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イミテーション・レッド

エリマ、昼飯を食いに行かないか?」

 パソコンに向かい、キーボードを忙しなく叩いていたエリマがその声に誘われて顔を上げた。
 アークエンジェルにある、エリマに充てられた個室。通常ならばノックをして入室するのがマナーなのだろうが、部屋のパスワードを知っている彼はどうも声を掛けてから傍らの壁を軽く節がある。それを咎める間柄でもないので、作業の手を止めたエリマは軽く首を回し、彼――アスランの誘いに乗るべく椅子から立ち上がった。

「良い店を見付けたんだ」

「ああ、構わないぞ。丁度息抜きしようと思っていたからな。着替えるから待っていてくれ」

「あまり根を詰めすぎるなよ」

 軽口を叩き合いながらアスランは一旦廊下へ出ていく。流石に戦時下でもないのに軍服で街をウロつくのは憚られる。適当に……とは言うものの、街に繰り出してもおかしくない服を選び、エリマは廊下へと出た。
 こうしてアスランがエリマを食事に誘う事はあまり珍しくない。アカデミー時代はイザークやディアッカ、ニコル達も含めて声を掛け合って食堂に行っていたし、《メサイア攻防戦》が終わってオーブ軍に所属になった後も、何かとタイミングがあればアスランはエリマに声を掛けていた。
 場所だってその時その時だ。アークエンジェルやモルゲンレーテ社の食堂で済ませる場合もあれば、停泊している街に繰り出す場合もある。エリマとしても別に拘りはないので、アスランに言われるがまま着いていくのが殆どであった。
 今日はどうやらオーブの街に繰り出すらしい。廊下を進み、船を降りる。
 ……カガリのSPをしている時から思っていたが、アスランの諜報能力は随分と長けている。SP時代もカガリが向かう場所は事前に赴いてチェックをし、ルートや位置取りも完璧にこなしていた。その能力がこうして「良い店を見つける」事にも生かされているんじゃないだろうか、なんて考えてしまう。
 暫く歩いて、アスランがとある店の前で立ち止まる。洒落た、それでいて落ち着いた雰囲気のあるカフェのようだった。

「此処だ。テラス席で良いよな?」

「別に、どっちでも構わない」

 今日は温暖な気候で、この店に来る道中でもテラス席で談笑している客の姿はあちこちで見かけていた。この店だってテラス席は既に幾つか埋まっている。
 さっさと適当な席に座ればアスランは苦笑しながらも対面の席に腰掛ける。用意されているメニューを机に広げ、幾つかのオススメメニューを指さした。

「これとかオススメらしいぞ」

「ハーブ鶏のサンド……へぇ。じゃあ、私はそれと珈琲で」

「ああ」

 店員に声を掛けてアスランも注文を済ませ、メニューを閉じて端へと退ける。そう時間も掛からない内に料理が運ばれて来て、エリマの前にはチキンの挟まれたサンド、アスランの前にはBLTサンドが置かれ、どちらともなくサンドへ手を伸ばして口へと運んだ。

「ん……悪くないな」

「それなら良かったよ」

 咀嚼したエリマが心なしか嬉しそうに言い、アスランは笑って珈琲に口を付ける。
 ……彼女を異性として意識し始めてから、どれ位が経っただろうか。今までそういう目で見ていなかったエリマを『一人の女性』として見始めたきっかけが、ロドニアの研究所の調査へ向かった時だというのは理解している。
 ロドニアの研究所の中はあまりにも悲惨な状況だった。時間の経った研究員や子供の死体が転がる様子は、戦場に慣れた軍人だって精神的に追い込まれるものがあるだろう。
 そこで――いっそ不遜だと思える程気が強くて、何でもはっきりと言うエリマが、初めてアスランの前で弱々しい部分を見せたのだ。顔面蒼白になり、弱々しくアスランの制服の袖を引っ張って「側に居てくれないか」と言ってきて。
 そんな姿を見て、はたと気付いたのだ。――軍人だとか同期だとかと言う前に、彼女も一人の女性だったのだなと。
 きっかけを聞けばエリマは怒って眉を釣り上げそうなものだが、実際にそうなのだから仕方がない。それから目で追うようになり、いつしか好意へと昇華していた。
 エリマの真っ直ぐな所が。迷っている時に叱咤激励してくれる所が。たまに見せる、気を許した者へ向ける笑みが。なんだかんだとずっと行動を共にしてくれる所が。そういう所が――愛おしいと思うようになった。今こうして目の前で美味しそうに食事をしている姿すら可愛いと思ってしまうのだからもうどうしようもない。
 サンドを平らげ、ゆっくりと食後の珈琲を楽しむ。
 穏やかな時間が流れていく。ゆらゆらと揺れる茶色の水面に視線を落としながら静かにアスランは口を開いた。

