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地雨に滲む

 しとしとと雨が降り注ぐ。このシラクーザでは雨が続く事など珍しくもなく、雨によって霧が烟る風景は日常とさえなっている。
 雨は降り止まない。天から降り注ぐ雫は焼け落ちて半壊した一軒の家と、その前で力なくへたり込む少女の身体を容赦なく叩いていた。家はまだ燃え尽きてからそう時間が経っていないのか、所々ぶすぶすと煙が燻っていて。
 たまに少女の背後を通り過ぎる人が居るが、誰もが家と少女をチラと一瞥するだけで声を掛ける者は誰も居ない。助けの手を伸ばす者も居ない。仕方がない、或いは自分は関係ない、と言う顔で去っていくだけだった。
 マフィアが支配し、のさばる国・シラクーザ。そんな街でこうも人為的に攻撃されたという事は、そこに住んでいる者が何処かのファミリーにとって不利益な存在になったという意味でもあった。
 力なく投げ出されていた少女の指が僅かに動き、爪が硬いコンクリートの道を引っ掻く。爪が削れた事さえ厭わずに強く、強く少女は指に込める力を強くした。
 別に彼女の両親は何処かのファミリーに属している訳ではなかった。ただ行った仕事が何処かのファミリーにとっては有益で、何処かのファミリーにとっては不利益だった。それだけの理由で襲撃されて両親は殺され、家には火を放たれてしまった。
 死に体の両親がどうにか逃してくれなかったら、今頃彼女も燃え尽き損ねた建材のように燻っていただろう。だけど今後は? どうやって生きていけばいい? 何もかも不透明だった。警察なんて組織はこの国にはないから頼れないし、孤児院は……どうだっただろうか。調べたらあるかも知れないが、今はそんな気力も湧かない。
 途方に暮れる。一体いつまでそうして居ただろうか。彼女の身体が冷え切った頃、遠くで車の停まる音がし、誰かが此方へ歩いてくる音がした。どうせその足音も通り過ぎるだろうと思っていれば、予想に反してソレは彼女の背後でピタリと止まる。 

「復讐したくはないか?」

 若い男の声だった。
 ひょっとして、この声は自分に投げかけられているのだろうかと後ろを振り返って見上げれば、赤い髪の男が立って此方を見下ろしていた。
 ラベンダー色の瞳に吸い込まれそうになる。

「復讐……」

 そうだ、その手があった。忘れていた単語を思い出すように呟く。
 大好きな両親を、幸せで平穏であった生活を壊した者達への復讐。そうして自分が苦しんだ分、いやそれ以上の苦しみを味わわせるのだ。

「俺なら……いや、俺達ならその力を与える事が出来る。お前が振るう剣も、力も、全部な」

 男が手を差し出す。

「一緒に来ないか、ベッローネファミリーへ」
 
 少女はゆっくりと立ち上がる。もうその指はコンクリートを引っ掻いていない。
 差し出された手を握り返す。冷え切った身体では、差し出された手の体温は熱い位に感じられる。

「……私に頂戴。あいつらを殺せる力を」

 これが少女――ルドヴィカとディミトリ・チェルタルドの出会いだった。


 毛足の長い、上等そうな赤い絨毯を遠慮なく踏んで歩いていく。幾ら硬い革靴やブーツを履いていようともその足音は吸収され、まるで猫が忍んで歩いているかのように静かだった。
 立ち止まり、傍らの窓の外を見上げる。今日も今日とてシラクーザの空はどんよりと低く垂れ込めており、誰かが流した涙のように雨が降り頻っている。
 バラバラと窓ガラスを雨が叩く。ぼうっとその様子を眺めていれば、記憶は何時しかディミトリと最初に出会った頃まで遡っていた。
 その日も、今日みたいな日だった。雨が永遠のように降っていて体は冷え切り、絶望の縁に立っていたのだった。だけど熱い位の手を差し出されて、漸く体中に熱が回ったような心地がしたのだ。そうして心に『復讐心』と言う名の炎を燃やしたルドヴィカはベッローネファミリーに加わり、研鑽を積んで幹部と呼ばれるまでに上り詰めた今、「ディミトリの右腕と言えばルドヴィカ」というのがファミリー内の共通認識とさえなっていた。

ルディ

 己の愛称を呼ぶ声がし、ルドヴィカは視線を窓から前方へと向ける。同じように絨毯を踏んで歩いてきたのは赤い髪を一括りにした青年だった。名を呼ばれたルドヴィカもその名を呼び返す。

「ディーマ。……そっちは終わったみたいだね」

 彼の赤い髪と赤い服すら覆い隠すように、べったりと血が飛び散っている。ディミトリが返り討ちに遭うとは思えないので十中八九仕留めた者の血だろう。
 眼の前までやって来たディミトリが苦笑を零す。

「そっちもな。……随分派手にやったみたいだな、顔にまで血が跳ねてるぞ」

 スイ、と腕を持ち上げてディミトリはルドヴィカの頬に触れた。指の腹で頬を擦ってやればルドヴィカはされるがままになっており、瞳を閉じて気持ちよさそうにしている。
 その光景はまるで仲睦まじい狼のじゃれ合いや甘噛みにも似ていて微笑ましいが、それは彼らが血塗れではなく、ルドヴィカの背後で幾人ものマフィアの死体が転がっていなかったらの話だ。そんな風景の中での穏やかで仲睦まじいやり取りは異常さが際立つだけで。

「帰ったらシャワーだな」

「お互いにね」

「どうせなら一緒に入るか」

 ディミトリとルドヴィカは『そういう仲』だ。ルドヴィカは彼の右腕であり、懐刀であり、忠実な狼であり、恋人でもある。だから同衾するのも、共に風呂に入る事だって何ら不思議はないのだが――ディミトリの放った言葉に固まっていれば、「冗談だ」と続けたのでルドヴィカはムッと眉根を寄せた。これはからかわれて遊ばれている。
 そんなルドヴィカの反応が面白かったのか、ディミトリは肩を揺らしてクツクツと笑っている。面白くなさそうに小さく鼻を鳴らしたルドヴィカは踵を返すと転がっている死体を飛び越え、屋敷の玄関へと向かっていく。その後を追ってディミトリもゆったりとした歩調で歩き始めた。

「悪かった。機嫌を直してくれよ」

「……今度、デートしてくれないと許さない」

 歩きながら肩越しに振り返り、じろりと睨み付ければ「分かったよ」とディミトリが肩を竦めた。
 そも、前回のデートの約束だって無かった事になっているのだ。急な仕事が入ってディミトリが駆り出されてしまったから。だから前回の分まできっちり請求しないといけない。高いレストランかチケットが入手困難なオペラの座席か、何が良いだろうと考えながらルドヴィカは豪奢な玄関扉に手を掛け、大きく開け放つ。
 雨はまだ降り続いている。回収してくれる手筈の部下の車は少し離れた所で待機している筈なので、短い距離だが雨に打たれる事になるだろう。それでも良い。きっと幾ばくかは体や服についた血を洗い流してくれるだろうし、火照った体を冷やしてくれるだろうから。

 邸宅を出たルドヴィカは空を見上げる。
 長いシラクーザの雨は、まだ止みそうにない。


2023/12/07

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