花になれない君へ
「あんたって本当にこの仕事が似合わないよな」
カラカラと笑いながらコンパウンドボウを担ぐのは日陰の合わなさそうな男だった。
建物の陰という陰気な場所に立って居ても尚明るさが感じられるのは、その男が澄み渡る蒼穹よりも青い髪をしているからと、少々胡散臭いが人の良い笑みを浮かべているからだろう。
青い男に声を掛けられた女が振り向き、面食らったようにポカンとした後に小さく吹き出した。綺麗に笑う女のその笑顔が男は好きだが、その光景は――漆黒を塗り固めたかのようなリカーブボウを女が持っていなければ、そして彼らの周りに息絶えた者たちの死体が散らばっていなければ、このやり取りは普遍的なものだったのだろう。
しかし、彼らは普通の者ではない。
彼らは影に立つ者。日陰の住人。カジミエーシュが《無冑盟》――《ラズライト》の称号を戴く男・ロイと、《クロガネ》の称号を戴く女・アインツ、その二人だった。
「ロイはいつもそう言いますね」
「だって本心だからな。こんな所でコソコソチマチマ働くより、表通りの花屋で花売ってる方がお似合いだよ」
冗談めかした口調ではあるが、これは紛れもなくロイの本心だった。
何処にでも居そうな顔をし、極めて普遍的な感性を持っていて、楽しいことがあればカラカラと笑う魅力的な女。《表》で全うな仕事をしていれば男共が放って置かないだろう。
勿論、実力不足だからという訳でもない――逆三角形の形をし、ランク付けされている無冑盟。そのトップである三人しか居ないクロガネの座に何年も腰掛け、数々の強者を秘密裏に屠ってきたのだ。彼女が「辞めます」と言って商業連合会のお歴々がそう簡単に手放す筈もないだろうし、そもそもこの業界で足抜けをするのは至難の業だ。辞めようと逃げる者を追跡して処理した回数は指折り数えても足らない。
そも、アインツを手に掛ける事をロイは避けたかった。
情が沸いているから? 確かに気に入っているし好意は持っているが、それはそれで、これはこれだ。もし彼女を殺せと指令が下れば問題なく弓を構える事が出来るだろう。
ただ単純に――クロガネであるアインツを相手取るにはラズライトである自分はあまりにも力量に差がありすぎる。相方である同じラズライトのモニークと連携したとして、彼女に勝つビジョンが見えない。クロガネとはそれ程までの化け物揃いなのだ。
「じゃあ私がこの仕事を辞めて花屋でもする時は、絶対買いに来て下さいよ。貴方が言い出したんですから」
「勿論。何だったら毎日通い詰めても良いんだぜ? そんで買った花をあんたに贈るんだ。美しい貴方、俺と付き合ってくれませんかってな」
わざとらしくキザめいた声音で言い、パチンとウインク。クスクスとアインツが肩を揺らして楽しげに笑った。
二人で他愛無い話をしながら自分らが居た痕跡を消し、建物の陰を抜けて裏路地を幾つか経由する。そうして大通りに出てしまえば――もうそこには暗殺者など居ない。居るのはただ競技騎士らしい得物を持ちそれらしい格好をした男女が仲睦まじく談笑しながら歩いているという結果が残るだけだった。
「ああ、何だか少し小腹が空きましたね」
「おっ。それじゃあ何か食ってくか? 確かこの通りを進んだ先に最近ラテラーノから出店してきたワッフル屋があるって聞いたんだよな」
「それなら美味しさはお墨付きですね」
「オススメはチョコバナナらしいぜ」
「うーん……チョコって気分じゃないんですよね。フルーツが沢山乗ってるやつが食べたいです」
「それも良いねぇ。今の季節ならサルゴンから甘みの強いフルーツが入って来てるかも知れねえし」
「そう言えば聞きました? ロックヴィルにある大手ビール企業が――」
「へえ? そりゃ初耳だな」
空に浮かぶ雲の様に浮かんでは消えていく取り留めのない話。誰それから聞いた。ニュースで見た。見てみなよ今通り過ぎた店を。こうした気楽な会話が出来るアインツをロイは気に入っていた。冷たくも熱くもない、長く浸かるには適したぬるま湯のようなこの関係が。
それは何時までも続くものだと思っていた、のに。
「…………ハハ、」
眼前に広がる惨状を目にし、ロイの口から零れたのは乾いた笑いだけだった。
頬が引き攣る。今の俺はちゃんと笑えてたのかと自問したが、それを答えてくれる者はこの場に誰一人として存在していなかった。
ロイは青い髪をぐしゃりと掻き上げた。そう言えばそろそろ髪を染めないとな、何て場違い過ぎる考えが浮かぶ。
泣く子も寝静まる夜半時。今日も今日とて暗躍して仕事に励んでいたロイの所に駆け込んできた部下の叫ぶような声は、青天の霹靂ならぬ夜半の霹靂と言うべきか。
――隊長! クロガネのお一人が……!!