「思えば……お前と出会ってからもう五年は経つんだな」

 頬杖を付き、ぼんやりと大通りを行き交う人々に目を向けていたエリマが反応する。

「ん? ああ……アカデミーから一緒だからそうなるか。同じクルーゼ隊に配属されたし、その後も……」

「ああ。カガリのSPを勤めた時も……ザフトに復隊した時も。お前はずっと側に居てくれた」

 言われてみればそうだな、とエリマは気付く。
 カガリのSPになったのは成行きのようなものだったし、復隊に至っては最初は乗り気ではなかった。デュランダルの語る理想があまりに綺麗過ぎて、只々自分やアスランを利用したいが為に取り繕った言葉のように聞こえたから。
 だからアスランだけが復隊すると決めたところで、エリマは復隊しようとは思わなかっただろう。そこにイザークやディアッカの後押しがあって、少しだけデュランダルを信用してみていいかも知れないと思ったのだ。
 ……結果として、彼の提唱するデスティニープランはエリマにとって優しくない世界の作りをしていたのだが。

 頬杖を付くのを止め、エリマは珈琲の入っているカップに手を伸ばしてミルクを足す。
 ――まあ、多少なりともアスランに対して好意的な気持ちを持っていなければ行動を共にしようなどとは考えなかっただろう。エリマ自身パーソナルスペースが広い自覚はある為、ある程度親しい人間でなければ側に寄らせないし寄って行かない。
 そんな事を考えながらエリマは柔らかな茶色に変わった珈琲を口へと運ぶ。

「……お前は確かに口煩いし直ぐに拳が飛んでくるが、俺はお前のそういう所に惹かれたのかも知れないな」

 そんな言葉が聞こえ、エリマが正面のアスランへ視線を向けた。愛おしい者を見つめるかのような、優しい眼差しのアスランと目が合う。

「……アスラン、お前……」

エリマ。俺はお前が――」

 意を決したようにアスランが口を開き、そして――

「今、私の悪口を言ったのか?」

「待て」

 ――不服そうに眉根を寄せたエリマの次の言葉を止めるようにアスランは手を上げて制した。
 次いで片手で顔を覆う。割と率直に気持ちを伝えたと思ったのだが、どうにも伝わっていないらしい。
 目を閉じ、深呼吸する。片手を下げたアスランは目を開け、真面目な面持ちで再度口を開いた。

「お前の事が好きなんだ、エリマ

「………………は?」

 珈琲を啜り、カップを置いたエリマが片眉を上げる。冗談か何かを言っているのかと疑う表情だ。だが正面から見据えたアスランの表情は冗談も嘘も言っている素振りもなくて、困惑した様子のエリマは気まずそうにアスランから目を逸した。

 好き、とは。仲間だとか同期としての友愛や親愛なんかではなく、異性として好きという事なのだろう。それくらい幾ら恋愛経験の無いエリマだって分かる。
 ……だからこそ、困ってしまう。その様子が伝わってしまったのだろう。アスランが申し訳なさそうに眉を下げる。

「……お前が俺に恋愛感情を抱いていないのは知ってる。この話が不快だったら、忘れてもらっても――」

「あー……いや、違う。違うんだが……」

 はっきり物言う彼女にしては珍しく、本当に珍しく歯切れの悪い返事だ。

「嫌とはでは、ないんだ。ただ……そうだな……」

「……他に好きな奴でもいるのか?」

「そうでもない」

 緩く首を横に振る。
 別に想い人がいるわけではない。気持ちが迷惑なわけでもない。アスランの告白に驚きはしたものの、悪い気はしなかったのだから。
 暫し悩み、考えたエリマは重たい口をゆっくりと開いた。

「……私は、強化人間だ」

 ぽつりぽつりとエリマは話し出す。

「故郷も、親の顔も、本当の名前も覚えていない。ロドニアのラボに収容された時点で私達の経歴は抹消されるからな。だからエリマハートフォードと言う名前も、ユニウス市出身という戸籍も、何もかもが偽造されたものだ」

 話を聞きながらアスランの脳裏に浮かんだのは、あの嵐の夜だった。議長を信じられなくなりザフトを脱走した、運命を分けたとでも言えるあの夜。
 追撃に出たと見せかけて共に脱走すべく機体を駆って来たエリマが、シンに叫んでいたのだ。

『議長の望む未来は、与えられた役割以外の夢を見る事を許さない世界だ! 戦えと決められた人間は平和を夢見る事が出来ない! ――貴様が温かで平和な世界で過ごしてくれと願ったあの娘も、戦いの中で死ねと言っているようなものだぞ!』

