなかった。一瞬浮かんだ気の迷いを払うように軽く頭を振り、重たく息を吐く。

「……満足した? じゃあもう二度と構わないでね。さようなら。金輪際」

「ああ、待ってくれ。崇高なるキミよ。《偉大なる薔薇》よ」

 また厄介な呼びかけ単語が増えてしまった。確かに刹那の名字は上古高位語ハイロメンで《偉大》と《薔薇》を掛け合わせた言葉だと親に教えられたが、ものの数秒で気付いて理解してしまうとは。
 無視して去ってしまおうかな。そんな思考が顔を覗かせた刹那にアジアンは微笑みかける。

「キミを食事に招待したいんだ。非礼の詫びを兼ねてネ」

「いらない」

「泉里だと言っても?」

「そ、それは……」

 決意がグラついてしまう。
 泉里と言えばエルデンでは知る人ぞ知る高級料亭だ。一般的な侵入者である刹那からしてみれば財布を空っぽにしてもおいそれと行けない場所であり、一種の憧れを持つ場所でもある。
 視線が左右に跳ねる。暫し逡巡した後、行きたい気持ちをぐっと堪えて刹那はきっぱりと告げた。

「いい。わざわざそんなことしなくても」

 明確に一線を引く。アジアンと己の間に、一本の線を。
 ややこしく絡まってしまった縁の糸が存在するのなら、これ以上ぐちゃぐちゃに絡ませることはしたくなかった。絡まってしまったのなら静かに解いて、そっと別々の道へ垂らすべきなのだ。
 もう二度と交わらないように。
 運命なんかじゃなく偶然だったと片付けられるように。
 だけど、目の前の男はそうではなかったようだ。「そうか」と首肯したので大人しく引き下がってくれたのかと思えば――

「今日のところはこれで引こう。しつこい男は嫌われると聞いたからネ。けれどボクは諦めないヨ、刹那

 などと言うので、刹那は思いっきり渋面を作った。

「いや、関わるなって言ってんだけど」

「ボクは関わりたい。言ったろう? キミが知りたい。キミに一目惚れしたんだと」

 スッとアジアンが手のひらを上にして刹那へと差し出す。まさか手を握れ、などと言うつもりかと身構えていれば、反対の手は己の胸元に当てている。此処で光がアジアンにだけ降り注げば、さながら演劇の主役に見えただろう。
 
「だからボクは諦めないヨ! いつかキミが振り向いてくれるまでは!」

 「さらばだ!」と高らかに告げ、髪を美しく靡かせてアジアンは踵を返し、通りの角を曲がって去っていった。
 その姿が見えなくなってから数十秒はたっぷりと時間を掛け、いよいよ戻ってこないと確信した刹那は大仰に息を吐いた。

「……なんか……あいつとの縁が続きそうな気がしてきたな」

 悪縁という意味で。
 空を仰ぐ。空はまるで刹那のどん底みたいな気持ちを嘲笑うかのように青々と澄み渡っていた。


2025/05/30

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