眼前に広がるのは夥しい量の血で作られた海。その中央で力なく手足を投げ出して沈んでいる者の胸部には何本もの漆黒の矢が突き立てられており、服の合間から見える肌には幾つもの擦過傷が見られた。どれだけ必死に抵抗したのだろうか。
「なあ、一体どういう状況なんだ?」
吐いた声音は恐ろしいまでに無機質で平坦で。後ろに控えていたロイの部下がおずおずと口を開く。
「その……アインツ様には離反の意志が見られると……。証拠も上がっており、商業連合会が嗅ぎ付けるのも時間の問題だとクロガネは判断し……」
「成る程な。それで他のクロガネが出張って来たってワケか」
傍らに落ちていた漆黒の矢を拾い上げる。夜の闇を塗り固めたかのような黒い矢は、共通してクロガネが使う物だ。彼女を仕留めたのが残るクロガネの内どちらか……或いは二人がかりで仕留めたのだろう。
「足抜けしたがってた、ね……」
確かに「もし無冑盟を辞める事が出来たら」という空想の話は何度だって交わした。酒の肴にもしたし、ターゲットが現れるまでの暇つぶしとして話を転がした事だってある。
だけどそれは――あくまでも空想の話だ。実際問題として自分達は死ぬまで暗殺者なのだろうし、運良く死なずに無冑盟を抜けられたとしても「いつ追手が殺しにやって来るのか」という恐怖が影のように付き纏う事になる。
逃げられない。この定めから。
アインツの死体から目を逸し、ロイは来た道を引き返していく。困惑したような部下の声が耳を叩いた。
「死体の隠蔽は如何致しましょう」
「万事何時も通りってな。此処にあるのは不運にも闇討ちされた哀れな競技騎士、そうだろ?」
いつものように冗談めかして肩を竦める。
運がなかったな、とロイは思う。もう少し時期が遅ければ――己が企てる計画が上手く進めば生きたまま無冑盟を抜けられていたかも知れないのに。
しかしそれも過ぎた話だ。現実な話それは叶わず、あるのは一つの死体のみで。
まあ、惜しい奴を亡くしたなとは思う。あのぬるま湯のような温かく心地良い場所は失うには勿体なかったから。
――ああ。ロイが気付く。
「結構気に入ってたんだなあ……あいつの事」
塊根の念の滲んだ声は夜闇に吸い込まれていった。
この成果なら嫁……と口にすると怒る相方も文句はないだろう。どう調理して貰おうかと考えながら男――《ラズライト》のロイもとい、ヨル・テイラーはぼんやりと空を見上げる。
カジミエーシュを舞台にした大騒動に乗じて無冑盟の存在を知る商業連合会の幹部共を綺麗サッパリ一掃し、血騎士と相討ちになったと見せかけて足抜けしたのが数ヶ月前。顔が割れている為整形して顔を変え、身分と名前も変えて今の閑静な村に移り住んだのも同時期の出来事だ。日がな狩りをしては立ち上げる仕事の話を纏め、企業の準備を進める――既存ブランドのハンドソープを売る仕事だ。ある程度の収入は望めるだろう。……まあ、『前職』で稼いだ金が残りの人生を遊んで暮らしたって余る程あるのだが。自堕落に生きるよりは適度に働いた方がメリハリが付くし、何より周囲に溶け込みやすい。
「……うん?」
村の中心である広場を通りかかった時だ。見慣れない車を目にしてヨルは首を捻った。
移動販売車が停まっている。通常の車体の側面がカウンターになっていて、そこで販売するタイプのヤツだ。カヴァレリエルキに居た頃はよく軽食やクレープを売っている車が走っていたり路肩に停まっていたりしたのを見かけたものだ。