『あんたにステラの何が分かる! 何も分からないくせに!』

『分かるさ! 私は――あの娘と同じ強化人間だからな!』

『生体CPUとして育成され、そして使い潰されるだけの存在! 貴様が幾ら望もうが、あの娘が望もうが、議長の思い描く世界はそれを許さない! 私は……生きていたいんだ! 私は生体CPUでもなければ駒でもない、生きた一人の人間なのだから!』

 その心からの叫びを、未だアスランは鮮明に覚えている。忘れられる筈がない。

「私達は、コーディネーターを超える為にあらゆる実験が施される。外科的手術、投薬、洗脳、過酷な戦闘訓練……まあ、それが嫌になって私はラボを脱走したんだが」

 エリマが珈琲で唇を湿らす。中身は幾分か温くなってきている。

「そうして育成された私達は――一様に寿命が短い。それもそうだろうな。投薬や外科的手術は体に負担が掛かるし、かといって投薬を止めれば禁断症状を起こしたり、衰弱していく。そういう私も、投薬だけは欠かせないから定期的に飲んでいるしな」

 確かに思い返してみれば、エリマは「ただのサプリメントだ」と言って定期的に錠剤をよく口にしていた。それが例の薬なのだろう。
 しかし――エリマに告げられた一言に、胃がズンと重たくなるような感覚をアスランは覚えた。
 寿命が短い? こんなに元気そうなエリマも?
 けれどシンが連れてきた強化人間――ステラを思い出せばそうなのかも知れない、と納得する事は出来た。ミネルバに収容された彼女も結局は特殊な処置が受けられずに衰弱していったから、シンが彼女の上官に引き渡しに行ったのだから。

「だから……お前の気持ちは嬉しいが、受け入れる事が出来ない。そう遠くない未来に居なくなる私で、お前を縛りたくはないんだ」

 老い先短い自分でアスランの貴重な若い時間を消費したくない。結ばれたとして、アスランの心に居座って傷跡を残したくない。
 穏やかな声音で告げられたそれは、アスランを思いやる気持ちが込められていた。

「……成る程な」

 息を吐いたアスランが首肯する。
 分かってくれたのなら何よりだ。エリマは残っている珈琲を飲み干そうとして――

「つまり俺の事が嫌いだからとかじゃないし、お前を惚れさせる余地があるって事だな」

 頷いたアスランから放たれた言葉に、危うくエリマは口に含んだ珈琲を勢い良く吹き出すところだった。
 ごほごほと噎せながらエリマが捲し立てる。

「何が成る程、だ! 何も分かってないだろうお前! 私の話を聞いていたのか!?」

「分かってるよ。お前がそんな理由で俺を遠ざけようとしている事がな」

 対するアスランは平然とした顔で珈琲を啜っている。

「意外と臆病者なんだな、お前。……俺は、お前の最後の人になりたいし、俺の最後の人はお前が良い。お前にその気がないなら、その気になるよう口説くまでだ」

「は……はぁ!? あっ、待てお前!」

 決死の想いを「そんな事」と言われ、挙げ句に「臆病者」とまで言われてしまえば直情的なエリマが黙っている筈がない。しかし抗議の声を上げようとしたところでアスランは中身を空にしたカップを置き、立ち上がって店内へと向かっていく。エリマも続くべく慌てて珈琲を飲み干し、席を立ってアスランを追った。
 財布を取り出そうとしたところでアスランにさっさと会計を済まされてしまい、憮然とした表情でエリマは財布をしまった。それを横目で見て笑いを噛み殺しながらアスランは店を後にする。

 二人で並んで歩いてアークエンジェルへの道のりを歩いて行く。先程の会話を思い出したエリマはこの帰り道で何と声を掛けたらいいか分からず、悶々と思案しながら足を進めていた。

「……なあ、アスラン」

 アークエンジェルが停泊している港が大分近くなった頃。静かにエリマがアスランの名を呼んだ。

「本当に……私なのか? さっきも言ったが、私は長くは生きられない。お前と共に未来を歩めない。だから、私なんかよりも良い奴が……」

「何度も言わせるな」

 立ち止まり、エリマと向き合ったアスランが言葉を遮る。つられて向き合ったエリマはアスランを見上げるが、その瞳は何処か不安げに揺れていた。

「お前が良い。……お前じゃなきゃ駄目なんだ」

 目を見つめられ、はっきりと言い切られる。一度瞑目し、長く息を吐いたエリマはくるりと踵を返し、道を進んでいく。
 先行くエリマは肩越しに僅かに振り返り、アスランへ声を掛ける。

「……勝手にしろ」

 それっきり振り返らずに歩いて行き、フッと笑みを零したアスランはその後ろ姿を追うように歩き出した。

「ああ、勝手にさせてもらうよ」

 別に今すぐ返事が欲しいわけではない。今すぐ振り向いて欲しいわけでもない。ゆっくり進んでいければ良いのだ――いつかこの手を取ってくれる事を願いながら。


2024/04/01

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