世界は感謝で溢れている
テラの世界は感謝で溢れている。
と、言えば聞こえは良いが、実際は大昔の誰かが定めた『働く人へ感謝をする日』だとか『男性が女性に感謝をする日』にかこつけて企業がこぞってチョコレートだの花束だのを店頭に置き、浮かれた者達が愛だの感謝だのを伝える日。
街を歩きながらくだらないな、とグゼルは思う。弾薬の補充に街へ出てきたのは良いが、見回せど見回せど恋人達が身を寄せ合って甘やかな雰囲気を作り出しており、物理的に漂ってくるチョコレートの甘い匂いも相まってグゼルはうんざりしたように息を吐いた。
傭兵として今日に至るまで戦場に身を置くグゼルとしては、いちいち記念日だの何だので浮かれる暇など無かった。毎日が死と隣り合わせで、汗と硝煙と、敵か味方かも分からない者の血で塗れている日々。だからこうしてのんきに平和を謳歌している一般人達も、彼らが作り出す空気も性に合わなかった。
買い出しはほぼ終わった。後は保存食を幾つか買い込めば、次の戦闘に備えられるだろう。
幾つか紙袋を抱えながらロドス本艦までの道のりを歩く。その最中、ふとグゼルは脇に並んでいる露店に目を留め、立ち止まった。
グゼルの姿に気付いた店主が顔を上げ、にこやかに笑う。特徴を見るにフィディアの青年のようだ。
「いらっしゃい。良かったらお一つどう?」
「……チョコ?」
一つ手に取ってみる。可愛らしい形をしている訳でもなく、華やかなラッピングも施されていない、ただただ銀紙に包まれているだけのソレは材料用だとか業務用だと説明された方が納得の見た目をしていた。
さっとグゼルの姿を頭の天辺からつま先まで一瞥した店主が口を開く。とっておきの内緒話を披露するかのように。
「サルカズのお姉さん、傭兵だろう? これはそういう人向けのチョコレートだよ」
「傭兵は無骨なヤツでも食べてろって?」
冗談混じりに鼻で笑えば、慌てたように店主は両手をブンブンと横に振る。
「まさか! そんなんじゃないさ。お姉さん、チョコが保存食に向いてるって知ってる? 一欠片でも十分に摂れる糖分とカロリー。過酷な戦時下で溜まるストレスの解消! ただ贈り物にするだけじゃないんだよ、チョコレートは!」
「でも、サルゴンの砂漠とかじゃ流石に溶けるでしょ」
手元のチョコレートをひっくり返し、裏側の成分表に何となく目を通す。グゼルのそんな答えも想定内だったのだろう。店主は不敵に微笑むと「ちっちっち」と言いながら立てた指を横に振った。
「勿論、傭兵がどんな過酷な戦場に行くかなんて想定済みさ。ウチの店のチョコは特別な製法で作っていてね、サルゴンの砂漠だろうが雨林だろうがドロドロに溶ける事はないし、ウルサスの吹雪の中で食べてもガチガチに固まったりしない。だけど口に入れればとろりと溶ける! そんなアーツみたいなチョコレートはダーク、ミルク、ホワイトの三種類で展開中だ!」
商売上手な店主だな、と思う。そんな謳い文句を出されたら一つなら買っても良いだろうと思ってしまうではないか。
無難にミルクで良いか、とグゼルは手に持っていたチョコレートを返して勘定しようとする。龍門幣を用意しようとした所で、はたと背後を振り返った。
甘やかな雰囲気。甘ったるい香り。
思案する。
……この時期にこのチョコレートを誰かに渡すとなれば、それは別の意味を孕むんじゃないだろうか。
唸る。暫し考え込み、「私も別にそういう意味で渡すわけじゃないし、向こうもいちいち記念日だとか気にする質じゃないだろう」と脳内で結論付けた。
そう。別に深い意味はない。ただ良い保存食を見付けたから共有する。それだけだ。
「もう一つ追加して」
ダークチョコレートと龍門幣を差し出す。笑顔で受け取った店主はチョコレートを纏めた袋をグゼルに差し出し、受け取ったグゼルは今度こそロドスが停泊する場所へと足を向けた。
「あ、居た」
荷物を自室に置いてロドス艦内を歩いていれば、目当ての人物はドクターの執務室に居た。どうやら今日の秘書らしい。
声を掛けながら入室すればペンを走らせていたドクターが顔を上げ、その傍らで書類を振り分けていたらしいエンカクも入り口へと顔を向けた。
ドクターの前を素通りし、エンカクの前まで来たグゼルは持っている袋に手を突っ込み、中に入っている物を無造作にエンカクへ差し出した。
「何だ、これは」
差し出された長方形の物体を睥睨する。銀紙で包まれた上に紙で巻かれたソレは『どんな長旅や過酷な場所でも! 保存用チョコレート』とポップな字体で描かれていた。
「保存用チョコレートだって。サルゴンの砂漠だろうがウルサスの寒冷地だって平気って言うから、気になって買ってみたの」
「それを俺に渡す意味は?」
「別に。次の任務の時に食べればって思って買ってきただけ」
用事は本当にそれだけなのだろう。エンカクがチョコレートを受け取れば「それじゃあ」とさっさと踵を返し、執務室を後にしてしまった。
残されたエンカクはしげしげとチョコレートを見、そんなエンカクをドクターは興味深げな様子で眺める。持っていたペンを置いて両肘と机に付き、仕事なんかそっちのけな様子だ。
「成る程、バレンタインデーの贈り物か」
「あいつがそんな浮かれた行事の片棒を担ぐと思うのか?」
「も、もしかしたらがあるかも知れないだろ……」
エンカクの言葉が最も過ぎて何も言えない。
しかし、だ。好意や愛情があるかはさておき、グゼルが多少なりともエンカクを特別視しているのは知っている。執着していると言っても良い。グゼルも、エンカクも。
こほん、と一つ咳払いをしてドクターは続ける。
「まあでも、グゼルにとって君が特別だからそれをあげたんじゃないか? 現にほら、自分には無い」
アピールするようにドクターは両手を広げて見せる。グゼルが世話になっている人々に義理チョコを配るような人柄なら、今頃ドクターの執務机には彼女からのチョコレートが乗せられていただろう。
「へぇ……」
チョコレートを眺めていたエンカクが口角を僅かに持ち上げて笑う。どういう意図があるにせよ、唯一無二の相手からの贈り物なのだ。嬉しくないはずがない。
「まあ、貰っておくとしよう」
ドクターの執務机の隅に置き、エンカクは再び書類へ目を通し始める。
まあ、普段贈っている花の対価とでも思っておこう。