そう。そういう類の移動販売車。それが何故街から遠く離れたこの村にやって来ているのだろうか。優秀な天災トランスポーターでも雇っているのだろうか、それとも店主自体が有能なトランスポーターなのか。
遠目に見たところ花の移動販売の様で。車体にはポップで可愛らしい文字で『花屋』と書かれているし、車外には幾つものプランターが置かれて瑞々しそうな花が置かれている。
ふと自宅の内装を思い出す。食卓の上に一つ位小さな花があっても良いのではないだろうか。モニーク……もといターナも別に嫌がりはしないだろう。ヨルは花の移動販売車へと足を向ける。
「よう。繁盛してるかい?」
なんて言いながら羽獣を一旦地面に置き、カウンターに肘を置いて軽く手を挙げる。奥で作業していたらしい女性店員は直ぐに客に気付き、朗らかな笑顔を浮かべてカウンターへと向き直った。
「いらっしゃいませ。まあ、ぼちぼちと言った感じでしょうか。何分最近始めた商売なので」
「へぇ、そうなのか。あんた一人で切り盛りを?」
「ええ。……あっ、お花はどんな物をお探しでしょうか」
「そうだな……食卓に置くといい感じのヤツ、一つで」
「畏まりました」
我ながら大雑把な注文ではと思わなくもないが、店員は嫌な顔もせずにこりと笑うと直ぐに準備をし始める。小さなバスケットと土を用意し、そこに幾つかの花を持ってきて……。
この仕事を始めたばかりとは言うが、花を選別する手や視線、植え替えるテキパキとした動きもなかなかサマになっている。素人目から見ても十分経験を積んでいると言えるだろう。
「前は何の仕事をしてたかってのは聞いても大丈夫か?」
「まあ、しがない会社員ですよ。上からの命令で仕事をして、部下に指示を飛ばしながら私自身も頑張って……いやあ、大変でしたね」
「中間管理職ってのも考えものだよな」
カラカラと笑えば店員も釣られて笑う。上にも下にも挟まれる仕事の辛さはヨルも身を以て理解している。
ふと、店員の笑顔に引っかかりを覚える。屈託なく、そして春先に咲く花のような柔らかな笑顔は何処か見覚えがあった。しかし彼女とは初対面の筈だ。顔を合わせた事など――。
……そうか。ようやく合点の行ったヨルはフッと笑みを零す。店員は作業に集中していてそれに気付いている様子は無いのだが。
「お待たせしました。食卓に飾るのをご希望との事で、香りの強くない花を中心にご用意させて頂きました」
「へぇ、見事だねぇ」
カウンターに置かれた小さなバスケットを受け取って顔を近付けてみると、確かに花々の香りはそう強くはない。これなら食卓に置いても食事の邪魔にはならないだろう。そして香りが淡いからと言って見た目が貧相という印象もなく、色とりどりの花が使われていて華やかに感じる。
「はいよ、料金だ」
「有り難う御座いま……、?」
ヨルが代金丁度の龍門幣を置き、店員が受け取ろうとした時。顔の方へと伸びてきたヨルの手に店員は動きを止め、視線だけでその先を追った。
「あ、あの……?」
「よし、似合ってるな」
ヨルが手を引っ込めたので触れられた箇所に指を向かわせてみる。耳に掛けるように差し込まれたのは、今しがた出来上がったバスケットの中から抜かれた一輪の桃色の花だった。
きょとんとした顔でヨルを見上げれば、ヨルは小さく笑う。
「やっぱ、あんたは花屋を開いてる方がお似合いだな」
その言葉を受けた店員――アインツはプッと吹き出し、肩を揺らして笑う。それはいつの日か見た、彼が一番好んでいた綺麗な笑みだった。